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米作り2年目で無農薬栽培にチャレンジしたらいろいろやらかした話

田舎暮らしをする人、したい人なら誰でも一度は憧れる「無農薬の米づくり」。

岐阜県恵那市に移住して9年になるが、昨年初めて米作りにチャレンジした。

有機野菜の栽培は経験を積んだものの、米は全くの未経験、見様見真似でやってみたら、それなりに採れて初めてにしては上出来だった。

いろいろ大変だったけど曲がりなりにも成果が出たので、今年は、とにかく一度は無農薬でやってみたい、という思いを実行することにした。

今回はその顛末を書くのと同時に、コメを自前で育てて自分で食べるという文化が農村に多く残っていることも感じてもらえたらと思っている。

このnoteでは都会暮らしの筆者が岐阜県恵那市に移住して9年の農村暮らし経験に加えて、30年以上の音楽経験(仕事レベルで)や登山経験(登山店勤務経験あり)、アフリカでのワークキャンプ、地域おこし協力隊、有機農業、現在は夫婦でEC運営、といろんな畑を歩んできた自分の経験からお伝えできるトピックを発信しています。(所要時間7分)

エピローグ~昨年の初めての米づくりからの流れ~

実は昨年は田植え直後の除草剤を1回だけ入れた。

曲がりなりにも無農薬にこだわった野菜の生産者としてやっていた自分が、1回でも農薬を使ったのには、これまでの経緯が少なからず関係している。

(ちなみに自分で苗を育てずに業者から購入すると、その時点で農薬が施用されているので、オレの場合も1回というのは、田んぼの中での農薬施用、という意味になる。)

オレは有機野菜の生産者として4年ぐらい直売をしていた経験があるが、家計や家族、自分自身の心身への負担などが大きくなり、3年ほど前に休止している。

しかし田舎暮らしをする身にあって、何もその恩恵を受けないのであればここに暮らす意味はない。野菜に比べたら比較的手のかからない米をつくり、自分たちの食べる分だけでも収穫できたら、どんなに満たされるだろうと昨年から始めることにした。

稼業の時間を削らないようにすることが優先事項だったので、なるべく手間は減らしたい。何もしなければ雑草だらけになって結局それを処理する手間が増えてしまう。それでは本末転倒だ。何せコメを植える田んぼは1.7反ある(500坪以上)。

そこで農薬を使う、という決心をした。本来奨励されている方法だと、収穫までに20回以上の農薬散布が必要とされているが、そこまでする必要ないと判断した。まずはテストケースとして1回だけ初期抑草をしてみて、あとは様子を見ようと考えた。

しかし撒き方をどうやら間違っていたようだった。近所の人たちから指摘を受けて初めて気が付いたが、農薬施用にはタイミングもあるので撒きなおしはしなかった。

結果としてそれなりにヒエやアワは生え、その除去に友人たちの手も借りて数日分はかかった。しかし、思ったほど草生えないじゃん、というのが正直な感想だった。カメムシもつくにはついて精米しても黒い米粒は多少混ざったが、ほとんど気にならないレベルだった。

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何より、1反あたり420kg採れた。これは昨年の岐阜県の平均反収480Kgに対して、有機としては上出来だと言える。

これなら無農薬と変わらないじゃないか、手間も思ったほどではないのなら、とポジティブな感触を得て今年の無農薬での米作りを決心させた。

(昨年の米づくりについてはこちら)

今年の米づくり

土づくりについて

栽培にあたっては農薬の有無はもちろんだが、どのような土づくりをしたか、という話もしなければならない。(ちなみに品種は作りやすいと言われる「ひとめぼれ」)

昨年は畑として使っていたところを田んぼに戻して使った。おそらくまだ堆肥の効果が残っているはず、と踏んで無施肥で臨んだ。これは正解だった。

だがひとたび穀物を栽培すれば地力は落ち、何かしら補充してあげる必要がある。

あまり肥料も使いたくなく、できれば植物性の堆肥を使いところなのだが、何しろ時間がない。やや地力の回復には向いてはいないが即効性重視で、有機野菜に使っていた、遺伝子組み換え飼料を使わない地元養鶏農家からいただいた乾燥鶏糞をほどほどに撒いた。

