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「高校生平和大使」「高校生1万人署名活動」、その「考動し続ける姿勢の子ども」自体が「社会の希望」だよ!ずっと応援してるよ!と伝えたい(2024年11月)。【社会貢献】【エッセイ】



 あ



 (最初に述べますと、今回、リンク添付を含めますと、自分のnote史上、恐らく「歴代で最大ボリュームのnote記事」になるかなです。
 ですけど実は、一部が書き掛けの状態でのアップになります。

 と申しますのも、今回のnote記事、12月10日火曜日に「ノーベル平和賞の授賞式」[ノルウェー・オスロ]に合わせての意図がありましたけど[勿論、最大の理由は、「高校生平和大使」「高校生1万人署名活動」の活動の理念・趣旨に強い共感・応援の想いであるからですが]、実はこの「一部書きかけで、推敲が恐らく充分でない感じ」でのアップになるのは、
 「6日金曜日~9日月曜日、自分自身が大きな予定が入ってるので、その間は物理的に執筆ができないから」
 です。というか、それまでには完成できてるだろうと思ったら、アクシデントがあったこともあり、一部未完成になった訳ですが。

 恐らく、読みづらい個所が少なからずあるかもですけど、今回は特に、「趣旨・伝えたいこと」が伝わって欲しい、こんなに素敵で素晴らしい活動・取り組みをしている若い世代がいることを知って欲しい!の趣旨で綴ってます。これが伝わればを踏まえて、読み進めて頂ければです。)



 発表を聞いた瞬間、鳥肌が立ちましたし、活動の中で、核兵器廃絶に対して否定的な意見を聞いて、すごくいままで悔しい思いをしたことがあったのですが、ノーベル平和賞の発表の瞬間を感じて、より核兵器廃絶への絶対的な想いが強くなりました。

 (佃和佳奈さん[福山暁の星女子高校2年生。第27代〈2024年〉の高校生平和大使の1人]、2024年10月11日、「日本被団協のノーベル平和賞受賞会見」での言葉より。後述で言及させて頂くように、今回のノーベル平和賞受賞は、「高校生平和大使自身が受賞した訳ではない」が、ノーベル平和賞受賞会見[というか、発表の瞬間も]に同席していた。)



 私は今回のスイス派遣で人の想いがもつ力の強さを実感しました。署名活動のメンバー、署名をしてくださった方、被爆者の方や支援してくださった方、そして私たち高校生の核兵器廃絶と平和への強い想いが繋がって、今回国連に署名を届けたり、原爆の悲惨さを訴えたりすることができたと思います

 今回、国連をはじめとする多くの国際機関に訪問させていただきました。訪問先で行うスピーチに、どうやって私たちの想いを込めるか、被曝の実相を表す写真パネルやジェスチャーなど工夫を重ね、何度も練習をして本番に挑みました。訪問先の方々は私たちの声に真剣に向き合い、頷きながら(うなずきながら)聴いてくださいました。このことから、心からの熱い想いは、相手の心に届くということを実感しました

 また、今回の派遣で『国際社会』を今までよりも近く感じるようになったと思います。近く感じたからこそ、世界情勢や核軍縮の厳しさを痛感し、世界の限りない大きさと、自分の小ささに悔しさを感じることもありました。しかし、どんなに世界情勢が厳しくても、自分の力の小ささが悔しくても、私の心のフィルムに焼き付いている広島・長崎の悲惨さ、そして、核兵器廃絶と平和な世界を目指す強い想いは私を突き動かす大きな原動力です。核兵器廃絶をより力強く訴え、そして、異なる意見の人と真の対話をしていくためには何が必要なのかを自分に問い続けながら、核兵器廃絶を目指すたくさんの方たちと手を取り合って、全力で活動していこうと決意を新たにしました。

 (佃和佳奈さん[福山暁の星女子高校2年生。第27代〈2024年〉の高校生平和大使の1人]、「この夏の活動を終えて」の文章。日付の明記はないが、2024年8月29日に「帰国しての活動報告会」であったとのこと。
 福山暁の星女子高等学校のHP内での「第27代 高校生平和大使」の専用HPより。)


 世界で戦争と核兵器の脅威が拡大していて、自分の手で平和のために何かアクションを起こしたいと思っていた中、高校生平和大使に選出していただけたことに、身の引き締まる思いです。平和が訪れる『いつか』は、待っているだけでは実現しませんし、私たち一人ひとりが声を上げ続けなければいけません。
 一人ひとりが平和や戦争に対し、『頭だけではなく心で理解すること』が必要です。だから、私たち高校生の『心からの声』を、より多くの人の心に届けられるように頑張りたいと思っています。
 『核兵器のない平和な世界の実現』。この大きな目標を常に忘れず、スモールステップを大切にしながら、一瞬一瞬の活動に全力で取り組んでいきます。

 (佃和佳奈さん[福山暁の星女子高校2年生。第27代〈2024年〉の高校生平和大使の1人]、2024年6月6日、「高校生平和大使(広島県選出)の就任会見」での言葉より。
 福山暁の星女子高等学校のHP内での「第27代 高校生平和大使」の専用HPより。ただ、別記事で「頭だけではなく心で理解すること」「心からの声」を強調してるので、そういった内容を併せて盛り込ませて頂いてます。)






https://www.mofa.go.jp/mofaj/dns/ac_d/page22_002574.html

 (←うまくリンク添付できていませんが、「ユース非核特使」のことのリンク添付です。)






 いつか、「高校生平和大使」「高校生1万人署名活動」のことを、執筆させて頂く機会を持ちたいと、ずっと思っていました。これは勿論、その活動の理念・趣旨にとても強く共感しているからですし、この、一心に真摯に情熱的に「平和」に向き合い続けてる・声を上げ続けてる高校生が存在し続けてることが、「社会の希望」である、そう感じているからです。
 時間的な制約があるので、思ったより多くはとりあげられないかもの感じです。そして今回のみならず、願わくはいつか改めて言及させて頂く機会を持てれば、とも正直感じてます。

 そのような中で、今回は、広島県の「佃和佳奈さん」(福山暁の星女子高校2年生。なお住んでるのは「岡山県井原市」)を執筆の中心として綴りつつ、「高校生平和大使」「高校生1万人署名活動」という、こんなにとても素敵な活動に取り組んでる子どもがいるんだよを知って欲しい!、1人でも多くの人間に知って欲しいし、署名活動をしている高校生を見かけたら、署名に参加して頂けるとより嬉しい!、ということを綴らせて頂きます。
 (「佃」と書いて「つくだ」、「暁の星」と書いて「あけのほし」、「井原」と書いて「いばら」とそれぞれ読みます。つまり「つくだわかな」と読みます。)
 ちなみに、トップ画像の少女[左側]が、この佃和佳奈さんです。)

 (応援の想いから、今回の文章では、「下の名前での表記」を中心に綴らせて頂きますが、一部では便宜上から「上の名前(苗字)での表記」を併用させて頂きます。)


