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PKPK(パパッと簡単ぱぱキッチン)8

春休みを利用し、ほんの数日間ですが、息子が帰省しました。

すっかり暖かさを増した陽気の中、梅の可愛らしいつぼみも花開き、小鳥のさえずりが心地よい春も一緒に訪れようとしています。

「あ?そのジャケット、なんか見覚えあるなぁ」

「これ?パパにもらった服だよ。そろそろ季節的にも活躍するかなって思って最近よく着てる!」

息子と私は背丈はほぼ同じくらいですが、息子は骨格がひと回り大きく、筋肉隆々です。聞くところによると、ダイエットも兼ねて筋トレに励んでいる様子で、いつの間にかこんなにも逞しくなったんだなぁと、少し感慨深い感じがしました。

「明日は地元の友達と食事に行くけん、今日は家で何か作ってゆっくり食べたいな!」

と息子が言うので、帰り道、いつも行くお店で食材とお酒を買う計画を立てました。

息子は2920グラム、元気いっぱいで産まれました。

ミルクをいっぱい飲んですくすく育ってくれたのですが、いざ離乳食が始まるといっこうに食べてくれず、妻と二人頭を抱えたものです。

年子で産まれた娘は、体が弱く、生後間も無く入院生活を余儀なくされました。

妻もつきっきりで泊まり、私は息子の育児に専念しました。

当時は新潟にある妻の実家にお世話になっており、妻のお母さんにいろいろと教わりながら息子が食べる赤ちゃん用のご飯の味付けなどを勉強する毎日でした。

平成十五年の十一月、妻は病気で他界しました。

私の実家のある九州は熊本に戻り、そこで第二の、か弱い人生が新たにスタートしました。

息子は相変わらず食が細く、病院の先生や知り合いの保健師さんに幾度となく相談していたのも懐かしい思い出です。

「あんまり心配しなくていいと思いますよ。男の子ですもん。お父さんがびっくりするくらいに食べてくれるようになりますから」

そういつも笑って下さった。

スプーンに乗るくらいの小さなおにぎりを作り、周りを海苔で巻き、納豆を一粒、シャケフレークを少々、ふりかけを少し、そんな感じで小さな小さな軍艦巻きをいくつか作ってお弁当箱に入れ、お茶とお菓子とおもちゃを持って毎日公園や海岸に行きました。

すべり台で遊んだ後は砂場で山を作り、海辺では石投げをして一緒にお腹を空かせ、砂浜に座ってお弁当を食べ、そんな悪戦苦闘の毎日を過ごしているうちに、息子も次第にたくさん食べてくれるようになりました。

あの頃は、

「パパ、ご飯おかわり!!」

その元気な言葉が私は何より嬉しかった。

大きくなって運動をするようになると、ごはん茶碗は私より大きくなりました。中学校で陸上に汗を流す頃には、外食する時はご飯大盛り、ラーメンは替え玉最低三回(計四杯)と、今度は逆に食べ過ぎじゃないのかな?と、また保健師さんに相談するくらいになりました。

高校二年生の春、クラスに馴染めなかったのか、学校に行けない日が続きました。
毎朝、頭痛や腹痛を訴えるようになり、寮、学校からも報告の電話がある日々でした。
朝早く起きてお弁当を作って持って行き、病院の帰りに車の中で話をしながら一緒に食べました。

毎週金曜日になると息子を迎えに行き、月曜の朝一番に送って行く生活がずっと続きました。

家から学校の寮までは、車で片道約二時間半かかります。

その時間も、親子にとってはかけがえのない大切な宝物でした。

週末は一緒に買い物に行き、ご飯も一緒に作りました。

鍋料理はもちろん、鉄板焼きにラーメン、中でも息子の得意料理はチャーハンでした。
作り方を自分で調べ、コツを掴んでからは毎週作ってくれるようになり、次第に息子も元気になっていきました。

