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石原慎太郎の初期小説について(2)

(承前)戦後あらゆる支配原理がその権威と意味を空中に霧散させた時、思想の空隙を突いて石原慎太郎は登場した。『太陽の季節』がほとんど処女作で伊藤整を鷲掴みにして「芥川賞」が与えられたことは、言わば「事件」であった。そして、この「事件」は戦後の日本社会にセンセーショナルなスキャンダルをもたらした。慎太郎と大宅壮一との対談の中で大宅が口を滑らせた(結果として名付けた)「太陽族」が、湘南で繰り広げるナンパと無軌道な行動が週刊誌のネタになり、世間の顰蹙をかう中で青年たちはその風俗に世代的な憧れとアイディンティティを見い出した。これ以前、やはりマスメディアによって作られた「族」は太宰の「斜陽族」で、やはり文学の世界から飛び出した。太宰の存在は文壇の中に「無頼派」と呼ばれるツンデレの一派を生み出した。
石原慎太郎がその初期作品の中に描いた青春は、ブルジョワジーの子息たちの身の置き場のない焦燥だったのではないか。慎太郎は自らをアンファン・テリブル(恐るべき子どもたち)の一人と考えていたようで、つまりコクトーなどのフランス文学そして三島由紀夫に影響を受けている。その意味では伊藤整は息子が打ち倒すべき父親の役割を果たし、戦後の日本文学の「父殺し」に加担した。慎太郎自身がのちに芥川賞の選考委員を務めていた期間、ほとんど新人を認めなかった割には、自身は「太陽の季節」に肝を冷やされた先輩文学者の厚意と、好感によって文壇に登場したのであった。ほとんど不良じみた無軌道な突進や、享楽的なナンパは愛の不在、愛の不可能によるシニカルで、自暴自棄な行動を描いているに過ぎない。このような慎太郎の太陽族文学を心底から見抜いた作家は、ある意味では先行しながら並走していたとも言える三島由紀夫であった。(2)

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