 この「高校生平和大使」。世界的には
 「ヒロシマ・ナガサキ・ピース・メッセンジャー」
 と呼ばれてるとのことです。「うわあ、とても素敵な表現だなあ」と正直感じますけど、意味としては「広島・長崎の子どもによる、平和の伝え手・伝道者」になります。

 「微力だけど、無力じゃない」

 いまでは、結構耳にする言葉というか、「名言」の1つとして聞いたことがあるという読者さんも多くいらっしゃるのでは?と想像ですけど、実はこの「微力だけど、無力じゃない」の言葉の発祥(いわゆる「起源」「元ネタ」)が、「高校生平和大使」「高校生1万人署名活動」の「スローガン、活動理念」であるのです。
 自分自身にとって「生きる勇気になっている言葉の1つ」ですし、「信念、心掛けていることの1つ」にもなっています。




 ですけど一方で、実はこの「高校生平和大使」、設置されてない都道府県も少なからずあります。いわば、よくも悪くも「成長途上の団体」ともいえると。

 「北海道、岩手、福島」「茨城、東京、神奈川、新潟、静岡」
 「大阪、兵庫、奈良」「広島、長崎」「福岡、佐賀、大分、熊本」
 (合計で「17都道府県」。ちなみに各都道府県に枠がある感じで、この2024年の代は「合計で23人」でした。)


 そう、下記の現況がある訳です。

 「3大(4大)都市圏の1つの『愛知』がない」
 「『北海道』はあるが、『沖縄』はない」
 「『広島』はあるが、『岡山』はない」
 「『大阪・兵庫』はあるが、『京都』はない」
 「四国地方に至っては、1つもない」




 「いま」というタイミングでの執筆の最大の理由は、いまリンク添付させて頂いた、NHK長崎さんの特集記事。
 これに基づいた特集放送が、「NHK総合『おはよう日本』2024年11月22日金曜日、5時台後半での特集」でありました。
 取り上げられたのは、「津田凜さん(長崎、長崎東高校2年生)」、「沖本晃朔さん(広島、AICJ高校2年生)」です。

 (個人的には、とても素敵な取り組みなのだから、7時台でこそ取り上げて欲しいがより本音ですけど、こうして全国放送で取り上げること自体が、「知ってもらう」最大の意義になると感じるんですよね。
 それと余談ですけど、『おはよう日本』の5時台の特集[前半と後半、合計で原則2本]って、1人の人間として学べること、感じること、気付きになることが多くあったりするのです。)

 はい、さすがはNHKさん。丁寧に描かれていて、とても心に響く感じでした。特に、津田さん(被爆3世とのこと)の、

 祖父を苦しめている原爆がこれから使われないようにするために、私たちがどうにかしないといけないというのはありました。やはり身近な存在ではあるので、祖父が被爆を経験しているということが大きかったです。

 同じ苦しみをほかの誰にも味わわせてはならない。


 とても強い説得力が伝わります。そして、この特集のラストとして

 「『原爆の記憶』と、『被爆者の想い』をつなぐ。高校生たちは、活動を続けます。」

 というナレーション。そう、この活動を、地道に続けること自体に、大きな意義がある。いつか絶対に「実を結ぶ」にするためにと。



『朝日新聞』2024年8月2日付朝刊29面(第1社会面)。
「戦後79年特別企画」として、「Youth&Peace ヒバク80年へ」の第1回。
取り上げられてるのは、古賀野々華さん(早稲田大学4年生、福岡)と
中村涼香さん(上智大学4年生、長崎)です。
(「涼香」と書いて「すずか」と読みます。この中村さんは、
後述で改めて言及させて頂きますが、「高校生平和大使」の1人で、
高校時代から、平和に対する強烈な情熱が伝わる感じで、
何回か名前を耳にしてきた感じです。)
記事の内容は、古賀さんと中村さんが、大学生活で
「平和への強い想い」という共通要素で交わって(意気投合して)、
「RIPPLES」(リップルズ)というフリーマガジンを創刊して、の内容。
で、今秋に2人共に大学を卒業して、
古賀さんはジャーナリスト、中村さんは社会起業家
(平和に根差した「ソーシャルビジネス」「エコシステム」を志向したいとのこと)
を、それぞれ歩むとのことです。勿論この記事にも、とても強い共感です。
(この「Youth&Peace ヒバク80年へ」は、全4回。
タイトルから想像頂けるように、「平和活動に向き合う若い世代」がテーマです。
この連載記事も、「いつかそう遠くないうちに、『高校生平和大使』、
あるいは『平和活動に向き合う若い世代』がいるんだよ、
そういう人間がいることを知って欲しい、そして社会全体で応援できる感じに、
ということを綴りたいと思ったきっかけの1つです。)




『高校生平和大使にノーベル賞を』という書籍(2018年8月に発表)。
ちょうどこの2018年、長崎の高校生平和大使の
「山西咲和さん」(「咲和」と書いて「さわ」と読みます)のことが
「Twitter」や「Yahoo!ニュース」でとても話題になってました。
(確か、Twitterでのトレンド入りもしてたと記憶です。)
もともと、「高校生平和大使」の活動の理念・趣旨にとても強く共感でしたけど、
この、山西さんの「想いの強さ」にとても感動(これは後述で改めて言及です)
であった自分が、この延長線上でこの書籍が「同じタイミングで発売になった」と知り、
自分は大阪に住んでいるのですけど、大阪には
茶屋町(梅田)に、「丸善&ジュンク堂書店 梅田店」という、
「西日本でno.1の蔵書数を擁する大型の書店」があるのですけど
ここで全力で購入させて頂いた記憶がと。
勿論、この書籍のことも、「いつか、高校生平和大使のことをnoteで執筆したい」
の理由の大きな1つでしたし、
「この書籍、1人でも多くの人間に、是非とも読んで欲しいです!」の感じで、
「読み終えたら、きっと何か、学び感じることがあるから!」と。






いまリンク添付させて頂いた2つの写真が、
「日本被団協、ノーベル平和賞を受賞」(2024年10月11日)。
特に2つ目の写真は、「とても絵になる」感じなこともですけど、
「あっ、そういえば、こんな感じだったね」と記憶の読者さんもいらっしゃるかな?と。
写真の右端が、今回受賞した、箕牧智之(みまきとしゆき)さん(82歳)。
「日本被団協の代表委員」及び「広島県被団協の理事長」とのこと。
3歳のときに被爆ですので、「被爆のことを直接伝えられる最後の世代」です。
ちなみに「日本被団協」は「社会的な通称」で、
正式名称は「日本原水爆被害者団体協議会」です。

で、同席してたのが、今回取り上げる、「高校生平和大使」(広島県枠で選出の3人)で、
なぜ同席してたかというと、勿論「平和な社会・世界への強い想いの同志」もですし、
「高校生平和大使」自身が、ノーベル賞の候補リストにいたからもあります。
(加えて、日本被団協側の年齢的なことから、万一に備えて話を補足説明の意味合いも
あったかもしれないと思われますが。)
今回、ノーベル平和賞を受賞したのは、「日本被団協」であって、
「高校生平和大使」が同時受賞した訳ではないですが、
今回の授賞式で、「高校生平和大使」も「最大4人まで、授賞式に参加が認められた」
とのことで、実際、日本被団協の受賞理由の文章には
高校生平和大使のことも言及されてた、と伺ってます。
確かに、「高校生平和大使」自身が受賞した訳ではないけど、
でも、受賞が発表されたときの、高校生のこの嬉しそうな表情が「答え」な訳ですよ。