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(鶏糞を乾燥させている様子)

これが無農薬とあわせてどのように作用してくるか。結果は収穫まで待たねばなるまい。

無農薬栽培の洗礼

さて、無農薬の話だ。コメの無農薬栽培にあたっては何もノウハウなどない。

無農薬で抑草をするには、田んぼに冬の間も水を張っておく冬期湛水、または水を張り始める時期を早める早期湛水が効果的と聞いてはいた。

しかし用水は地域全体での管理なので、自分だけ使うのに勝手に取水口を開けるわけにいかない。

オレの採れる方策としては、田植え後の深水管理だった。これは苗を植え付けた後、通常なら田んぼの水の水位を下げ、根付きをしっかりさせる、という行程があるが、深水管理では水位をむしろ上げ、雑草類の発芽を抑制する効果を狙ったものだ。

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しかしオレの田んぼはどうも土面の平均がとれていないようで、水が深くなったり浅くなったり場所によって違いが出てしまう。

あと思いの他水が抜けていってしまうので、気が付いたら土面があらわれてしまっていたりもした。

田植えは5月中頃だったが、2週間もするとイネの列の合間にちらちら雑草の芽が見えてきた。いやこれは昨年よりだいぶびっしりと生えているように見える。

昨年撒き方を間違ってたとはいえ、実は抑草剤はそれなりに効いていたのかもしれない。それとも初めて米づくりする田んぼはそんなに草が出ない、とか聞いたこともある。土を掘り起こすことで土中に眠っていた種が目を覚ましたのか。それとも気温や天候が関係しているのか。
何が原因と決めてかかるには手掛かりが少なすぎるので、早急な結論は出ないが、そんなこと言ってる間に雑草の芽は次々に目を覚まして田んぼを埋め尽くそうとしている

オレは焦った。どうすればいい。今から農薬撒いても生えてしまった草には効果が薄い。いやそもそもそれでは今年無農薬でやろうと思った意味がない。

「田転がし」での除草もつかの間に

そこで思い出したのが倉庫に眠っていた「田転がし」だった。

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今は亡き妻の祖父が使っていたと思われる、木製のこの道具。現在では動力付きのアルミ製のものが使われていたりもする。この回転する歯で、文字通り田んぼを転がし、雑草の芽を土ごと掻き出してしまおうというわけだ。

しかしこれがまためちゃめちゃきつかった。ゆるんだ土にくるぶしまで足を取られ、歯に絡む土の重い抵抗を感じながら体中の力を使って押していく。押すだけでは芽がとり切れないので、後ろにひいたりもする。

慣れないうちは15分かけて100mも進めば、初夏の厚さも相まってもうバテバテである。なんとか妻と交代で力を振り絞って数日でこの作業を終わらせた。総距離はたぶん5kmぐらい。

田転がしで土を返したその後には、小さな雑草の芽が大量にぷかぷか水面に浮かんでいた。これを見て、これはかなり効果があるだろうと、消耗しきった心身に一抹の期待がこみ上げた。

しかしそんな期待は束の間のことであった。

多種多様な草々、特にオモダカ、ホタルイといった草は昨年にはほとんど見られなかった種類であるが、突然のように生え始めた。

コナギは昨年も見られたが、今年は爆発的に増えしかも巨大化している。

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ヒエやアワは比較的束状で生えてくるので、抜いていけばそれなりにキレイになるが、コナギなどはイネの株の隙間中にびっしりと生えているので、もう手の施しようがない。

