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日本人にとって稲作が特別なものであるのは、もともと〇〇だから ~コメ作り顛末記と合わせて~

ちょうど稲刈りが終わり、ひと段落したので、今回はオレのコメ作りに関する顛末のご紹介、農村部のコメの生産性についてのあれこれ、コメがなぜ日本人にとって特別なものになっているのかの推論を書いてみたい(長いです)。

コメ作り顛末記

田舎暮らし、といえば、田んぼ。

田植えに稲刈りと、農業体験にも欠かせない。
田舎暮らししたいという人なら、小さくても自分の田んぼを持ちたい、という人も多いのではないだろうか。

かくいう俺もコメ作りははじめてのチャレンジだった。
4月の代掻き(しろかき)からはじまったコメ作りは、先日9月の稲刈りをもって無事終えた。
ここでは、地方移住して自分も田んぼやってみたい、というような人向けに、オレのコメ作りの経験をシェアしたい。
これを読んで自分ならどうするのか、一つのサンプルとしていいも悪いも参考にしてもらえたら幸いだ。

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きっかけ
稲作をしようと思ったきっかけは、やはりコロナ禍に遭遇しての心境の変化だった。
今後自分の住む地域がロックダウンされてしまったら。経済が停滞し稼業のネット通販が成り立たなくなってしまったら。

金さえ無力になりかねないと感じたあのコロナ禍にあって、なんとか子供たちと生き永らえていくためには、知恵と経験が必要だ。
幸いこの田舎には自然というリソースが山ほどある。そうであれば、かえってこの環境は好都合だ。
まずは自分たちで食べる分だけでも確保しよう、ということで急遽決めたことだった。

いや、教条じみたことを書いたが、美味いものを食いたい、できればそれは自分で作りたい、というのが根底にある。食欲に勝るモチベーションはない。

作付け面積など
農作業自体は、有機野菜作りの経験が4年ほどあり、一時期は販売もしていたが、今は休止中で、農地に余裕があり畑として使っていた1.7反分を田んぼに戻すことにした。

知らない人のためにどのくらいの広さかというと、1.7反=約1700㎡・訳510坪、野球のダイヤモンド2枚分、フィギュアスケートのリンク1枚分、となる。

農薬については種苗センターでの種子消毒1回と、田植え直後の抑草材1回散布のみの超減農薬で栽培した。
ちなみに岐阜県の水稲の慣行レベルでの農薬使用回数は24回である。

そして畑として使っていた際の堆肥がまだ残存しているはずだったので肥料類は一切いれてない。

まあいろいろドタバタしながら、なんとかかんとか収穫までたどりついた。

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収穫量
今回収穫できた米の量は全部で720キロ。
1反あたり420キロほど。

平均的な1反あたりの収量(反収)がどれくらいかというと、
岐阜だと平均480キロくらい。1.7反で800キロほど。

今回稲が植わったまま、実から芽を出す穂発芽になってしまった株もたくさんあった。これは食べられる状態ではなく脱穀の時に選別されて、その分減収となった。

それでも一人あたりコメの消費量50キロとしても、10人以上分の1年間のコメが確保できた計算になる。
上出来ではないかい?


待て、肝心なのは味である。
残存堆肥がかなり効いてる感じで、後半に黄色くなっていくはずの葉や茎が青々としたままだったので、味に影響がないか心配だった。
野菜だと肥料分(窒素)が効きすぎているとえぐみになるから、それが心配だったが、結果はいかに。

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美味い。
心配は杞憂だった。
これまで食していた、ご近所さんから買ったコメに比べて、すっきりした味わいで、さわやかな甘みが感じられる。
新米ならではの瑞々しさに助けられている部分もあると思うので、あとは保存が長くなってきたときどうなるか。