写真の右端が、「広島県被団協の理事長、箕牧智之さん」ですけど、
それ以外の3人が、「広島県枠で選出の、第27代の高校生平和大使」です。
左端から。左端が、「AICJ高校2年生、沖本晃朔さん」。被爆4世。
今回の記事執筆の最大のきっかけの「NHKの特集記事」の人物の1人です。
左から2人目が、「広島県立基町高校2年生、甲斐なつきさん」。
被爆4世。この代の3人の中では、メディアで最も取り上げる機会が多い感じです。
あとで言及させて頂くかなですが、どうやら2023年秋(つまり、高1のとき)から
「高校生1万人署名活動」に参加していて、この想いが届いたといえると。
12月の「ノーベル平和賞受賞式」の参加メンバーの1人でもあります。
(尤も、授賞式でスピーチをする訳ではないようだが、
その場に参加させて頂くだけでも、とてもすごいことです。)

で、右から2人目(箕牧さんの隣)が、今回で特に取り上げる、
「福山暁の星女子高校2年生、佃和佳奈さん」。
なぜ今回、佃さんを特に取り上げたいと思ったのかは後述でとして、
(「想いの熱量」の意味でならば、特に甲斐さんもとても強い感じが伝わる。
ちなみに3人同時でだと、報道での筆頭クレジットはほとんど「甲斐さん」です)
そう、実は佃さん、「トレードマーク(代名詞)=ポニーテール」。
写真の1枚目は、佃さんのこの「代名詞を強調したかった」意味合いが正直あります。
で、写真の2枚目。「日本被団協の受賞を、自分自身のことのように喜ぶ、
嬉しそうな『とびっきりの笑顔』」である佃さんがとても印象的です。
よく、アニメで「守りたい、この笑顔」といいますけど、
このときの佃さんの笑顔、「本心でとても嬉しい」が伝わるのです。

それにしても、写真2枚目。いずれ、歴史あるいは公民
(「政治経済」あるいは「現代社会」)の教科書に載るだろうなと。
「我が娘、我が息子が教科書に載る」、これが叶えば、
親御さんは「なおさらの、永遠の自慢の娘・息子」であると想像です。
(尤も、教科書に載るでなくても、その「想いの強さ」の時点で既に
「とても素敵な娘さん・息子さんに育っている」感じですし、
1人の人間として「とても尊敬できる」から、今回取り上げようと思う訳ですが。)






 あとで改めて言及させて頂くかなですけど、

 私たちの団体(高校生平和大使)が受賞ではないのですが、私たちが受賞したかのように、とても嬉しい気持ちが大きかったです。
 長崎を最後の被爆地にできるかどうかは、いまを生きてる私たちにかかっているので、核兵器廃絶についての想いや関心を持って、一緒に声をあげていって欲しいなと思っています。」
 (大原悠佳さん[長崎の高校生平和大使。長崎西高校2年生。被爆3世とのこと]、2024年10月13日、長崎での「高校生1万人署名活動」を終えた後のインタビューでの言葉より。
 「NHK長崎のニュース動画の「1:02~1:24」が該当部分です。)






 そう、客観的に見れば、「日本被団協」も「高校生平和大使」も同時受賞にして欲しかった、ではあるのですけど、実際に
 勿論、「自分自身をより成長させたいから」も活動理由の1つではあるかなと想像ですけど、

 「社会をよりよくできる一助になりたいから」
 「困っている・苦しんでいる誰かがいる現実がある訳で、その現実を放っておけないから、誰かの役に立ちたいから」
 「誰かがこの活動をやらなければいけないのならば、自分がやろう、自分の活動がいつか、現世・後世をよりよくできる一助になれるから」


 かくいう自分自身、いまの自分の生き方・価値観を形成してきたのは、東北での復興支援活動・ボランティア活動(これは「東北に向き合い続けてきたこと」そのものもですし、「東北のことを通しての出会い」も大きい)です。尤も自分の場合、「大学→社会人→大学」の異色の歩みであり、ちょうど大学(尤も通信制だが)に入り直したタイミングで、「27歳のタイミングで」でした。
 で、東北を通しての出会いで、「熱量の強い人間」に何人も出会ってきました、そういう人間に出会えたから、いまの自分がいますけど、そのときの経験をも踏まえると(あとで改めて述べるかもだが、正直、「その人間によって、熱量の差がある」こと自体は全否定はしませんが)、あの「高校生平和大使」「高校生1万人署名活動」の、特に中心的な立ち位置の人間とか、署名活動にほぼ毎回参加している人間は、

 「観ている景色(叶えようとしてる景色)は、『賞を取る』という枠だけで収まってない、もっと先の景色を本気で観ている。そう、『高校生平和大使』の人間の恐らく多くは、『戦争のない社会・世界』を本気で叶えようと、自分にできることを問い続けて、努力し続けてる姿勢が伝わる。」


 あとで改めて言及させて頂くかなですけど、特に今年の「高校生平和大使」の広島・長崎の5人は、「本気度」がいままで以上に特に強いのが集ってると。その代に(たとえ受賞者が本人自身でなくても)「日本被団協の、ノーベル平和賞の受賞」は、より納得できるタイミングでの受賞であったといえるかな、と映るのです。

 私たちの団体(高校生平和大使)が受賞ではないのですが、私たちが受賞したかのように、とても嬉しい気持ちが大きかったです。

 この、長崎の高校生平和大使、大原悠佳さんの言葉は、「本心による言葉」である、そう強く感じます。
 言葉に直接出していなくても、恐らく、『高校生平和大使』の他のメンバー(今年の代[第27代]でだと、「17都道府県・23人」とのことだが)も、大原さんと同じ想いでしょう。



「高校生平和大使(第27代、広島)」の就任会見。
(2024年6月6日。中国新聞のweb版より。)
例年、6月の半ば~下旬に「高校生平和大使」の結団式の感じで、
で、ふらりと閲読させていただいたら、特に今年の広島の3人、
あくまでも「第1印象的な域を出ない」とはいえ、
この3人、「本気さがいままで(の代の人)以上に伝わる」と感じて。
現実論を述べれば、報道量は年によって、ばらつきはあります。
(ほとんど話題にならない代の年も、正直あります)
ですけど、今年の代は、漠然ととはいえ「熱量の強さ」が伝わる雰囲気を持ってると
感じていて、ささやかながら注目していてと。
はい、全否定はしません。佃さん、「容姿が童顔でかわいらしい」、
いわゆる「かわいいは正義」であることは。

