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星と太陽とお月さま

つい先日、久しぶりにカレーを食べた。
母が作ってくれたカレーである。

私は一週間ほど体調を崩していてあまり食欲がなく、うどんやサンドウィッチなどの軽食しか喉を通らない状況だった。
体力がある程度戻って胃の具合も回復した後の、ピリッとスパイスの効いた母のカレーがとても美味しく感じた。

母は今年の夏で七十五歳になる。

まだまだ元気一杯で、疲れた顔なども最近見た記憶がない。

何年かに一回、耳鳴りや眩暈で検査入院をすることがあるが、退院すると元の状態以上に強く元気になるので、私の子供達は、

「ばぁばは、ドラゴンボールに出て来るスーパーサイヤ人みたいやね!怒ると怖いけん、ベジータみたい!」

そう言っていつもからかっている。

なるほどなるほど、なーるほど・・

プライドが人一倍高い性格なんか、まさにベジータだなぁと思う。

台所に立つ母は、いつもお気に入りの鼻歌を口ずさんでいる。

「あ、今日は豚バラ入ってるね!」

私が言う。

「あんたさ、覚えてるね?小さい頃は豚肉が苦手で、ようお父さんに怒られてたよね」

ほろ苦い思い出である。

母が笑いながら言うように、幼い時私は豚肉、正確に表現するならば豚肉の脂身の部分が大の苦手であった。

いつであったか、焼肉の際、口にお肉を入れてはトイレに行き、ぺっと吐き出してはまた食卓に戻るという、今にして思えばとんでもなく勿体無い、そして食に関わるたくさんの人に対してとても失礼な行為を思いついたものだと、深く反省している。

「お前はなんてことをするんか!!世の中にはな、食べたくても食べれない人がたくさんいるんやぞ!食べ物を粗末にする奴は最低や!もう晩御飯は食べるな!」

ものすごい剣幕で怒鳴られ、特大のゲンコツをもらった。

部屋で布団をかぶって時間を潰しても、次第にお腹が減ってくる。

夜中、母が部屋をノックしてこう言ってくれた。

「おにぎり作って来たけん、食べなさい。後でお父さんには一緒に謝ってあげるけん、ちゃんとごめんって言えば許してくれるから」

「いらん!!ご飯なんか食べるなて言われた!今日は食べん!!」

変な意地だけは一人前である。

「ほら、そんな言わんで食べなさい。これはお父さんが持って行ってあげなさいって言ったから作って来たんだけん」

母が置いて行ってくれた明太子入りのおにぎりを、私はわんわん泣きながら一生懸命口に入れた。
たくあんを慌てて食べたので、少し咳き込んでしまった。ありがたくて、熱くて、美味しくて、最高で、しょっぱいおにぎりであった。そして自分が恥ずかしく情けなく、ちっぽけな人間だと思った。
これからは絶対に好き嫌いをしないと、心の中で誓った。

だから今でもおにぎりを見ると、たとえ仕事の時でも旅行に行っていても、私は必ず父と母の言葉と顔を思い出す。

私にとって母は父以上に怖い存在だと思う。

子供の時分から数えきれないほど怒られ、それは大人になった今でも全く変わらない。

私は平成十五年の十一月に、妻を病気で亡くした。

息子が二歳になる前、娘も間も一歳になろうかという、晩秋であった。

二人の子を連れ熊本の実家に戻り、そこから新しい人生がスタートした。

父と母がいてくれなければ、その時の私達も、今の自分達も存在していなかっただろうと思っている。

生まれ故郷がこれほどまでに尊いものだとは、それまで思いもしなかった。

あれは子供達が保育園に通い始めた時期だっただろうか。

保護者も参加の園の行事があった。

「お母さん、もし用事ないならさ、おれの代わりに出席してくれない?おれは後から少し顔出す感じで行くけん。」

「なんでね?」

「いや、なんでって言うかさ、どこの家も夫婦で参加するのに、うちだけ父親が一人で行くってのも恥ずかしいし、しゅんとわかなも嫌だと思うけん。ばぁばが来てくれたってなればさ、諦めもつくと思うんよね」