とりあえずもうあきらめて、ヒエ・アワだけは抜いて始末することにした。

実は近年の選別機は非常に精度がよろしくて、収穫した際ヒエ・アワが米に雑じることはない。だからさほど神経質にならなくてもいい気がするが、ヒエ・アワが実をつけると近隣の田んぼに種が飛ばされるということで非常に嫌われる。見た目にもわかりやすいので、こちらは1か月近くかけて朝のちょっとした時間に抜いてきた。

やがてイネも実をつけ黄金色に輝き始め、表面上はそれなりな田んぼの姿になってきて、果たして収量はどれほどになるだろうと、不安と期待が入り混じながら収穫の時を待った。

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収量はいかほどに

9月中旬、収穫を無事終わらせた。

収穫は近所の農家さんに協力してもらってコンバインを出してもらっているのだが、刈っていくさなかにも明らかに実つきが思わしくない株が目立ち、「これはちょっと少ないなあ」と言われるぐらいだった。

収量が落ちることは草抜きをしてイネの間に分け入ってる時から覚悟はしていた。もともと無農薬で育てるのも一つのテストとしての意味合いが強かったから、自前で食べられる分ぐらい確保できればそれでよかったが、やはり結果がある程度出てこないと、徒労感ばかりが残り、精神衛生上よろしくない。

収穫したモミの乾燥とモミ摺り(コメからモミを取り除いて玄米にする工程)を2日待って、収量が明らかになった。

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反収約260㎏。

昨年比60%。

岐阜平均の半分。

実はもっと減ることを覚悟してたので、これでもオレにとっては「意外に採れたな」というちょっとした安堵感さえあった。

なんとか今年の自給分は確保できた。

あとは肝心の味だ。

今年のコメの味はいかに

昨年ははじめてにもかかわらず、いやはじめてだからか(ビギナーズラック的な)、それはそれは美味しいコメが食べられた。瑞々しく透明感のある甘みで何杯もおかわりしてしまう美味いコメ。これは無施肥で余計な肥料をコメが吸収しなかったからと思われる。

今年は少量とはいえ鶏糞を施用した。それがどう影響するか。

近所の精米所で玄米を白米に精米し、愛用のオールパンで炊く。

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色艶は良い。

カメムシがとりつくとできる黒いコメはほとんどない。

食べる。

美味い。

口に入れるとスッキリした口当たりの良さで、数口噛んでいくと甘みがわき立つ。

良かったよかった。味が美味ければすべてよし。

品種の「ひとめぼれ」はどちらかというと食味より育てやすさに特徴があるが、ここまで美味しくできればいうことない。

さっそくコメだけで数杯いただいてしまいました。

収量減の原因は?

なにはさておき美味いコメがある程度確保できたのは喜ばしいことだ

収量は落ちたが、有機野菜を育てていたころから、収量を上げることがひいては地力の低下を速めるということを学んでいたので、いたずらに収量を増やすということは避けたい。

が、さすがに昨年の3分の2、平均の半分ではちょっと寂しい。せめて慣行の8割ぐらいまで採れるようになってから「採り過ぎはちょっとね」という話をしたい。

そこで来年のために収量が落ちた原因を考えてみる。

まず無農薬であったことが減収につながったと考えられることには、

・雑草の増加、とくにコナギなど窒素吸収の旺盛な雑草が大量に生えてしまった。

ことが最大の要因と思われる。
田転がしで何日もかけて、やっと除草が終わったと思って最初の方の箇所を見るともう別の芽が目を出し始めている。昨年のコナギの繁殖状況を見てそれほど影響は出ないと甘く見積もったのも失敗だった。草を浮かせたあとに、その残渣を田んぼの外に出さないと結局また土に活着してしまうことも考えられる。
ヒエやアワの量は昨年とそう変わっては見えなかったので、来年はこのコナギをどうするかが最大の課題となるだろう。