でも、なぜ、佃さんに特に、「独特の強い熱量」を感じるのだろうと、
漠然とだけどずっと感じていてと。
いくつか報道を耳にして、それは、先述の『朝日新聞』のこと、
(これはとりあげられてるのは、先人の人たちであるけど)
それと、NHKの特集記事(『おはよう日本』のを含めて)、
で、そういえば、あのときの広島や長崎の平和大使の高校生…と感じて、
なぜ、その中でも佃さんに、心の注目がいくのだろう?と。
それは「かわいらしさ」ではない、恐らくもっと深いところにある。
(ちなみに後述で改めて言及するかなですが、長崎の大原悠佳さんからは特に、
これは「改めての再認識」の感じになりますけど、
「人間の本質は『内面的な人間性がどうであるか』である」と。
そう、大原さん、「活動への姿勢・想い」が、もう最高に
「かっこかわいい」んですよ![←「褒め言葉」のつもりです])



で、この写真。今回のトップ画像に使用させて頂いてる写真です。
(写真は、「福山暁の星女子高校」HPでの「第27代 高校生平和大使」の特設HPから。
「UNODA[国際連合軍縮部]」でのスピーチの場面。
写真の右側は「津田凜さん(長崎東高校2年生。被爆3世)」です。)
そう、なぜ、佃さんから、「独特の熱量の強さ」を漠然とだけど感じるのだろう?と。
今回の記事執筆の理由の大きな1つは、自分の中で不思議と感じる、これが正直あった。
確かに「かわいらしい」、でもそれだけではないことは、はっきりしてたからと。
それで今回、自分なりに調べさせて頂いたら、
「熱量・想いの強さ」「平和活動への姿勢・向き合う理由」、
その「激しく沸き立つ・燃え上がる感じ」に、
(少なくとも「パフォーマンス的・推薦での点数稼ぎ」の域ではない)
「ずっと応援し続けたい」は勿論、「知って欲しい」とより強く感じて、
それで、今回の記事執筆に踏み切らせて頂く感じです。
で、トップ画像にこの写真を使用させて頂くのは、
「佃さんの『本気さ』『真摯さ』が特に伝わる写真」の意味を込めてです。


で、今回のタイトルに「考動」という表現を使わせて頂いていて、
「えっ?漢字間違いじゃない?」と思われるかもです。
実は、今回のnote記事を執筆させて頂くまで、この「考動」という表現、
恥ずかしながら存じなかったのですけど、
「ああ、なるほど、とても共感できる、素敵な考え方だな」の感じで。
実はこの「考動」という表現も、佃さんの「こだわりの言葉」。
(どのような意味・想いを込めてるかは、後述で改めて言及させて頂きます。)
なんと素敵な内面・人間性の持ち主だろう!と、なおさらとても応援したい!と。



 はい、「高校生平和大使」の子ども、「こんなに社会的に意義が大きく深い、素敵な活動をしている子どもがいるんだよ、を知って欲しい!」想いで、今回の記事の執筆をさせて頂いてますけど、正直、ストレートな感じを綴る感じになりますけど、(今回、恐らく「高校生平和大使」のこの代、あるいは先人のを何人か取り上げさせて頂く感じになるかなですけど、)
 「いま、最もお会いさせて頂きたい人間を選ぶならば、誰ですか?」
 と問われたら、2人を挙げます。

 1人は、今回の中心軸として綴ります、「佃和佳奈さん」。
 では、もう1人は誰か。











 はい、2024年のはじめの方のnote記事で、2回取り上げさせて頂いてるのですけど(「2月10日」「3月22日」)、
 「岩槻佳桜さん」(当時、気仙沼の高校2年生。今春から大学生になってるとのこと)。

 岩槻さんのことは、当時の記事で言及させて頂いてますし、今回は深入りすると、なおさら本筋から外れる感じになるのでですけど、「想いの強さ」「ほとばしる情熱や使命感」が伝わるんですよね。岩槻さん自身の中で、自身をとても強く突き動かす何かがあって、でもそれがとても強い説得力がある感じでと。


 で、岩槻さん。とりわけ、特に強い説得力があると感じることがあって。


 “震災の記憶が残る最後の世代”かなって感じてるので、一番小さい私たちが見た、ピュアな気持ちとか目線というのを、伝えていけるんじゃないかなって思ってます。


 そう、この「震災の記憶が残る最後の世代」。自分もかつて、「阪神・淡路大震災」(1995年。当時の自分は「小学4年生、西宮(兵庫県)」)の被災経験があって、自分自身が「震災の記憶が残る最後の世代」であった感じなんですよね。ですので、とても強い説得力がある感じでと。


 はい、脱線させてしまった感じですけど、でも、「社会に貢献したい」「社会をよりよくしたい」の志では、分野・フィールドの違いこそあれ、「高校生平和大使」の子どもと、共通している・相通ずる感じといえると映るのです。
 で、後述で改めて言及させて頂くのですけど、実は佃さんも、とある対談で
 「被爆者・戦争体験者の話を直接聴ける最後の世代」
 と話してるんですよね。そう、ニュアンス的には相通ずる感じとしてあってと。

 この「最後の世代」は、恐らく「活動理由の1つである一方で、全てではない」感じかなですけど、でも、そう、「想いの強さ」「ほとばしる情熱や使命感」の意味で、相通ずる感じに映るんですよね。

 というか、後述で言及させて頂く感じになるのですけど、この、佃さん。はっきり正直に述べます。
 「ものが違う」「人間として、とても尊敬できる」
 と。自分は大人になって、やっと学び感じられるようになったことを、高校2年生にして既に学び、感じ、向き合えてることを含めて(それも「表面的にではなく、本質的の次元として」です)。



 本論的な話は、後述でさせて頂くとして、では、「『平和に向き合い続けてきてる若い世代』の先人のこと」の話をさせて頂いてから、本論へと話を進めようの感じです。



 あ


 ではここから、「高校生平和大使」をはじめとする、「平和に向き合い続けてきた、平和の活動に取り組み続けてきた、若い世代の先人」について、言及させて頂きます。何人か取り上げさせて頂きますが、必ずしも「高校生平和大使」とは限らない、とまず明記させて頂きます。



 先人という意味で(というか、現在進行形でもある訳ですが)、まず最初に取り上げるのが、「広島平和記念式典」での「平和への誓い」です。
 この、広島での「平和への誓い」は、1995年(被爆50年)に導入されて、今回で30代目の相当になります。毎年、広島市内の小学6年生の代表2人が、「子ども代表」として「平和宣言」の直後に


 「平和宣言」(広島市長による)
 「平和への誓い」(広島市内の小6による「子ども代表」)
 「首相あいさつ」
 「広島県知事あいさつ」


 流れとしては、上述で固定されています。
 自分も、この「広島平和記念式典」は、確か2018年の回に、参加させて頂きました。あの独特の雰囲気は、「実際に式典に参加しないと、恐らく感じられない」です。しかも時間的に、前泊しないと式典に参加できないことも、あの独特さをより強調させてる感じでと。

 で、「平和宣言」、新聞で大きく取り上げられてるのはこれです。尤も個人的には、平和宣言は、長崎の平和宣言の方が(特に長崎が田上富久市長のときは、これが顕著だった)より言葉がストレートである傾向でしたが。
 その直後に、「平和への誓い 子ども代表」とアナウンスされて、壇上に立ち、この「平和への誓い」で毎年のように「名言が生み出される」のです