「あんたはなんば言いよっとか?なん見得を張っとるんか?馬鹿じゃないとかい?二人にとったらあんたがたった一人の保護者やろもん?それなら父親一人で堂々と一番最初に教室に入って、二人が一番見えて気付くところに行ってやらんとダメやろもん?恥ずかしい?それはな、あんたがそういう家庭を見た時に心の中でそう考えるからそんな風に思うんや。やましい目で見るから自分もそう思われるって考えるんや。あんたがもしな、子供の行事に出席しなかったら、あぁ、松本さんとこは片親やからしょうがないよねってなるんよ。ちゃんと堂々と行くなら、松本さんとこは父子家庭なのに子供の行事には全部参加してる、見習わないとダメやなぁってなる。あんたの行動とか考え次第でしゅんとわかながどう育って行くか左右されるんやから、しっかり考えんかい!!なんが恥ずかしいか!なんも悪いことしてないんやから堂々として参加せんかい!私は絶対代わりになんか行かないから」

私は何も応えることが出来ず、くちびるを噛んで下を向いて聞いていた。

自分が恥ずかしかった。
亡くなった妻に申し訳ないと謝った。

当日の朝、母がニコニコしながら子供達に話しかけていた。

「しゅん、わかなちゃん、今日はパパが行くから楽しみに待っててね!ばぁばも一緒に行くけん、見つけたら手を振ってね!晩御飯は二人の好きなカレーを作ってあげるから、今日は出し物を頑張ってね」

「やったー!!はーい!」

子供達ははしゃいでいた。

私も一緒になって笑い、心の中で母に頭を下げた。
大きな行事の後には必ずカレーが出る。
私もそうやって育って来た。

もうひとつ、忘れられない出来事がある。

子供達が通った中学校では、毎年冬になると、大きなマラソン大会が開催される。田舎である利点を活かし(?)町中を走り回る、地域の人々も参加する行事である。沿道にはたくさんの人がいて、手を振ったり差し入れを用意したり、小さな子供からお年寄りまで、ペットも応援に駆けつける。

息子は短距離は得意だけれどマラソンがとにかく苦手で、大会の前日からすでに意気消沈していた。

当日は小学六年生の娘と母の三人で、ちょうど折り返し地点に場所を取り、少しでも応援が出来ればと考えていた。

全校生徒がそれぞれ時間差で出発する。

一年生がもちろん最初である。

「お兄ちゃん、なかなか来ないね・・」

娘もどことなく心配している様子だ。

「お腹痛くなって棄権したんじゃないよね?」

と、母が嘆息を漏らす。

しばらくして最後尾の集団の、一番最後の列に息子の姿が見えた。

顔を真っ赤にして大きく肩で息をしている姿を見て、私はなんと声を掛けてあげれば良いのか分からず、そうこうしている間に息子は折り返し地点をくるりと回って元来た道を戻って行った。

結果はやはり一番最後だった。

その日の晩、子供達が眠った後、母が私にこう言った。

「なんで大きな声を出して応援してあげなかったんね?せっかくしゅんが苦手なマラソンを頑張って走って目の前を通ったのに。ただ突っ立ってるだけならその辺の自販機とか電信柱と同じやもんね。なんの為に寒い中観に行ったんよ?励ましてあげんと意味ないわ」

「励ますも何も、ただでさえ苦手な長距離よ?いくら声を出して応援しても本人が最初から自分は遅いって諦めてるし、結果は変わらんのじゃない?これが短距離走なら目一杯声出して応援したよ。それにさ、小学校の時の先生はね、頑張ってる子供に、頑張れっていう言葉を投げかけるのは本人にとって苦しいことだって言ってたよ。見守るのも親の役目だってさ。」

