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コンテンツの未来を考える

今日は「コンテンツの未来」というテーマで話したいと思います。
最近、僕がよく考えているテーマです。
このような内容を語り合える友達はいないので、ここに投稿します。

僕が初めてコンテンツを作ってネット上に投稿したのは中学2年生の時で、約7年前です。当時はYoutubeに開封動画などを十数本投稿しました。
そして、約1年前からnoteを始めました。
去年、自作曲をストリーミング配信しました。
現在、映像作品制作にも携わっています。
映像、テキスト、音楽のコンテンツを現在進行形で作っています。
数ヶ月後には大学のゼミでスマホのアプリケーションを制作し始める予定です。
とりあえず、20歳にしては”コンテンツ”にそこそこ向き合ってきた人生だと思っています。
だからこそ未来のコンテンツについて考える機会が多いです。

現代は「2時間の映画が疲れる時代」です。
(映画を観る時に「よし!観るぞ!」という気合をいれます。)
Youtubeが流行り、2時間の映画どころかテレビのバラエティやドラマを見るのも疲れる人が増えました。
Tik Tokやインスタグラムのストーリーにより、動画1本あたりの再生時間は極端に減り15分のYoutube動画を見るのすら体力が要ります。
僕はこの時代の変化を考えた時に、「可処分時間を奪い合うこと」は一部でナンセンスになりつつあるのかなと思いました。
僕自身3,4年前からラジオをとても聴くようになりました(ちなみにオードリーと霜降り明星のラジオ)。そして僕の場合はラジオを聴くのは学校の課題をしている時や、何か作業をしている時で、決して”暇な時間”ではないのです。何かをしながら聞いています。
Youtubeでは数年前から流行っている動画として「作業用動画」があります。ただただ勉強している様子や、本を朗読したり雑談をしたり、BGMをメドレーで流していたりする動画です。これらは画面をずっと見てもらうために作られた動画ではないのです。あくまで寄り添うコンテンツなのです。
ネット上に様々なコンテンツが溢れる時代になったので、僕たちはクリックすることに体力を使うようになりました。長い動画なら気合を入れてから見るし、長い文章は読む気になるまで時間がかかります。だからこそラジオや作業用動画のような「集中しなくていい=コンテンツを消費することに体力を使わない=クリックするストレスが無いコンテンツ」の需要が伸びている気がします。
なので編集が完璧で企画力のある動画より、Vlog(Video Blog)の方が再生数が安定するような状況が生まれつつあるのだと思います。
これは他のメディアでも同じで、noteにおいても堅い内容を書き続けることの価値を考えてしまいます。
僕のnoteは明るい内容ばかりでは無いのが事実で、適当なことを書こうとしても気がつけば真面目なことを書いてしまう節があります。”本音”や”真面目”を発信することによる”クリックの重たさ”を心配してしまいます。まあ僕自身が楽しい範囲でnoteは続けていこうと思います。

これだけ皆が忙しなく過ごす世の中で「可処分時間を埋めるコンテンツ」と「生活に寄り添うコンテンツ」の2極化になると思います。
前者には映画、本、アーティストのライブや演劇、テーマパークなどが含まれますが、これらは後者になることができません。
今の世の中は明らかに前者が飽和状態です。そして後者の需要は拡大しているにも関わらず、足りていない状態です。(余談ですが音楽は前者と後者の両方に属しています。)
5Gでは高速な大容量通信が可能です。後者の時代が近づいているように感じます。
そして後者っぽいコンテンツをついさっき思いついたので、早速挑戦してみたいと思います(いつか発表できるかも)。

コンテンツの未来について僕なりに考えてみたのですが、どうだったでしょうか。
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最後まで読んでいただきありがとうございます。

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