 で、「平和への誓い」で「今年も子どものまっすぐな想いが、名言として生まれました」で「『感動』と『生きる勇気』をもらえた」のに、この直後の「首相あいさつ」が、ほとんどの場合で「原稿の棒読み」。もうねえ、明らかに「真心がこもってない」の感じで、雰囲気が一気に「冷や水を、どばーっと浴びせられる」感覚になるのです。はっきりと正直に述べれば「聴いていて不快である」と。

 で、「首相あいさつ」の後に、「広島県知事あいさつ」があるのです。これは意外にも、「わりと、自分の言葉で話してるが伝わる」んですよ。ですけどこの「広島県知事あいさつ」、いまでは全国放送で流されるようになりましたが、2010年代半ばくらい?までは、「広島平和記念式典」の中継は、「首相あいさつが終われば、そこで終了」で、いまのように「完全生中継」ではなかったのです。



 ちなみに、平和記念式典は、当然ながらですが、長崎でもあります。長崎の場合は「長崎平和祈念式典」で、実は漢字が異なります。
 これは、1人の人間として感じることとしてですけど、長崎の平和祈念式典では、「平和への誓い」は「被爆者自身」がしているのが特徴ですけど、被爆者自身の年齢的なこともですが、恐らく後述でも言及差て頂くかなですけど、長崎って、特に高校生年代での「平和活動への真摯さ・熱心さ」が根付いてるんですよね(それこそ、「学校の文化として平和教育に完全ガチな学校」も、私国立・公立を問わずにいくつも存在するほどです)。そう考えると、来年の2025年は「被爆80年」のタイミングであることをも含めて、この「被爆80年」を機に、

 「長崎の『平和への誓い』を『地元高校生の代表』が務める、の形態にアップデートする、の方が、より説得力が生まれると考えますが?と。子どもの純粋さ・まっすぐさこそが、平和を真に叶えるための『ヒント』を生み出し得る意味でもと。」

 そう感じるのは、自分だけですかね?の感じです。
 で、今回のnote記事のテーマが「高校生平和大使」ですけど、実は、長崎での平和祈念式典では、「高校生平和大使が参列してる姿」が、毎年ではないですが、結構な頻度で生中継時に映されてます。では、話を戻します。




 質問
 私は、広島市内の小学生です。平和記念式典で小学生が行っている『平和への誓い』をしたいのですが、どうしたらいいですか。

 回答
 「広島に住む小学生として、平和への強い願いをもって行動していこうとする気持ちが感じられ、大変うれしく思います。
 来年はぜひ平和記念式典へ出席していただければと思います。また、念願されている平和への誓いの発信が実現できることを祈っています。
 今年の平和への誓いは、広島市ホームページに掲載していますので、ぜひご覧ください。


 この度、平和への誓いを発信した小学生は、次のように選ばれましたので、来年度のための参考にしてください。
 1.広島市教育委員会では、平成8年より、こどもたち一人一人に被爆体験を確かに継承し、世界恒久平和の実現に貢献する意欲や態度を育成することを目的として『こどもピースサミット』事業を実施しています。
 2.本事業は、市内の学校を通して募集した6年生の意見作文をもとに選出した20名により、『平和の意見発表会』を行い、その中から選ばれたピースサミット大賞2名が、こども代表として8月6日の平和記念式典で『平和への誓い』を世界に発信しています
 3.『平和への誓い』の文案は、『平和への誓い検討会議』において、『平和の意見発表会』で発表した20名の児童が再び集まり、みんなで話し合いをして、考えています。」

 (広島市HP「これまでに寄せられた主なご意見とその回答」、「平和記念式典『平和への誓い』について」より。)


 そう、これからいくつか、「平和への誓い」の名言集(あまりに多いので、絞ることも正直とても心苦しいほどです)を綴らせて頂きますけど、「平和への誓い」が、なぜ毎年のように「名言が生まれるのか」というと、「壇上に立つ2人だけではなくて、実は『20人の子どもの知恵を結集しての言葉』によるものであるから」なんですよね(勿論、「壇上に立つ2人」が「これをどうしても盛り込みたい」ということは「最大級に反映される」とのことですけど)。

 ですので、「大人でも気付かなかった、見落としていた、忘れかけていたこと」を思い起こしてくれるような、いくつもの名言の中には、壇上に立つことは叶わなかったけど、持っている「能力」「想いの強さ」は、壇上を叶えた「子ども代表」と同等以上である(表に出てこない、の意味での)「名も無き子ども」が生み出した言葉も、恐らく少なからずあると想像です。



 で、自分が「平和への誓い」に注目するようになったのは、「2005年」からですけど、いまだと「2020年の代」までが「既に高校生以上になっている計算」な訳ですが、
 「2005年~2020年、合計で32人」のうち、「高校生平和大使」「ユース非核特使」のいずれか(または両方)を後に務めたのは、「1人」だけです。
 (「2008年、今井穂花さん」。後に「2014年に、ユース非核特使を務めた」。あくまでも「自分が把握できてる範囲内で」ではありますが、「1/32」であり、「高校生平和大使」に至っては「ゼロ」です。尤も一方で、「平和大使、非核特使を務めた訳ではないけど、『高校生1万人署名活動』の一員を務めた」の意味でならば、恐らく何人かいる可能性はありますが。)




 いま取り上げた、「今井穂花さん」。「穂花」と書いて「ほのか」と読みます。後に、2015年に社会現象になる『ラブライブ』の主人公である「高坂穂乃果」と、「漢字は異なるが、同じ『ほのか』」になります。
 (はい、自分のnote記事を継続的に拝読して頂いてる人間ならば恐らく御存じかなですが、自分は「超がいくつも付くほど」の「ラブライバー」[「ラブライブシリーズのファン」の意味]です。ちなみにかくいう自分が、2015年夏の映画という、「社会現象が起きた」タイミングでファンになりました。)



 …と、また話を脱線させてしまってますけど、この、今井穂花さん、「平和への誓い」の当時、
 「かわいらしい髪型をしてるけど、その一方で、とても賢そうな雰囲気をしてるよなあ…」
 と。で、「平和への誓い」を務めたのが「2008年」。それから6年後に「ユース非核特使」を務めたとのことですが、「所属高校、広島女学院」とのことで、「うん、とても納得」の感じで。

 広島で、とりわけ「平和教育」に最も熱心な学校の代名詞的な存在が「広島女学院」です(地元では「お嬢様学校」「名門の女子校」として親しまれてると伺ってます)。

 で、穂花さんの「2008年、平和への誓い」の文章が、これです。


 (1)【「平和への誓い」(2008年版)。】

 (前略)

 でも、生き抜いてくれた人たちがいてくれたからこそ、私たちまで命が続いています。平和な街を築き上げてくれたからこそ、私たちの命があるのです。
 いま、私たちは、生き抜いてくれた人たちに「ありがとう」と心の底から言いたいです。

