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『歩いて見た世界/ブルース・チャトウィンの足跡』を見る
岩波ホールは7月29日をもって、54年の歴史に幕を降ろす。エキプド・シネマの発足年の初期会員だったボクとしては、沢山の名作を届けてくれてありがとうの感謝の思いとともに、掉尾を飾る『歩いて見た世界/ブルース・チャトウィンの足跡』(ヴェルナー・ヘルツォーク監督2019年英仏スコットランド合作。85分)を観て来た。
さて、ドキュメントと朗読(チャトウィン自身による『パタゴニア』、監督による『ソングライン
美少年は聖者となった
先日「川越スカラ座」に『ミッドサマー』(2019年・アメリカ)を観に行った時、直前の上映作品は『世界で一番美しい少年』(2021年・スウェーデン)だった。ぼくはこのプログラム編成に思わず唸ってしまった。この二つの映画作品には、ひとりの俳優が共通して出演しており、『世界で…』は、そのデビュー作にまつわる狂熱を描いたドキュメンタリー作品であり、『ミッドサマー』はその男優が50年ぶりにスクリーン復帰した
もっとみるミッドサマーの祝祭とカルト・コミューン
一般公開の最後の最後にやっと鑑賞した(「川越スカラ座」2022年4月1日)。世にカルトムービーとして世評も高いと言うか騒(ざわ)めかせている。これは一度や、二度と見ただけでは埋め込まれ考え抜かれた構造、伏線を解き明かすのは不可能だろう。とは言えしばらく再びみるのは叶いそうもないのでここで初見の感想を書いてしまうことにする。
考え抜かれたとは言ってもそれは設定、脚本であって(脚本・監督はアリ・アスタ
「太陽族」は存在したのか?
「太陽族」と呼ばれるトライブがあるそうだ。少なくとも週刊誌や、マスコミ的には昭和30年代の湘南海岸には「太陽族」と呼ばれる不良の一団がいたことになっている。その言葉の生みの親は『太陽の季節』を書いて一大センセーショナルを巻き起こした石原慎太郎ということになっている(この呼称は別項でも触れたように大宅壮一が命名した)。慎太郎が若くして芥川賞を受賞して(1956年1月。1955年『文学界』7月号掲載。
もっとみる石原慎太郎の初期小説について(3)
(承前)たまたまボクが持っている筑摩書房「新鋭文学叢書」第8巻(1960年刊)が「石原慎太郎」で、その作品解説が三島由紀夫なのだった(写真は前回添付)。そして、どうやら巻末に掲載された「初期詩」を選んだのも三島由紀夫のようだ。
遺ったものはなにもない
砂はとっくに冷えきった
全体、なにが蘇ろうーー
ひしゃげた「原理」も「真理」もない
いじけて惨めな乳くり合い
三月で流れた胎児(がき)
石原慎太郎の初期小説について(2)
(承前)戦後あらゆる支配原理がその権威と意味を空中に霧散させた時、思想の空隙を突いて石原慎太郎は登場した。『太陽の季節』がほとんど処女作で伊藤整を鷲掴みにして「芥川賞」が与えられたことは、言わば「事件」であった。そして、この「事件」は戦後の日本社会にセンセーショナルなスキャンダルをもたらした。慎太郎と大宅壮一との対談の中で大宅が口を滑らせた(結果として名付けた)「太陽族」が、湘南で繰り広げるナンパ
もっとみる石原慎太郎の初期小説について(1)
「太陽族映画」がヌーヴェルバーグの種子を撒いたと言ってもそれは慎太郎の功績ではない。「太陽族映画」のそれぞれは執筆してあるので参照していただきたいが(別項「シネマde三昧」)、第二次世界大戦後の解放感、空気は世の東西もない全世界的な訪れだった。慎太郎自身は解放感に満ちたアプレゲールを背景として「ジャズ小説」を書こうと目論んでいたようだ。もっとも当時の「ジャズ」とはスィングから、ロックンロールまでを
もっとみる『奇想のモード』とシュールレアリズム
今日(1月28日)鑑賞に行きました。大流行りの「奇想」を冠した三つめの展覧会ですが、本来なら「奇想」は、シュールレアリズムこそあい相応しく使われるべき言葉と言うべきでしょう。今回のこの東京都庭園美術館での展覧会のタイトルは「MODE SURREAL/A Crazy Love for Wearing」(奇想のモード/装うことへの狂気、またはシュルレアリスム)ですから、とんでもないものに出会える期待が
もっとみる『水の中のナイフ』ポランスキーの処女作
『水の中のナイフ』(ロマン・ポランスキー監督1962年ポーランド)
ポランスキーが故国ポーランドで制作した唯一の映画作品にして処女作。多分に脚本を書いたイエジー・スコリモフスキーの趣味もあり、また撮影のイエジー・リップマン(ワイダの『 世代』の撮影カメラマン)の絵作りもあるが、この作品はより「ヨット、海(この作品は湖)、爛れた男女の関係、反抗的な若者」など「太陽族映画」の構成要素を持ち、またその影