有機無農薬米栽培チャレンジ3年目、甘えが招いた失態を晒す
3年目となった無農薬・無化学肥料での米づくりも収穫を迎えた。
結論から言うと、昨年に続き大失敗と言える事態となった。
昨年からの改善を図ったつもりの結果なので、かなり落胆している。同時にそもそも米づくりができる立場なのか、ということに目を向けざるを得ない失態を犯してしまった。
なので、今回のレポートはネガティブな感情が入ってしまい、読みづらいものになるかもしれないが、これから田舎暮らしを始めて念願の米づくりを始めようとする人たちの反面的な教材になればと思う。
(用語などの説明はリンク先をご参照ください)
少なすぎる収量とその要因
1. 収量と環境的要因
まず今年の成果は、最終的な収量ではかるべきだろう。
1反あたり170Kg。
有機栽培で最低限の目安となるであろう、1反あたり6俵(360Kg)の半分弱しか採れず、これは失敗に終わった昨年の260Kgよりさらに下回る。正直昨年よりは改善したと思っていたので、これは予想していなかった。
ちなみに1年目は1反7俵420Kg採れているので、もともと栽培に難がある圃場というわけではない。むしろ用水は豊富に供給できるし、日当たりも悪くはなく、好条件と言っても良い圃場だ。
気候面はどうか。8月15日付の作柄概況では全国的には平年並みの収量とのことではあるが、これ以降も雨が続いていたため下方修正される可能性はある。実際、多湿の環境が続いたせいか、近隣の圃場では大規模なイモチ病が多発していた。だがうちの圃場ではイモチは確認されていない。この要因が何かは特定できていないが、幸か不幸かとにかく稲の生育への影響はないとみられる。
その他、カメムシなどもほぼ見られず、失敗の原因が不可抗力的な外部要因ではないことはわかる。つまり自分のやり方に問題があったことが確実だ。
2. 雑草防除の失敗
昨年、稲の生長を阻害する水田雑草の代表格、コナギの防除に失敗し収量を減らした経験から、早めの灌水、3回の深水代掻き、田植え後1週間での田転がしによる除草、その後はけずっ太郎などによる株間の除草を施した。
結果としてコナギの量は昨年よりマシな感じではあったが、あくまでマシなだけ。田転がしや削ったろうなどで2反弱の圃場を手作業でかけて回るのは、体力的に相当しんどい。確実に防除するなら、少なくとも2回3回は回らないといけないのだろうが、体力的にも時間的にも手が回らなかった。
おそらくチェーン除草の方が除草効果が高いとみられ、体力的にも少しは楽なので今年はチャレンジしようとも思ったのだが、既製品がないため自作するに限られ、その時間がとれなかった。
ヒエも昨年よりも大量に発生してきた。1年目、2年目までは何とか手で抜くことができたが、今年はもはや手が付けられないほど。これは原因がわからない。防除には体力的、時間的な限界もあったし、雨続きでなかなか作業に向かうことができず、最終的に傍目に見ても稲よりヒエが優勢となった。ヒエの影に隠れた稲は分げつが少なく実付きも悪く粒も小さい。
3. 水管理の不手際
雑草防除の基本として深水を維持することがあるが、稲の根張りを促進するための中干しをすると、圃場の面が表出するため必然的に雑草も成長する。また肥料を多用しない農法では中干しによる過剰分げつの抑止をする必要がないため、無農薬栽培では中干しをしない方がいい、という向きもある。
ここら辺の知識について曖昧かつ、稲の生長の様子を見ても今どんな施法が必要なのかを判断できていないので、結果周りに倣う形で中干しをして必要な分げつを止めていた可能性があるし、ついでに雑草も増えたということだろう。
逆に、出穂期の最も必要な時期に水を切らして乾かしているような不手際をしていて、そうなれば当然穂数が足らず、未熟な米も増え、収量は減る。実際収穫したコメのかなりの部分が不良で弾かれていた。
4. 施肥の皮算用
1年目では無施肥にしてかなりの収量を上げることができたのだが、これは2年前まで畑として使っていたため、その残肥が効いたのだと思われる。
しかしそのことを軽く見て、2年目も無施肥に近い状態で、まあちょっと減るぐらいでそれなりに採れるだろうと皮算用で栽培した結果、収量4割減となった。
