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無職日記#11 「これからどうしよう?」の不安が頭を埋め尽くしたときは、今に意識を向けてみる

夜に訪れる、思考の渦

22時を過ぎると、いろいろなことが脳内を駆け巡る。日中は見ないふりをしている不安や迷いが、一日の終わりへ差し掛かった静寂とともに姿を現すのだ。
ゆっくりお風呂に浸かって、ヨガでもして、おとなしく布団に入って眠ればいいものを。一度回り始めた脳は止まってくれない。

これからどうする?
このままで良いわけない。
体調が安定しないのは言い訳かもよ?動き始めたら変わるかもよ?
そうだ、この経験を活かした仕事をすればいいんだ。
ソーシャルワーカーとか心理士なんていいんじゃない?
国家資格も取れるし、退職したことも無駄じゃなくなるし、病人としての自分の経験も活かせるはず。
きっと周りも「あっこ、すごいね!がんばれ!」ってなるし、社会になじめない自分の弱さを正当化できるはず。
どこに行ったら資格取れるの?学校に通う必要があるのか…
通信制だと安いらしい。学費は?何年かかる?似たような人はいるのだろうか。探してみよう———

無我夢中でインターネットの海を泳ぎ、ハッと我に返る。“今の”自分を失いそうになっていたことに気づく。そして、今の自分を否定していることにも気づくのだ。

まだまだ体調悪いよ。しんどいし、外に出るのも億劫。
社会に出るのはもっと怖い。働くなんて、想像つかない。また同じように辛いことがあったら。苦しむことになったら。そんなの嫌だもん。もうちょっと休もうよ。

今の私はそうやって声を上げているのに、「社会」になじもうと無理矢理自分を変えようとしている。
「大丈夫、ゆっくりでいい。まだまだ人生は長いから」
なんてnoteに書いて、もらったコメントにもそんな風に返事しておきながら、自分が一番焦っているのだ。

自分を無理矢理変えようとするとどうなるか

誰もが納得するような、わかりやすい「正解」に向かうことで「これでよかったんだ」って安心しようとしているのだろう。
資格を取ったり社会に貢献できるような立派な仕事に就いたりすることで、「誰か」に認められる生き方をしようとしてしまうのだ。「誰か」は、親とか、姉たちや親戚、近所の人たち、友人、知人。自分以外の人間のこと。

「今何しているの?」
「◯◯しているんだ〜」
「そうなんだ!すごいね!」
という会話のシミュレーションまでして。

4年前、無職になったときも同じ思考回路だった。
1年間の無職期間を経て、自分を変えようと就職活動をして、再就職した。

↓4年前の無職〜現在に至るまでの経緯はこちら

結果、どうなったか。
会社の名前や広報をやっていることを話したら、「すごい!」と褒められた。
けれど、誇らしかったのは最初だけで、どんどん苦しくなっていった。
些細なことに傷ついて、ちょっと外出するだけですぐに疲れてしまう私は変わらなかった。
一人でじっくり考えながら仕事をすることが好きで、周囲に誰かがいたり雑音があると仕事に集中できない私も、
初めての人や場所は心臓がバクバクして汗が止まらない私も、
突然鳴り響く電話の音や、次から次に流れ込んでくるチャットやメールは情報過多になりすぎてパニックになる私も。
何も変わらなかった。変えようとすればするほど、息苦しくなっていった。
自分とは正反対の性質を求められる職場環境と仕事内容に、苦しくなるばかりで。馴染もうとすればするほど、びっくりするくらいしんどくなった。

誰かが決めた「すごい」「立派だ」という評価を気にして、自分を押し殺して変えようとすることほど恐ろしいことはない。自分を無理に変える必要がある環境は、少しずつ己を蝕み、積もり積もったストレスによって体はSOSのサインを出し始め、やがて起き上がれなくなるほどにボロボロになるのだ。

今回の休職と退職を経験して、身を以て痛感したというのに。気がつくとまた、同じ思考回路になっていたのだ。まったく、人間というのは恐ろしいものだ。癖になった考え方というのは、なかなか抜けないらしい。我ながら恐ろしいとさえ思う。