カメムシがよくついてたので、黒くなったコメがどれだけ入るかも心配だったが、精米したらほとんど気にならない。
これならひと様にも召し上がっていただける。

失敗の数々
ここで、稲作の間いろいろやらかしたことを列挙しておく。

・代掻きで十分に平らにならすことができてなく、水の深さにばらつきが出てしまった(生育の差がでる。浅くなって土が見えたところに雑草が集中する)

・2つある排水口の位置を知らず、1つにふたをしていなかったので、一番水が必要な時に田んぼからどばどば漏れてることに気が付かなった(水抜けの良い田んぼなんかなと思ってた)。

・田植え機の扱いがうまくいかず株間が隙間だらけになってしまった(株同士で支えきれずに早い段階から倒れ始めていた。今年は梅雨どきの雨量が多く倒れやすい年だったとはいえ)。

・おそらく抑草材の撒き方をミスって結局何回もヒエアワの草抜きするはめになった(これが一番大変だった。腰が痛い。どのみち1回しか施用しないなら、無農薬でも結果は変わらなかったかもしれない。)

・電気柵の設置が遅れてイノシシに一部稲を倒された

・稲刈りのベストタイミングを逃しその後の台風・雨続きで田んぼが湿り、穂発芽するはめになった。

などなど。

ご近所さんや通りがかりの車から感じる、何やってんだか、という視線をスルーし、今年は失敗してもいい、コメができないこともあるかもしれない、というスタンスを貫いた。
なので腹をくくってはいたが、なかなかの試練続きであった。

達人の至言
この状態でよくぞ収穫までたどりついたものだと思っていたが、ちょうど収穫の様子を見に来た近所の方にこう言われた。

想定をはるかに超えるレベルでできただろう」
お見通しである。

おそらく玄人レベルからは程遠いだろうが、自家用としては十分すぎる量が取れた。

さらにオレが、来年に向けていろいろ改善しないといけないですねー、田んぼのレベル(水平)を均一にしないと…なんて言うと、おじさん

「そんなもん10年かかるわ。田んぼを自分に合わせるんじゃなくて、田んぼの特徴に合わせてコメを作るんだ

なるほど。深い。

この歳にもなってまだ初めての経験ができること、そこから学びを得られる機会があることを幸運に思う。

かくしてはじめてのコメ作りは幕を閉じた。

コメ作りの生産性

さて、このコメ作りの様子は代掻きから稲刈りまでをYouTubeで配信してきた。
ほかの話題に比べ、コメ作りと草刈りは皆さん一家言お持ちらしくコメントが殺到する。

田んぼで作業しているとご近所さんたちも足しげく様子を見に来る。
ご近所さんたちも田んぼの手入れは何より入念だ。

毎日水加減を見に行く。
田んぼまわりの草は徹底的に刈る。
毎年春には地域の神社で豊作祈願をし、秋には収穫の感謝に詣でる。
田植えと稲刈りは家族総出。

他の野菜づくりとは入れ込む情念が違うように見える。

なのに、オレがコメを始めるにあたって散々言われたのは、コメなんて儲からないぞ、ということ。
ここら辺の地域は基本的に自家消費用で、余剰分は農協なり親戚などに贈呈しているぐらいなもので、採算には全くあっていない。
自分たちでもわかっているのに、なぜコメにこだわるのか、移住して何年もたつがよくわからなかった。

コメ作りの採算をはじき出してみる
古いデータではあるが、コメ作りを採算に合わせて儲けまで出そうとすると、大規模化が前提となることがわかる。

(農林中金総合研究所/稲作経営の現状と課題―家族経営の行方と農業法人の可能性)
https://www.nochuri.co.jp/report/pdf/n9911re3.pdf

専業のコメ農家として生計を立てるには、仮に年間250万円の所得を得ようとすれば少なくとも3haの面積は必要といえる。
ところが3ha以上の稲作農家は全体の4%弱。そして我が家のような5反にも満たない田んぼの持ち主が全体の50%近くにのぼる。