その反省から今年は堆肥を全面的に投入、と考えていたが、春先に時間が取れず、家に保管していた乾燥鶏糞を施用した。が、土壌成分の分析をしたわけでもなく、これだけいれとけばいっか、目分量で投入。
初期の成長を見るとそれほど悪くない感じはしたが、大量のヒエに吸われただろうか、それとも十分に肥料分として機能していた上で他の要因での収量減なのかはわからず、後で不良だった検証ができないという点でも手落ちである。
他にも田植えの際の深さだとか、温度管理や、いろいろとあるとは思うが、少なくとも以上のことが収量を減らした主な原因だろう。率直にいって、不勉強と怠慢、体力不足、時間不足が招いた事態である。
ここまでなら、自分の責任でバカにされようがいい話なのだが、問題はまた別のところにもある。
農機具・設備がなくて米を作れるか
稲作用農機具・設備のコスト
今の住居は妻の実家でもあって、田畑はもともとこの家の持ち物である。しかし稲作をする農機具は自分が住む前には手離しており、去年かろうじて田植え機を購入しただけである(トラクターは残っていて使える)。
本来、個人が稲作をやろうと思えば、他に刈り取りのためのコンバイン、乾燥・籾摺り機、色彩選別機など、いわゆる「調整」のための一連の設備が必要となる。
持っていない場合は、農協さんなどに委託し近隣のライスセンターに持ち込み、玄米の状態にまではしてくれる。が、他の圃場のコメと混合された中から自分の収量分を分けてもらえるので、わざわざ無農薬で栽培する意味はない。
(一連の農機具・設備については「農地コンシェルジュ」のサイトを参照にしてください)
しかしこれらを揃えるためには、コンバインの中古でも数十万はくだらないし、乾燥機などまで含めれば100万以上の出費は覚悟しなければならない。トラクターが残っていただけまだこれでも出費は少ないだろう。(もっと安く済むよという人もいるかと思うが、それでも今の自分には十分手が出せない)
ざっと計算すると年間のコメ消費量を一人50キロ(令和2年度値)として、子どもが成長することを見越して家族全員で250キロ、スーパーで1キロ500円なら12万5千円となるので、機材をそろえた場合ペイするのに10年かそこらぐらいかかることになる。これをどう受け取るかは人それぞれだろう。
なければ借りればいい、のか
とにかく今の自分の収入ではすぐに揃えられるものではないので、収穫に際しては必然的にこれらの機材を借りる必要がある。
昨年までは幸いなことに収穫から調整までを近隣の農家さんに一手で引き受けてもらうことができた。なので、今年も稲刈り前にお願いすればいいか、など高をくくっていたのがまず間違いの始まりだった。
今年は天候不順もあって稲刈りできるタイミングが限られ、どこの農家さんも忙しく、簡単に、お願いできますか、などと言えない状況であった。稲刈りを引き受ける農家さん自身高齢化が進んで、調整まで手掛けるには負担が大きい。オレのような新参者をさらに引き受けるには余程余裕が必要なのだ。
とにかくまず少し離れた別の農家さんのところで、空いたタイミングで乾燥機だけはお借りできることにはなった。稲刈りまではコンバインを運んでくる必要があるし、ご多忙の中そこまでお願いはできない。
なんとかして刈り取りと脱穀までは自分でしなければならない。
コンバインを借りる、というのも考えられるが、まず個人の所有のものは貸してもらえらない。他の農機具でも同様だが、借りて万が一壊した場合、あるいは不調になったとき、人間関係のトラブルにまで発展することが多いあらだ。例え相応のお金を払ってたとしてもだ。
稲刈り前に慌てふためく
慌てて考えだしたのは、農機具屋さんからバインダーとハーベスターをレンタルして生藁(わら)のまま脱穀する方法である。
本来バインダーは、はざ掛けのために稲をまとめてくくりながら刈り取っていく機械で、数週間の天日干しののちハーベスターで脱穀するのが通常だ。しかしはざ掛けのための「はざ」を2反弱分も組むのはそれこそ途方に暮れる話だ。
乾燥機の使える日も限られている中、束の間の晴れ間を狙ってやるしかない。乾燥していない生藁をハーベスターにかけると絡んで詰まってしまうぞと散々農機具屋さんにはアドバイスを受けた。自分でもアホなことをやろうとしていることはわかっている。