「これからどうしよう?」の不安に陥った時の対処法①:瞑想

昨夜も4年前と同様に、誰もが納得するようなわかりやすい「正解」探しをし始めて、「これからどうしよう?」の不安でいっぱいになったので「瞑想」をしてみた。
「瞑想」だなんて、なんだか急にスピリチュアルな話じゃないか、と敬遠しないでほしい。私自身も、そんなのなんの意味もないでしょ、と馬鹿にしていたのだが、瞑想をしてみたらびっくりするくらい不安が和らいだのだ。
雑念から解放され、過去や未来を行ったり来たりして散漫になっていた思考が、少しずつ“今”に焦点が合わさっていく感覚。不思議と落ち着いてくるのだ。
日頃から体をほぐす目的でヨガをしているのだが、今回のように思考の渦にハマった時はヨガには集中できない。あれもこれも気になって、じっくりとポーズをとる余裕がないのだ。
だが、瞑想だと不思議と雑念が消えていく。瞼を閉じて、聞こえてくる加湿器の音や体の感覚に意識を向け、呼吸をすることに集中するからだろう。

ちなみに、私はYouTubeの「B-life」というヨガチャンネルを愛用している。気になる部位にフォーカスしたメニューもあるし、5分や10分の短い時間でできるメニューもある。その時の自分に合った動画を選べるので、とても使い心地がいいのだ。

もちろん、瞑想のメニューもある。17分のメニューだが、5分ほどで限界がきた。急に便意を催して、トイレに行きたくなったのである。笑
意識が過去や未来に飛びすぎて、便意すら感じられていなかったということだろう。体の本能的なサインさえ拾えなくなるくらい、思考に意識が持っていかれていたのは、あまりいい状態とはいえない。
5分ほどの瞑想でも、かなり思考がクリアになったし雑念が減って「ま、考えても仕方ないし。とりあえず動画でも楽しんで寝るか笑」というモードに入ることができた。そのおかげか、割とすんなり寝入ることができたし目覚めも良かった。
気になった人は、ちょっとだけ覗いてみて欲しい。海の映像が綺麗なのも推しポイントだ。

「これからどうしよう?」の不安に陥った時の対処法②:ジャーナリング

瞑想のほかにも、「ジャーナリング」という方法もおすすめである(ちなみに、ジャーナリングは「書く瞑想」と言われているらしい)。
方法は色々とあるらしいが、私はとにかく筆を止めずに思いつくまま書くということをしている。字が汚くても気にしない。とにかく、思い浮かんだ言葉や文章をぶわぁ〜と書き出すのである。すると、思ってもいなかった言葉が出てきたり、考えていることがクリアになっていってスッキリする。

ちなみに、この画像は昨日私がiPadに殴り書きしたジャーナリングの産物である(しかもトイレで)。そして行き着いた答えが「今を大切にしよう」だった。

昨夜書いたジャーナリング。
字が汚くても全く気にしなくていい。自分が読めればいいのだ。
だから、気にしないでね?笑


スマホを開けば、比較対象にあふれかえっている

今の時代、スマホを開けばすぐに情報にアクセスできる。情報が溢れかえり、いろんな選択肢があるからこそ「迷い」も出てくるし、今の自分と周りとを比較することも容易い。そうなると、自ずと焦ってしまうし無職の身となるとなおさら、「これからどうしよう?」という思考に陥りがちだ。

だけど、大切なのは「今」だ。
自分が今、どういう状態なのか。いい状態でも悪い状態でも、丸ごと受け入れる。
どこかのだれかと比べるのはやめて、今のありのままの自分を受け入れる。自分が楽しいこと、心地いいことだけしてみる。
すると、点と点がつながって少しずつ未来へと歩き出していくことができるのだ。
焦らなくて、大丈夫。今の自分を信じて、少しずつで。

イラストbyあっこ
瞑想しているときの凪いでいく感覚を描いてみました。
このあと私は、便意を催すわけですが。笑

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