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香月康男のデーモニッシュなシベリア

3月12日、ウクライナの国内で繰り広げられているロシアの侵攻作戦の戦時下で、香月泰男(1911-74)がシベリア抑留体験を回想して描いた重苦しいタブローを見てきた(『生誕110年香月泰男展』練馬区立美術館〜3/27まで)。香月康男のタブローはここにネットから拾った写真や、画像で提示してみたが全くその作品の重みを伝えられない。写真では香月の重く、ほとんど漆黒のデーモッシュなタブローは、まるでデザイン画や、スケッチの様なのっぺりとした軽さしか伝えない。と言うのも香月は、マチエールにとことんこだわり抜いているからだ。タブローはまるで石や壁の様にザラザラとした質感を持っている。そう言う名前の虜囚の作業を描いた『左官』と言う作品もあったが、下塗りしたカンヴァスの上に油彩に方解末(炭酸カルシウムの鉱物を砕き粉にしたもの)と木炭を混ぜ合わせたものを筆致を感じられないほどコテで引き延ばし重ねてほぼ真っ黒な画布が作られてゆく(参考展示されて居た絵具箱には、数本の筆があるばかりでペインティングナイフと鏝しか入っていなかった)。塗り固められた漆黒のそこに、浮き出る様に虜囚のまま過酷な作業、病で死んでいった戦友たちの顔が浮き出る幽鬼のごとく描かれる。それが「シベリヤシリーズ」のスタイルとなり、香月康男の代表作品群となってゆく。その効果たるや、ざらついたタブローの肌触りもあって壁に塗り固められた皇軍兵士たちの顔に見えてくるのだ(少し怖いくらいだ)。
タブローの脇には香月康男が残した「コメント」がある。作品のそれぞれの状況や、思い出などが綴られているのだ。実に簡潔で、迫力ある文章で切々とシベリア虜囚の苛酷さが伝わってくる。
ところで先般惜しまれつつ亡くなった「知の巨人」立花隆が生前インタビューで残した言葉に「ボクの出版デビュー作は、シベリア虜囚の香月康男さんのゴーストライターだった」と言うものがある。ありとあらゆるジャンルに知的好奇心を掻き立てた立花隆の作家デビュー作はゴーストライターとしてのそれだと言うのだ。だとするとこの展覧会でも、著作から引用されている多数の言葉、香月康男のシベリア虜囚の思い出を綴った言葉は、香月にインタビューして「自伝」を纏めた立花隆のエクリチュールが、混在していることになる(おそらく『私のシベリヤ』1970年。文芸春秋社)。今、その特定作業を、ボクはする気持ちもないが、兎も角もその事は頭の片隅に留めて置いた方が良さそうだ。

ロシアが仕掛けたウクライナ事変の最中に、開催された『香月康男展』は緊張感を持って作品に向かえたし、こんな向かい方もそうそう出来ることでは無いだろうと思えた。
評価〈★★★★〉

(追記)言うまでもないだろうが、ボクが香月康男のタブローを観たのは初めてでは無い。
絵具箱の内側に文字が書かれてある。シベリアシリーズの『絵具箱』という作品でなんと書いてあるか分かる。
絵具箱の蓋の内側には「葬月憩薬飛風/道鋸朝陽伐雨」と言う漢字が並ぶ。香月のタブローには日付けや、地名や、言葉の断片がキリル文字で大書されたりする。それがなにゆえなのかボクにはいま分からない。(mar.13,2022)

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