結局ちっとも土が乾かずぬかるんでいる中ではバインダーが機能せず、なら手刈りするしかない、と挑んでみたものの、一人で2反弱はあまりに広すぎた。レンタルしたものをほとんど使用することなく、この方法は断念することにした。わずかばかり手刈りした跡が余計にむなしい。
農機具屋さんには途中機械の調整に来てもらったりもして、強引なオレの申し出に協力さえしてくれた。その挙句の失敗に会わす顔もなかったが「いい勉強にはなったな」と声をかけてくれたのが、沁みた。
やっとコンバインが借りられた…が
これで振り出しに戻った。藁をすがる思いで、昨年稲刈りを引き受けてくれた農家さんに、コンバインだけかけて刈ってもらえたらあとは自分たちでやるので、とお願いしたら、乾燥と調整をしなくていいなら今後のこともあるし使えるようになっといた方がいいだろう、ということで、コンバインそのものをお借りすることができた。
ようやく晴れが続き土もよく乾いたタイミングで、やや小型のコンバインを持ってきていただき、操作を教えてもらいながら自分で刈り取りを済ますことができた。
操作自体は慣れればそれほど煩雑なものではない。しかし昨年よりマシだろうと高をくくっていた収量が想像以上に少ないことに途中から気が付いていた。
2反弱から採れる米としては絶望的に少ない袋を遠方までお義母さんが運んでくれて、その日の内に乾燥、翌日には玄米にまで調整されて、終わったよと連絡を受ける。
袋数10袋・・・
収量の少なさ自体は先にも書いたが自分の責任だから、自業自得ではある。
それよりも、こんなわずかな収量のために、周りを巻き込んで協力してもらって迷惑かけてしまって、本当に自分がとんだ厄介者にしか見えなくなった。
できないものはできないんじゃない?
そもそも機材もないのに、無農薬で自分の米を食べたい、という思いだけで、最後までの段取りもないまま見切り発車していること自体に間違いがある。誰かが何とかしてくれるだろう、言えばやってくれるだろう、と周りの親切を当てにした行動を客観的に見れていなかった。
もちろんすべてに費用はお支払いしている。しかしそれ以上に有形無形のサポートをしてくれているわけで、お金を払ってるんだからこちらの都合で良い、というはずがない。
農村の人間関係が互恵的な交換をベースに成り立っている以上、自分の一方的な思いだけで、スムーズに事が運ぶことはない。費用は最低限のものであり、自分のやっていることがこの地域にとって喜ぶべきことでなければ、かかわってくれた人たちの気持ちとの交換が成立しない。
つまり、例えば収量が人並にでもあれば、じゃあまた来年何とかしようかという相談もできるだろうし、たとえ失敗しても、だれが見ても明らかなほどに田んぼにいて精を出していた、ということなら、これからのこの地域にも希望が見える、と協力的に受け取ってもらえるかもしれない。しかし失敗も性懲りもなく繰り返していれば、だんだん周りの目も厳しくなってくる。
言い訳なら山ほどある。稼業が忙しいから、子どもに手がかかるから、雨が続いたから、カネがないから。
そのうえ道具もないなら、自分でやるのは時期尚早としか言いようがない。
ましてや余計に手間のかかる無農薬だなんて、自分の構うことのできる規模を超えてるのに、手が回らなくなるのは当然の帰結だ。
近ごろ農村部でも親から田畑を受け継いでも、宅地にしたりする人は増えている。農薬を使ったところでカネも手間もかかることに変わりなく、勤めで忙しい世代では構いきれないのだから、豊かな田畑を潰したなどと一方的に責めるわけにはいかない。
逆に言えばなぜ農村部で稲作をしている人たちに高齢の方が多いのかもわかりやすい。
自分もまた岐路に立たされる。独りよがりの無農薬志向でわずかな収入を機械につぎ込み稼業の手を止めてでも田んぼに繰り出していくのが良いのか、それともしっかりと稼業の足元を固めて時間と気持ちの余裕ある家庭を築いていくのが良いのか、と。
この田舎暮らしの中で何を優先すれば、自分も周りも満たされるのだろう。来年の春までに何か答えが見つかるだろうか。
とにかく収穫は終わった。幸い今年自分たちで食べる分の米ぐらいはできている。今日も食べられることには感謝しよう。
↓これまでの米づくりの顛末。毎年反省反省で何も進歩もない。
一年目
二年目
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