実際無農薬が直接の原因になったと考えられるのは、これぐらいしか思い浮かばない。病気も出なかったし、今年はカメムシも全体的に少なかった。

他の要因としては、

・昨年よりも株と株の植える感覚を広めにとる「疎植」を試みた結果、昨年よりも植えた苗自体が若干少なかった。
 ⇒これは密植だと風通しが悪く病気が出やすいと言われるため(どこかで聞いたことある話だ)、無農薬ならやっておこうと思った。苗が少なければ採れるコメも減るのは当たり前のように思うが、疎植なら1本あたりの分げつ(1本の苗が何本にも枝分かれすること)が増え、収量もあまり変わらない、という情報を元にした。しかし自分のイネを見てみると分げつ数も少なく、実つきも少ないといった感じで、これは技術的な不足が影響したと思われれる。

・水管理による温度調節がうまくいかなかった。
⇒うちの田んぼは少し水が抜けるのが早く、あまり水をためておけない。なので深水にしたくて用水を頻繁に取り込んでいたのだが、これによって水温があがりにくい状態となってイネの成長に影響が出たのではないだろうか。その証拠に田んぼ全体が黄色く色づいてきても、取水口から放射状の範囲が緑色をしていて、明らかに成長が遅いのが見てとれた(ひえ抜きの動画を見るとよくわかる)。来年に向けては水の抜ける箇所を調べて早急に畔塗(田んぼ周りを土で塗り固めること)をした方がよさそうである。

・そもそも地力不足?
⇒昨年は無施肥でも収量的に満足いく出来だっただけに、地力の低下は予想できていた。合成肥料を使わないのであれば、本来堆肥などを田植え前に施用しておくべきだができなかったので、鶏糞で急をしのごうとしたがそれほど効果があったように思えなかった。あったとしても、コナギに吸われてしまったのかもしれない。

来年に向けて課題と対策は出そろったが、一つ大きな問題は、これらをやろうとすると莫大な時間と労力が必要になる、ということだ。

そもそも野菜ほど手をかけないでも、という目的があったため、無農薬のコメのために本末転倒なことになってしまう。

せめて昨年のように初期だけでも施用するとか、いや対策はあるのだから多少の労力はかかっても、と無農薬でいくのか。それはまだ決めていない。

先祖から土地を受け継ぎコメを育ててきた農村の住人たちが、農薬などない時代でもやってこれたのは、コメづくりが個人の所為ではなく、ムラ全体で取り組むことだったからだろう。いわゆる、結(ゆい)だ。

しかし機械化が進み、省力で管理できる農薬や合成肥料が普及してから、この結は姿を消した。今住んでいる地域でも昭和50年ぐらいまでは結でコメを育てていた、と近所の方の証言がある。

結などについての農村の共同精神については、名古屋大学高野雅夫教授の著書に詳しい。

米づくりは本来大勢で助け合いながらやってきたことなのに、一人や一家族だけでやってみようなんてことは大それたことなのかもしれない。

来年はどうしようか。迷っている。

無農薬の田んぼで感動したこと

ここまで今年の米づくりが大変だったことばかり書いてきた。

でも無農薬のおかげかオレはとても良いものも見せてもらった。

うちの田んぼには近隣に比べて生き物が多かった。去年よりも多かった。

春は畔を歩くと、その足音で膨大なオタマジャクシが飛び跳ね泳ぎ回った(つまりそれは相当な量のカエルでもある)。

つがいのカモが田んぼに居座って虫を食べ、トンボが所狭しと飛び交い、ヘビやらなんやらいろいろが這いずり回っていた。

稲刈り後に、切り株の隙間からたくさんのサワガニが歩いているのを見た。

イモリも慌てふためいて安住の地を探していた。

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この生き物の豊かさを目にしてしまうと、むやみに農薬を撒くことを躊躇してしまう。

彼らと共存することと、食糧を自給することと、自分の生計を立てること。

これらを両立させることはとても大変だ。大変だから便利なものを使うようになって今の農村の姿がある。さてそれは果たして手離しで喜べる状況なのか。

いろいろと考えてしまう。

ひとまずはコメでも食おう。

米づくりをやってみたい、という人はぜひ我が家へ。まずはコメ食ってみてください。

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