「それはあんた、都合のいいただの言い訳やわ。他人で責任のない人はそれでもいい。先生の言う事もわかる。頑張れって言葉は追い詰める時もある。けど親はたとえ嫌われても、声を出して応援せなんとじゃなかね?後で子供にうるさいって煙たがられても嫌な顔されても笑って応援してあげるのが親じゃないとね?親って漢字はそりゃ木の上に立って見るって書くよ。けどそれで終わるならば親と同じところまでしか子供は辿り着かないよ。木の上から見るだけじゃなくて、降りて行って背中を押したり、『声』を掛けてあげれば親を『超え』るんじゃないの?親の声は『親超え』だと思うよ。あんたはしゅんが自分と同じでいいとね?もっと立派になって欲しいて思わないんね?自分の子に好かれようとか気に入られようとか、そんなん考えたらいかんよ。嫌われ役になってでも成長を助けるのが親の仕事やから。あんたも私達の事、口うるさくて嫌いでしょ?私はそれでいいと思ってる。」

次の年のマラソン大会、私は息子と、中学生になった娘に大きな声で声援を送った。風邪を引いたのか声を出し過ぎたのかは分からないが、声がかすれてしまった。子供達は二人とも長距離が苦手だけれど、息子は前の年より少しだけ順位が上がった。
娘もほとんど最下位だったけれど、また来年、もっと大きな声で応援してあげようと思った。
雪の散らつく寒い一日であったけれど、心の底からポカポカ温まるような気持ちがした。
母も腰にカイロを張り、ホットレモンを飲みながら笑っていた。

いつだったか、母が褒めてくれた事がある。

「あんたさ、瞬って名前には『いい行いは誰かが見ている時にあからさまにするんじゃなくて、人が“瞬き”して見ていない時にそっとしてあげるような、そんな優しい子に育ってほしい』っていう願いもあるって言ってたよね確か?いい名前つけたやないの!」

「なんかあったの?」

「この前さ、晩御飯の時、わかなちゃんがテレビ見ながらスープ飲んでて、テーブルにお椀ひっくり返してこぼしてしまったんよ。前も同じことがあったから今日はもう怒ろうと思って席を立とうとしたら、しゅんがケチャップを自分の服につけてね、ばぁば、ごめん!おれ服を汚してしまった!って言うんよ。もう!って思って二人とも気を付けなさいね!って言うたわ。後で考えたら、あの子はわかなちゃんを庇う為にわざと服を汚したんだと思ったんよ。そう考えたらなんか涙が出てきてね。まだ小さくて、いつもはケンカばっかりしてるくせにああいう時は妹をちゃんと守るんやなぁって、私も勉強になった」

とても嬉しくて、次の日妻のお墓参りに行き、息子のことを天国の妻に報告した。
被っていた帽子が飛ばされたので、きっと妻に届いたんだと思った。

そんな懐かしい思い出を振り返りながら、母の作ってくれたカレーをおかわりした。

母は台所でお気に入りの歌を口ずさんでいた。
昔からずっとずっと変わらない、聞き慣れたお決まりの歌である。

君の行く道は はてしなく遠い
だのに なぜ
歯をくいしばり
君は行くのか そんなにしてまで

君のあの人は 今はもういない
だのに なぜ
なにを探して
君は行くのか あてもないのに

君の行く道は 希望へとつづく
空に また
陽が昇るとき
若者はまた 歩きはじめる

空に また
陽が昇るとき
若者はまた 歩きはじめる

「若者たち」ザ・ブロードサイド・フォー

もう何度も聞いているので、息子も娘も保育園の時に覚えてしまい、三人揃ってハーモニーを奏でる日もあった。

母が歌と同じようにいつも口にする言葉がある。

口先だけの人間になるな。
お天道さんを見上げることが出来る行いをしなさい。
本を読みなさい。
辛い時が九割、幸せな時は一割、それが人生。
それなら足元を見るんじゃなくていつも星を見上げなさい。

そんな言葉を、私もいつか口に出来たらいいなぁと思う。

「あんた、最近お酒の量が増えたんじゃない?なんかあったら知らんよ。しっかりしないと!!」

小言入りのカレーライスも、たまにはいい。

母のカレーは旅に似ている。
星と太陽と月が道を照らし、
汗と涙と笑顔の入ったスパイスで、
人生を豊かにしくれるから。

たくさんの思い出と学びを、
いつも与えてくれるから。




#カレーにこれ入れる

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