仮に我が家の1.7反からとれたコメをすべて農協に買い取ってもらうなら、
30キロ6500~7500円
となる。
うちの場合平均並みの収量で2等級として、
26袋×7000円=約18万円 
という計算になる。
このうち
苗代(約3万)、田植え機レンタル(1万)、コンバイン・乾燥・もみすり委託(5万)、その他合わして差し引けば、
8万ぐらいが手元に残る計算になる。

この8万のために、
田起こし1回、代掻き2回、田植え1回、除草延べ10回以上、収穫1回、草刈り延べ10回以上、
とそれぞれ半日ぐらいの作業だが、日々水量や水温のチェックなどもある。総計すると、120時間ぐらいの労働をしている。
時給換算すると700円にも満たない。
直販ならもう少し収益も増えるかもしれないが、その分梱包資材やそれなりの宣伝も必要だし、手間が増える。

ちなみに1世帯当たりのコメの購入額は年間2万5千円ほど。
消費量は65キロほどで2袋ちょい。食べ盛りがいることを考慮しても年間4~5袋あれば十分だろう。
面積で換算すれば、3a(3畝、30㎡)ですむ。
https://www.maff.go.jp/j/council/seisaku/syokuryo/190327/attach/pdf/index-22.pdf

まあ自給用の食糧が確保できて、残りを農協に出してちょっとしたおこづかいが手に入ればそれでいいわ、と思う向きもあるだろう。

だが、恐るべきはこの地域では各家庭に一台ずつトラクターに田植え機、コンバインなどを備えていることだ。
強者だと乾燥機、もみすり機なども所有し、すべて自分で完結させてしまう。
これ揃えたらいくらになる?死ぬまでに償却しきれるのかな。

コメ作りが採算度外視なことがおわかりいただけただろうか。
それこそはるか昔から農地の集約化、集落経営、農機具の共同所有、ブランド米化、などなど、散々コメの生産性向上・付加価値向上がうたわれてきた。
なのに現状は一国一城の主として気勢を上げて、非効率ともいえる営みを続けている。
これは相当な理由がなければ説明がつかないと、オレは考えた。

それでもコメを作り続けるのはなぜか。稲作のルーツから探る

先祖伝来の土地を守るため
自分の周りでよく聞くのは、先祖が切り開き代々受け継がれてきた田んぼを守るため、という理由である。

これはわかりやすい。
血縁関係の色濃い小規模集団において、先祖からのつながりというのは集団を維持する上で大事な要素だという(ジャレド・ダイアモンドの著書など)。
それを象徴するのが「土地」だと考えれば納得もいく。
なので先祖代々の土地を守るため、というのは地域の人たちの偽らざる本心だろう。


コメそのものへの神聖視
しかしいろいろな文献を見ていると、どうも日本に稲作が流入して以来、すぐにコメにまつわる儀式が始まっている雰囲気がある。
全国に稲作が伝わり始めた弥生期に五穀豊穣を願う祭祀がはじまっており、これがのちに天皇家の主要な執務となっている。


どうも先祖への感謝以上に、コメそのものへの神聖視があるように見える。

エゴマ
これは他の作物、例えばエゴマなども縄文期から栽培されているのが確認され、種子の食用や平安期からは油として、日本人の暮らしと切っても切り離せない関係にあるはずだが、エゴマが神聖視されることは聞いたことがない。
(京都大山崎町では、油の生産人が神人(じにん)と呼ばれ、神事にかかわっていた、という事例はある「荏胡麻油と大山崎町/大山崎町商工会HP」)

小麦
あるいはコメと並ぶ世界的に重要な穀物である小麦はどうか。次のような文章をみつけた。

[象徴としての麦]
荒俣宏(平凡社百科事典)
米や麦を総称する英語セリアルcereal (穀物) が,ローマの古い豊穣 (ほうじよう) 神ケレスに由来するように,麦類を中心とした古代西洋の穀物は 地霊あるいは地母神の恵みであった。https://bymn.xsrv.jp/nekomegami/basted/homugi_maria.html

