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あかね
2024年1月9日 00:52
人って強いです。意外と。私が思ってたよりずっと。強いんだなぁって最近、知りました。大切な人を失うこと。生きていれば、誰にでも起こることです。これを書いている私も、これを読んでくれてるあなたも、さっきすれ違ったあの人も、電車で隣に座ったあの方も。きっとみんな経験しています。大人になればなるほど、どうしたってそういうことに遭遇します。何度も、何度も。しんどいですね
2023年6月29日 00:16
おじいちゃんの三十五日が終わりました。私は変わらず生活している。もちろん、急に「もう会えない」って言う事実が襲いかかってきて泣いた日もあったけど、少しづつ乗り越えつつある気がする。おじいちゃんとの写真をいっぱい見返したりしてる。泣きながらコンビニへ行ってその写真たちをプリントして、壁にぺたぺた貼っていった夜もありました。やっぱり私、おじいちゃんのこと大好きだ〜私はおじいちゃ
2023年5月31日 00:27
お葬式ってなんのためにするのだろうか。私は宗教とかを信じていないし、あまり興味もない。亡くなった人が極楽へ行く、とか、弔う、とか「ご冥福を」とかよく分からない。そういう儀式的な意味はあまり分からない。そのうえで。お葬式って、のこされた人にためにあるんだと思う。故人のためじゃなくて、のこされた人のため。だって、これから生きていかなきゃいけないのはのこされた人だから。もちろん
2023年5月30日 09:39
死とは、ただ死ぬこと。それは自然の摂理だ。当たり前のこと。じゃあ、どうしてこんなに人は、誰かの死に対して嘆き悲しむんだろう。きっとそれは、その人にもう会うことができない状況に悲しんでいるんだと私は思う。言い方を変えれば、その人に会ったり話したり触れたりできない自分がかわいそうで、それに泣くんだと思う。だってそもそも、死んでしまった時点でその人は「無」だ。その人はなにも感じないし
2023年5月28日 15:17
これは、おじいちゃんの訃報を聞いてからずっと考えていたこと。「生きている」と「死んでいる」これって何が違うんだろう。この2つを隔てるものは何なんだろう。ずっと、死は自分よりも離れた遠いところにあるような気がしていた。何より自分は「死」への恐怖がとても強かった。大切な人の死を想像して泣いた夜が何度あったことか。だけど、今回考え方が変わった。実は、生きると死ぬってすごく近いんじ
2023年5月25日 22:29
おじいちゃんが亡くなった。よく分からなかった。朝方に親から連絡が入っていて、起きてから気づいた。正直全然分からなくて、ぼーっとした。どういうことだろう、ってなって、全然理解が追いつかなかった。そして、頭はぐちゃぐちゃでもだいぶ冷静な自分にびっくりしてた。こういう時って普通、訃報を聞いた途端泣きじゃくるんじゃないっけ?映画の見すぎ?あんなに大好きでそばにいたおじいちゃんなのに、な