 忘れてはならない原爆の記憶や、核兵器に対する怒りは、年々人々の心から薄れていると思います。しかし、人の命を奪う戦争や暴力は、遠い過去のことではありません。
 この瞬間にも、領土の取り合い、宗教の違いなどによる争いによって、小さい子どもや大人、私たちと年齢の変わらない子どもたちの命が奪われています。

 失われた命の重さを思うとき、何も知らなくて平和は語れません
 事実を知る人がいなくなれば、また同じ過ちが繰り返され、戦争で傷つき、命を失った人たちの願いは、かき消されてしまいます。だから、私たちは、大きくなったとき、平和な世界にできるよう、ヒロシマで起きた事実に学び、知り、考え、そして、そのことをたくさんの人に伝えていくことから始めます

 また、私たちは、世界の人々に、平和記念式典が行われ、深い祈りの中にある広島に来て欲しいと思っています。ヒロシマのこと、平和のことを知り、平和の大切さを肌で感じて欲しいのです。
 そしていまこそ、平和を願う子どもたちの声に耳をかたむけて欲しいのです

 みなさん、見ていて下さい
 私たちは、原爆や戦争の事実に学びます
 私たちは、次の世代の人たちに、ヒロシマの心を伝えます
 そして、世界の人々に、平和のメッセージを伝えることを誓います


 この「平和への誓い」2008年版。16年が経ったいまでも、いや、いまだからこそなおさら、「深い、本質的なことを突いた、重い問い」を投げ掛けている、知性・感受性のレベルが、この2008年版の文章は、とりわけ「本質的な意味での『賢さ』『多面的』『複眼的』」であることが伝わるのです。
 「教科書的な意味での『賢さ』」ではなくて、「人間としての意味での『賢さ』」が伝わるんですよね。

 「平和への誓い」、他にもここでいくつか取り上げますけど、2008年のときの、この子どもの「心の叫び」は、「世界」「日本」の両面で、はっきりと述べれば「なおざりにされてきた」「『他人ごと』とみなされてきた」、自分は正直、そう感じています。

 いま、穂花さんは、どうしているのだろう?の感じですけど、どのような立場であれ、「社会」をよりよくできること(勿論それが「平和」のことであればなおさらですけど)に携わっていて欲しいなと、とりわけ強く思うのです。


 そう、「平和への誓い」を務めた子どもが、後に「高校生平和大使」または「ユース非核特使」(現在は「高校生平和大使」も「ユース非核特使」の一員と併せて位置付けられるようになってますが)をも務めたのは「32人中で、わずか1人」な訳ですけど、裏を返せば、その子どもが成長していく過程で、「平和のこと」「社会のこと」について、自分も微力ながらでも参加したい、向き合いたいという心を持つようになり、挑戦しようの一歩を踏み出そうとする子どもがそれほどに多い(いわば、プラスの意味での「後天的な成長」を遂げているといえる)、ともいえます。
 ちなみに、「高校生平和大使」の広島県の枠は、近年は「3人程度」でほぼ固定されてますが、このうち1人は「広島市外(特に備後地域)から」が、恐らく意識的にそうしている?感じです。同じ広島でも、広島市内と福山(広島県の東の端)では、実は距離が結構離れてます。
 恐らく、「広島市内だけに留めず、特に備後地域でも、平和の草の根を育みたい・根付かせたい」の意図・想いがあるのかなと想像です。


 話を「平和への誓い」に戻しましょう。もう、「名言のオンパレード」でして、自分は正直、

 広島市さん、『平和への誓い』を一気に収録したのを、書籍化・出版化して頂けませんか?
 『人間として大切なこと』『平和とは何かという問い』を、『社会全体で共有し合う』『平和のことの解決のヒント・突破口になる』と自分は考えますけど。

 真顔で正直、そう伝えたいんですよね、それほどに「人間として大切なこと」がたくさん詰まっているのです。ちなみにコロナ危機の直前のときは、「平和への誓い」の言葉が、広島の平和記念資料館(原爆資料館)で読むことができたと記憶ですが、いまはどうなのかな?の感じですけど。

 では、「平和への誓い」、2008年版以外で、どんな言葉・名言が生み出されているのか。いくつかに絞るのは正直とても心苦しいですけど、いくつかを取り上げます。
 取り上げる前に、少し。実は、「平和への誓い」では、時折ですが、「特定の言葉を3~4回連続でたたみ掛けるように強調するケース」があります。それはつまり、「特定の言葉を連続することで、どうしてもその部分を特に聴いて欲しいから」の意図であると想像です。


 2005年版(「戦争は」×3、「わたしたちは」×3)
 2011年版(「どんなに」×3)
 2013年版(「平和とは」×3)
 2014年版(言葉の冒頭に「平和」を3回連続で使用)
 2017年版(「~の場所、広島」×3)
 2018年版(「平和とは」×3)
 2020年版(「わたしたちは」×3)
 [厳密には1つ目は「わたしたちの」]


 意識的な強調表現が、「16年間で7回」あります。
 これらのほとんどが、「最も伝えたいこと」に直結でもあります。

 確かに、「精神面を伴えていない子ども」(この場合、「悪い意味で幼い」「残酷な感じの子ども」のニュアンスです)がゼロではないことは、正直否めません。
 ですけど一方で、「子どもってすごい」ことを、いままでたくさん直面してきました。そう、「子どもだからこそ、その『まっすぐさ』『純真さ(ピュアさ)』が、『想像以上の結晶を生み出せる』」のだと。
 「平和への誓い」とか「高校生平和大使」「ユース非核特使」って、特にそのような存在であると、自分は映ってるんですよね。


 では、最初に「2008年版」を取り上げましたけど、これからいくつかを取り上げます。


 (2)【「平和への誓い」(2018年版)。】

 (前略)

 平和とは、自然に笑顔になれること
 平和とは、人も自分も幸せであること
 平和とは、夢や希望をもてる未来があること

 苦しみや憎しみを乗り越え、平和な未来をつくろうと懸命に生きてきた広島の人々。
 その平和への思いをつないでいく私たち。
 平和をつくることは、難しいことではありません。
 私たちは無力ではないのです。
 平和への思いを折り鶴に込めて、世界の人々へ届けます。
 73年前の事実を、被爆者の思いを、私たちが学んで心に感じたことを、伝える伝承者になります。


 2つ目で取り上げるのは、「2018年版」。これは「平和とは」を3回連続でたたみかけてる内容もですけど、実はこの「2018年版」は、「自分が平和記念式典に参加させて頂いた回であるので、特に思い出深いから」も正直あります。
 シンプルですが、「平和とは、◎◎である」を、ストレートに伝えてる。


 「平和=『自然に笑顔になれる』『人も自分も幸せである』『夢や希望をもてる未来がある』」。

 ああ、なるほど、仰る通りだと。そう、「身近なことから『平和』を生み出していこう」の想いが込められてます。そして、とても強い説得力が伝わります。

 それと共に、「この日本社会自体が、果たして本質的な意味で『平和』であるといえるのか?」の問いを持投げ掛けてると映ってます。正直、自分自身は、「この日本社会って、『生きづらさ』『ギスギス感』の社会になっていないか?」と、漠然とですけど、正直ずっと感じたりしてますので。