少し大袈裟かも知れませんが、料理は私達親子にとって、人生を変えてくれる大きな大きなきっかけとなったような気がしています。


帰りの車で、懐かしい思い出や、映画、アニメの話などで盛り上がっていると、ふと息子がこんなことを聞いてきます。

「パパさ、ママが亡くなってもう二十年以上経つよね?出会った頃の気持ちとか、結婚式の時の感激とかお墓に入る時の感情とか、まだ覚えてる?おれさ、もし将来誰かと結婚するとして、好きな気持ちとかを何年も保てるかどうか不安なんだよなぁ」

「そうやねぇ、難しい問題かもね。結婚するカップル以上に離婚する夫婦が多いって聞くし、子供がいるかどうかでも変わってくるし、気持ちが無くなっても家族の為に結婚生活を維持している家庭もあるだろうしね。パパね、愛情って、火、灯火みたいだなぁって思うんよ。大きく燃える時もあれば小さくロウソクみたいに微かに灯る時もあるし、それこそ風とか雨で消えてしまうこともあると思う。言葉とか思いやりの行動をお互いすることで、火は消えずに輝くのかなぁって思うよ。」

「パパとママの場合は、ママが急に亡くなってしまったからさ、パパがその火を消さないようにしていれば、愛情は無くならないって思うよ」

「なるほどね。でもママは亡くなって姿形は写真とか思い出として心の中にしかないでしょ?どうやって愛情の灯火を消さないように努力ができるの?会話したり手を繋いだりとか出来ないじゃん?」

「パパにはしゅんとわかながいるやん。ママがどんな気持ちと表情で二人を抱っこしたり頭を撫でたりしていたかをはっきり覚えてるよ。だからこうやってしゅんとかわかなと話したりする時はいつもママの顔が浮かぶけん、その時に火が大きく燃える感じかなぁ。愛情ってさ、目に見えるものもあれば心の中にそっと存在する場合もあるから、しゅんもいつか結婚する相手が見つかったら理解出来るかもやね!」

そんな話をしながら家路につきました。

お正月以来の、楽しい食卓です!

・息子が高校生の時よく作っていた高菜チャーハン

・見よう見まねでトライしたじゃがバター

・おなかいっぱいになる焼きうどん

・自家製キムチとスナップエンドウ

見た目はあまりよろしくないのですが、私も息子もかなり大雑把な性格なので、いつもこんな感じになってしまいます。


料理、食事って不思議だなぁと思います。

ケンカをしても、鍋やお皿を一緒につついているうちに、いつの間にか会話が復活したり仲直りが出来たり、食べ終わる頃には笑顔が戻って来ます。

いろんな辛い経験や悲しい出来事、泣きたくなるような話、そしてたくさんの物事を乗り越えた様々な力や勇気・・

料理の周りには、食材の数だけ人生のドラマがあるのかも知れません。
そして汗や涙が隠し味となって、人は前に進めるのだと思います。

『人は食べたもので作られる』

なんの本だったか、テレビだったか、そんな言葉に出会い、なるほどなぁとしみじみと頷いた記憶があります。

近い将来、遠い未来、地球上には優秀で故障のないロボットで溢れるかも知れません。
人間はか弱く、無力で非力で、気温の変化にも一苦労する、小さな小さな存在です。
目に見えないようなウイルスにも簡単に負けてしまう。

一方、機械はなんと優秀だろう。

設計ミスがなければ計画通りに働き、たとえ不備が現れても修理すれば元に戻るからです。

人間は一度命が無くなれば、もう二度と動くことは出来ません。

たくさんの人に迷惑をかけるかも知れないけれど、私は生まれ変わるとしてもまた人として生まれて来たいなと思います。

泣いたり笑ったり、怒られたり叱ったり、感動したり寂しさを感じたり、誰かに親切にされたお返しに、他の誰かを救ったり、不完全でも不器用でも汗っかきでも花粉症で毎日目を腫らしても、やっぱり人間がいいなぁ。

もう一度、二度だって三度だって、子育てがしたいです。

「あ、パパ!三杯目だけど高菜チャーハンおかわり!!大盛りで!!」






私の記事に立ち止まって下さり、ありがとうございます。素晴らしいご縁に感謝です。