どうやら穀物類には神聖な力があると考える傾向は世界的に共通なのかもしれない。

人間の命をつないでいく大切な食糧として、1粒が万倍にも増える穀物類そのものが信仰の対象となることは想像に難くない。

コメ食文化
しかしである。日本における庶民間での米食文化は早くても江戸時代ということなので(それも他の穀物に混ぜた状態)、日常的な食糧とみることはどうか。
厳しく年貢で納めさせられるためだけのものを、神様まで祀って大事に育てるなんてことはオレだったらゴメンだ。

コメにこだわる謎へのヒント

ここにかつてNHKが世界中の食のルーツを取材して回った、貴重な映像が残っている。内容がディープすぎて宮崎駿氏と高畑勲氏が感銘を受け、ジブリがDVD化している。40年近く前のもので、もはや失われてしまった食文化もあることだろう。食に興味ある方は全巻揃えるべし。

書籍も併せてどうぞ。

この中に、コメのルーツを探る回がある。
コメのルーツは中国雲南省のあたりで、それが北上し、日本には縄文後期から栽培が始まっていることがわかっている。

タイのコメ作り
番組ではコメの西方向への伝播先であるタイのコメ作りを取材している。
タイもまた数千年の稲作の歴史を持つ地域である。
タイでのコメに対する態度は日本のそれとよく似ている。

「稲の神は昔、精霊のものでした。それを天の神である神仙が、精霊の手から奪ってアカ族にあたえてくれたのです。そのとき稲の神に対して、わたしたちはいつまでも大切にして、多くの儀礼をおこなうと約束しました」
(人間は何を食べてきたか p250)

コメの神さまに祈る。感謝する。信仰そのものだ。
正月の儀式など日本そっくりだ。

中国を挟んで日本とは逆方向のタイでも、コメ作りが始まったころからこの宗教性をもっていたするなら、コメには宗教性も付随しながら各地へ伝播、日本にも伝わったと考えられないか。

つまり、日本で米づくりが採算度外視でも毎年作ることをやめないのは、
そもそもコメは神聖なものとして日本に伝わったから
といえないだろうか。

乱暴な推論なので、ぜひ誰かに検証してもらいたいものである。また既に明らかにされていることであればご教示願いたい。

中国での稲信仰
と思ったら、やはりあった。

日本の近世文学・芸能史学者、学習院大学名誉教授なる、諏訪春雄氏の文章である。

現在の雲南省においても、穀物が発芽し成長し開花し結実するのは、穀霊の働きによると考え、そのための儀礼を執り行なっている小数民族は多い。アチャン族の穀霊祭は典型的なものとされる。アチャンは、稲には稲魂があって、稲魂を離れると稲は育たず、実も入らないと信じている。したがって、ぜひとも稲魂を祀らなければならないと考えている……ハニにおいても稲魂信仰は強く残され、日本の稲作儀礼と同じ儀礼が今日に至っても守られている。
 「雲南少数民族における新嘗祭」(『新嘗の研究4-稲作文化と祭祀―』第一書房・1999年)
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f02/suwa15.htm
中国の長江中流域ではじまった稲作が、日本へ伝来したときに、稲作の技術とともに、稲にかかわる各種の信仰を同時に日本へもたらし、日本の天皇制の基盤となった信仰・精神を形成した
https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f02/suwa18.htm

この説の信憑性はわからないが、これでオレの長年の疑問であった、なぜ採算にも合わないコメ作りをこだわりを持って続けるのかについて、一つの回答を得た。

生産性の問題ではない。非効率とか言われながらもやめないのは、
コメってのはそういうもんだ、
といった言葉では説明のつかない刷り込まれきたものなのかもしれない。

ちなみにうちでは食いきれないほどコメはあるんで、食べてみたいと思った人はぜひ来て食してみて。

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