 では、3つ目を(…って、この時点で当初イメージよりもかなり長くなっていますが)。



 (3)【「平和への誓い」(2019年版)。】

 私たちは、大切なものを奪われた被爆者の魂の叫びを受け止め、
 次の世代や世界中の人たちに伝え続けたい。
 「悲惨な過去」を「悲惨な過去」のままで終わらせないために。
 二度と戦争をおこさない未来にするために。

 国や文化や歴史、違いはたくさんあるけれど、
 大切なもの、大切な人を思う気持ちは同じです。
 みんなの「大切」を守りたい。

 「ありがとう。」や「ごめんね。」の言葉で認め合い許し合うこと、
 寄り添い、助け合うこと、
 相手を知り、違いを理解しようと努力すること。
 自分の周りを平和にすることは、私たち子どもにもできることです。

 大好きな広島に学ぶ私たちは、
 互いに思いを伝え合い、相手の立場に立って考えます。
 意志をもって学び続けます。
 被爆者の思いに、私たちの思いを重ねて、平和への思いを世界につなげます。


 3つ目で取り上げるのは、「2019年版」。2つ目の「平和とは×3」の翌年になりますけど、そう、下線の部分の個所が、特に「恐らく強調したいこと」の感じです。
 で、この2019年版の代が、「今年(2024年)の広島の高校生平和大使の代」になるのです。
 (ただし、「高校生平和大使」自体は、必ずしも高校2年生という訳ではない。「高校1年生」「高校3年生」も、例年、数は多くないですがいます。)

 「とても説得力ある言葉」と映る感じで、とりわけ
 「意志を持って学び続けます」
 そう、「揺るがない信念」が伝わり、「なんと素敵な言葉だろう!」と。
 「力強い説得力ある言葉」の代で、(高校生平和大使が)「社会的に意義を知ってもらえる代」「とても強烈な熱量を持つ3人が集った代」になったのは、いわば「運命」であったといえるかもしれないね、と。


 「ありがとう。」や「ごめんね。」の言葉で認め合い許し合うこと、
 寄り添い、助け合うこと、
 相手を知り、違いを理解しようと努力すること。
 自分の周りを平和にすることは、私たち子どもにもできることです

 大好きな広島に学ぶ私たちは、
 互いに思いを伝え合い、相手の立場に立って考えます。
 意志をもって学び続けます。
 被爆者の思いに、私たちの思いを重ねて、平和への思いを世界につなげます。


 いまの自分の「生き方」「価値観」の根っこは、2011年~2015年の、東北に向き合い続けてきた(東日本大震災の復興支援活動)経験・学び・出会いからです。
 いまは、東北を訪れる云々ではなくなってますけど、関西圏(自分が住んでる場所。いまは大阪)からでも東北に向き合い続けることはできるから、という心掛けはずっと意識し続けてます。

 で、「東北・復興・防災」を通して、出会わせて頂けた人間がたくさんいますけど、その中でも、特に自分自身にとって大きな影響を与えた1人がいて。
 その人間は、口癖のようにこういうのです。

 「ありがとう」「ごめんなさい」「大好き」。この3つの言葉さえ伝えられれば、人間は生きていける。そう、この3つの言葉は「魔法の言葉」であると、自分はずっと思っている。


 で、この「2019年版」。「ありがとう」「ごめんね」「大好き」が、いずれも盛り込まれています。


 「違いを認め合い、許し合うこと」
 「寄り添い、助け合うこと」
 「相手を知り、違いを理解しようと努力すること」

 この「2019年版」、自分が東北を通して、「『人間として特に大切なこと』として学んだこと」と、とても相通ずるのです。


 違いを認め合い、本音で向き合う
 異なる考えに、耳を傾ける
 物事を『自分ごととして』『多面的・複眼的に』考える

 東北を通して学んだこと、それこそいくつもあります。尤も自分が、東北を何回も訪れてきたのは「27歳~31歳」のとき、つまり「大人になってから」です。でも視点を変えれば、
 「『人間として大切なこと』を『ほんとうの意味で』学べたのは、『大人になってから』を待たないといけなかった」
 ともいえます、悔しいですけど、それも自分の人生、運命かなと。
 「ほんとうの意味で」と述べてますけど、言い換えれば「(表面的ではなくて)本質的な意味で」と表現できます。

 既に文字数がかなりかさむのフラグが立っていますが、では、4つ目へと話を進めます。



 (4)【「平和への誓い」(2005年版)。】

 わたしたちは、これまでずっと世界平和の実現を訴えてきました。
 しかし、世界では今なお核兵器は存在し、戦争やテロなどが絶えません。
 そして、わたしたちと同じ子どもたちが銃弾や地雷に倒れ命を失っています。
 身のまわりではどうでしょうか。子どもたちが命を奪われたり、傷つけられたりする事件が起きています。暴力事件やいじめもなくなりません。

 本当に平和な世界を築くために私たちは何をしなければならないのでしょうか。
 戦争、争い、いじめ、暴力。これらを起こすのは人間です。人間の心です。
 だから、命を大切にする心、相手を思いやる心をふくらませていくことが大切です。
 まずは相手のことを知り、違いを理解すること。
 そして、暴力で解決するのではなく、話し合いで解決していくことがわたしたちにできる第一歩です。

 わたしたちは、被爆者の方々の願いを受け継いでいきます。
 わたしたちは、核兵器の恐ろしさを世界中の人々に訴え続けます。
 わたしたちは、ヒロシマを語り継ぎ、伝えていきます。
 平和な世界を築くまで。


 はい、自分が「広島平和記念式典」の中での「平和への誓い」に、特に注目させて頂くきっかけになった「2005年版」。結論から述べますと



 「原点にして頂点」。この言葉が、とても「すとんと落ちる」のです。
 こうして、平和活動(及び、これを含む、各種の社会貢献活動)に向き合う若い世代が増えてきてるいまでも、というかこの「2005年版」って、若い世代が社会貢献に向き合うきっかけになった「東日本大震災」(2011年)より以前ですけど、19年が経ったいまでも(いやむしろ、いまだからこそかもですが)、「とても大切な問いを投げ掛け続けている」であり、「ずっと輝き続けている」と映るのです。


 本当に平和な世界を築くために私たちは何をしなければならないのでしょうか。
 戦争、争い、いじめ、暴力。これらを起こすのは人間です。人間の心です。
 だから、命を大切にする心、相手を思いやる心をふくらませていくことが大切です。
 まずは相手のことを知り、違いを理解すること。
 そして、暴力で解決するのではなく、話し合いで解決していくことがわたしたちにできる第一歩です。


 いま抜粋した部分こそ、自分が当時、特に感動した個所です。

 「平和な世界」=「戦争、争い、いじめ、暴力のない世界」。
 「『命を大切にする心』『相手を思いやる心』を育むことが大切」。
 「『相手のことを知り、違いを理解すること』『話し合いで解決していくこと』は、『平和のためにまずできること』である」。


