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晶子
2020年10月25日 10:43
寒くなってきて、毎日、何かしらの温かい煮物を作るようになってきました。田舎での滞在もあと少しの予定にも関わらず、醤油と酒が無くなりそうになり、移動販売の魚屋さんに注文。魚屋さんによると、最近、醤油や酒、みりんが売れるのだそうです。どこの家庭も同じように、煮物の頻度が増したのかもしれません。雨まじりの寒い1日は、外に行けず気が滅入るので、料理で気を紛らわそう!と、イカと里芋の柔らか煮を作る
2020年10月17日 21:48
白鳥の声が上空で聞こえ始めた頃から、鳥海山が赤みを帯び、夕日が南寄りに沈むように…。一面の鮮やかだった緑が、砂の色に馴染んできました。秋は、実り多く紅葉が美しい季節でありながら、なんだか少し寂しい気分になります。冬の気配を感じるからなのか、年齢のせいなのか…。夜が長くなり、つい先日まで聞こえていた虫の声が止んでいます。そのかわりに、日本海から押し寄せる風とうねる波の音が、重なりながら、辺
2020年10月10日 15:34
明治生まれの亡き祖母の和箪笥。随分長い間、放ったらかしにされていたので、中をチェックしてみました。お出かけ用のシックな和服や小物が入っているのは知っていましたが、意外にも、立派な洋服が数多く収められていました。これって本当にお婆ちゃんの服?と思うような、モダンなレースのカーデガンや、1970年代っぽい柄のブラウスも…。よくよく思い返してみると、祖母は、東京で共働きの息子夫婦に赤ちゃんができ
2020年9月26日 23:17
秋分の日が近づいてきたある日、実家の庭に彼岸花が姿を現しました。こんなの所にいたんだネ。久しぶりに、彼岸を実家で過ごすことで、この花が庭にあったことに気付きました。彼岸に墓参りをするのも久しぶりでした。亡き父と、親しくしてくれていたご近所さんが、墓前に花を供えてくれていたので、帰り道、その人の自宅に、お礼を言いに立ち寄りました。その人は、年々、飲み友達が去っていき、彼らに挨拶するため、
2020年9月17日 17:06
春、鳥海山が真っ白だった頃、コロナを避けて帰省して、約半年が経過…。買い物に向かう乗合タクシーから、黄色くなった田んぼを眺めていると、運転手さんが、ここ数日で、稲刈りが一気に行われるだろうと、教えてくれました。穂が出て、積算温度が1000度になると、稲刈りをするのだそうです。今年は、長雨で夏が短く感じたけれど、いつの間にか、稲刈りの季節になっていました。今年は家庭菜園でいろんな野菜
2020年8月25日 21:59
東京で、満員電車や複雑な路線の乗り換えに慣れなきゃいけないように、田舎では、草木のメンテナンス作業は生活の一部。樹木は、気が付くと巨大化し、自分のキャパを超える存在になってしまいます。アカシア祖母が、成長が早く、焚き木として重宝するため、北国の生活ではありがたい樹木だと語っていましたが、焚き木にしないで放置していたら、大変なことになりました。隣の家との境界に、自然に生えてきたアカシアが、
2020年8月20日 11:16
田舎のホームセンターに行くと、様々な農具やガーデングッズがあります。実際に畑仕事などを体験してみて、はじめて、なぜ、こんな形態(デザイン)になっているのかが理解できたりします。農作業や庭作業は、同じ作業を繰り返し行うので、道具が使いやすいかどうかは、かなり重要。また、メンテナンスしやすく、丈夫であるというのもチェックポイントになります。服装屋外での作業は、日差しが強く、また、いろんな虫が
2020年8月6日 21:57
10年近くほったらかしにしていた実家の畑地は、草原と化し、さらに木も生えてきて、このままでは森林になってしまいそうな状態でした。2015年から、帰省するたびに、少しずつ、草を刈っては何かを植え、「ワイルド菜園」と名付けて野菜栽培を楽しんでいます。一年目は、3メートルほどの畝を7列ほど耕し、ジャガイモ(4月上旬)、サツマイモと落花生(5月中旬)を植えました。砂地で水はけが良い土壌向きの無難な野
2020年8月5日 17:51
東日本大震災が、田舎回帰のきっかけに便利さや合理性重視の東京の暮らしに、漠然とした不安を感じるようになったのは、2011年の東日本大震災の頃からです。福島の原発事故も、丁寧な生活、自然との共生というものを考えるきっかけになりました。東京で災害があった時、どこか避難する場所が欲しい。都会の生活に疲れた時、自然に囲まれ、ほっとする場所が欲しいと思うようになりました。震災後、山形県の庄内地方に