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石原慎太郎の初期小説について(3)

(承前)たまたまボクが持っている筑摩書房「新鋭文学叢書」第8巻(1960年刊)が「石原慎太郎」で、その作品解説が三島由紀夫なのだった(写真は前回添付)。そして、どうやら巻末に掲載された「初期詩」を選んだのも三島由紀夫のようだ。

 遺ったものはなにもない
 砂はとっくに冷えきった
 全体、なにが蘇ろうーー
 ひしゃげた「原理」も「真理」もない
 いじけて惨めな乳くり合い
 三月で流れた胎児(がき)だけだ
「非業な太陽」/一橋文芸復刊第2号)

 「ただ一つの愛」だって
 まゝ 少年の寝言も聞こう
 呆けて熱い口吻けかーー
「二十三歳のバラード」/文芸手帖)

慎太郎がランボーやロートレモンを読んでいたかどうかは確認しようもないが、少なくともインモラルで偽悪的、権威を地に引き下ろし大人(父親)を驚愕させるコケ脅しの方法論はどこかで学んだような気がして仕方がない(一橋大学ゼミで仏文を学んでいる。文学とスポーツの二股は湘南高校時代から)。
そして三島由紀夫は、解説でその事を正確に読み解いている。

石原氏はすべて知的なものに対する侮蔑の時代をひらいた。」(先述の解説)

これが解説の一行目なのだ。さすがである。と言うかこれは強固な肉体主義と言う側面において三島自身も同じ穴の狢(むじな)ゆえの洞察なのかも知れない。そしてここに書かれた三島の解説を「ついに三島先生の目に届いた。胸に迫るものがあった」と慎太郎自身が後に感慨深く述べているのである。
この三島由紀夫と、石原慎太郎の反知性的肉体賛美至上主義を「六十年代」の「肉体の復権」と区別するためにここでは「アポロン(太陽)主義」と名付けておく。これは言わば男根主義でもあって、根強く女性差別的な偏見を秘めている。
この三島の解説の中で見るべきものは、慎太郎が書いた「ジャズ小説」の傑作だとボクが密かに思っている「ファンキー・ジャンプ」(1959年)をベタ誉めしている件(くだり)だ。小説はアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズの来日を契機にしたこの国のファンキージャズブームを背景にしている。モダン・ジャズが若者の音楽になっていく時期で、ジャズ喫茶が雨後の筍のごとく各都市ごとに幾つも作られていくと言う大ブームを引き起こしてゆく。
これを読むと慎太郎もかなりのジャズファンであったのではないかと推察させるのである。

(…)道化の男が一人 河の堤で魚を釣っていた
釣りながら男はトラムペットを吹いたよ
(…)俺は魚釣りの小船で帰って来たんだ
俺は船を止めて見た
白い疲れたサーカスの馬
なにか 黒い獣の檻
同じ年頃の軽わざの少年
少年は馬にかいばをやりーー
陽が落ち 河には風が吹いていた
「ファンキー・ジャンプ」1959年)

ここでは「感覚」や「幻覚」が音楽的に(つまりジャズのインプロビゼーションのように)言葉で畳み掛けられる。ここには余計な「アポロン主義」も、男根主義もなく肉体労働や、スポーツの渦中に流される汗に比例したかのような音への耽溺が、ポエトリーのように成立しているのだ。
少なくとも散文詩で描かれたような「ファンキー・ジャンプ」だけは、感覚が言葉を凌駕しているように思う。
ただ、これは1959年の作であるから許せるのであって、2022年の今日読むと拙い下手なビート詩のようで怖気を振るうほど恥ずかしくなってしまうのだった。やはり習作にしか過ぎない作品だと思った。

*注記 この論考には1960年までの初期石原慎太郎作品しかとりあげておりません。石原氏の逝去に伴って書いたもので、自分の関心の範囲でこれまで考えてきたことを文章にしておこうと考えたのです。従って石原慎太郎氏が政治家に転身していく過程も、その契機になったと考えられる「若い日本の会」などの活動も完全にスルーしていることを申し添えておきます。
(完)

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