 「命を大切にする心」「相手を思いやる心」。
 「相手のことを知り、違いを理解すること」「話し合いで解決すること」。

 この「平和への誓い」。「平和とは何か」を、まっすぐに問い掛ける年が、何回かあります。
 ですけど、この「2005年の回」が「原点にして頂点」と自分が表現する理由が、「平和とは何か」について、「命を大切にする心」「相手を思いやる心」「違いを理解して向き合う心」を育もう、という「とても本質的なこと」をとらえていることにあるのです。


 で、この「2005年版」、「なんと素晴らしい言葉・想いなんだろう!」と、この「平和への誓い」、とても大きな拍手でした。それこそ、いわゆる「スタンディングオベーション」が起きても驚かないほどに。

 ですけど、この「2005年版」、「平和への誓い」の直後の「首相あいさつ」。当時は「小泉純一郎政権」(勿論、自民党政権)でしたけど、恐らく歴代で最も「真心がほぼ皆無」「無味乾燥」といえる内容や話し方。はっきり述べれば「心ここにあらず」。
 そう、「むかつく」「聴いていて、とても不愉快」「時間の無駄」。
 会場の雰囲気を「一瞬にしてぶち壊した」が画面越しに伝わりました。



 「心ここにあらず」なのは、いま思えば当然で、あの首相の頭の中は恐らく「どう解散して、どう選挙に勝利するか」で埋め尽くされてたのだと。
 で、衆議院の解散が「8月8日」。ですので、翌日の長崎の平和祈念式典は「画面越しにわかる、異様な雰囲気」を、いまでもはっきりと記憶です。

 当時、自分は「21歳、大学3回生」でした。大学で政治学を学んでいたからもありますが、「あの政治姿勢で、何が『平和』だよ!」と、激しく強い違和感でしたし、9月11日の開票速報、「自民党、歴史的圧勝へ」と20時の「各局の出口調査に基づく獲得予想議席」が出た際の「言葉で表現したくない、激しく強烈な絶望感」は、一生忘れません。




 自分が、大学(厳密には「大学→社会人→大学」だが、ここでは1回目の)で政治学を学ぶことを決心した理由はいくつかありますが、特に大きな1つが、2001年(高校2年生)での「ニューヨーク等での、アメリカ同時多発テロ事件」に、とても衝撃を覚えたからです。
 中学3年生のとき、修学旅行で長崎を訪れたのですけど、長崎を訪れたことの意味が、そのとき一気に自分自身に改めて問い掛けられた感覚があったこと、自分の中で「平和」「戦争」ということが、キーフレーズの大きな1つになったことが、正直あります。

 あの「アメリカ同時多発テロ事件」は、いわゆる「9.11」と呼ばれているように「2001年9月11日」です。
 で、2005年の衆議院の解散総選挙の投開票日が「2005年9月11日」です。

 「曜日の並びが、偶然に一致したから」、確かにそうかもですけど、あの「ニューヨークの惨劇」の記憶がまだ強烈にある中で、「9月11日」をまるで意図するかのように解散、選挙を決行したこと。若いながらに「激しく強い違和感」を抱いたんですよね。


 話を戻しましょう。もう少し、「平和への誓い」のことを綴らせて頂いてから、徐々に「最大の本題」へと話を進めたい、と思ってます。



 (5)【「平和への誓い」(2013年版)。】

 平和とは、安心して生活できること
 平和とは、一人一人が輝いていること
 平和とは、みんなが幸せを感じること

 平和は、わたしたち自らがつくりだすものです。
 そのために、友達や家族など、身近にいる人に感謝の気持ちを伝えます。
 多くの人と話し合う中で、いろいろな考えがあることを学びます。
 スポーツや音楽など、自分の得意なことを通して世界の人々と交流します。

 方法は違っていてもいいのです
 大切なのは、わたしたち一人一人の行動なのです
 さあ、一緒に平和をつくりましょう
 大切なバトンをつなぐために


 5つ目、2013年版。「平和とは」を、特にストレートに問い掛けてることから、取り上げてます。


 「平和とは『安心して生活できること』」
 「平和とは『一人一人が輝いていること』」
 「平和とは『みんなが幸せを感じること』」

 特に、「一人一人が輝いていること」。実は、東北で最も学んだことがあって

 100人いれば、100通りの個性がある。

 いわゆる「みんな違ってみんないい」「十人十色」に相通ずるかなですけど、この「100人いれば、100通りの個性がある」は、自分自身の「生き方」「社会に向き合う姿勢」に、特に大きな影響を与えてます。
 言い換えればこれ、「同じ個性は1つとして存在しない」。そう、
 「あなたはあなただから素晴らしいんだよ。」
 という言葉がありますけど、これっていわば「自分は自分でいていいんだ」ということ、つまり

 「平和な社会」=「1人1人それぞれが『自分らしく』生きられる社会」。

 そう考えると、最も「すとんと落ちる」のです。勿論、「1人1人それぞれが『自分らしく』生きられる社会」だけでは説明し切れない(特に、国際関係・国際情勢に向き合うことにおいては)感じでもありますけど、でも、「自分たちでも、平和のためにできること」という意味では、
 「1人1人それぞれが『自分らしく』生きられる社会、を叶えること。」
 例えば、この「社会」を「学級」「学校」と置き換えると、より説得力があるといえるのでは、と映るのです。


 「スポーツや音楽など、自分の得意なことを通して世界の人々と交流します。」

 これも特に、強い説得力を感じます。何故ならば、自分自身が、紆余曲折の末に、いま最大のメインフィールドは「スポーツ」の分野であるからです。
 自分、スポーツは子ども時代からずっと「観る専」なんですよ(「する」能力は、正直皆無です)。ですけど、「好きなこと」と聞かれると、子ども時代からずっと「スポーツ観戦」であったんですよね。
 スポーツに向き合うことが「好き」であり「得意」である。正直、これは感覚的にですけど実感してます。

 で、「『好きなこと』『得意なこと』を切り口に、社会・世界のことに向き合うこと」は、「より多くの人間にできること」と自分は思うのです。
 そう考えると、「平和に向き合う心理的ハードル」が、結構下がるんじゃないかな?と映るんですよね。


 「さあ、一緒に平和をつくりましょう。大切なバトンをつなぐために。」

 そして、この2013年版の素敵さは、「ラストの言葉が、『とても力強さが伝わる』」ことです。シンプルに、まっすぐに問い掛ける。それがむしろ、聴いてる人間の心により一層訴え掛ける、「なんとかできることを探そう」と思う・感じることに結び付くように映るのです。
 あと2つ、「平和への誓い」のこと、言及させて頂きます。



 (6)【「平和への誓い」(2012年版)。】

 つらい出来事を、同じように体験することはできないけれど、
 わたしたちは、想像することによって、共感することができます。
 悲しい過去を変えることはできないけれど、
 わたしたちは、未来をつくるための夢と希望をもつことができます。

 平和はわたしたちでつくるものです。
 身近なところに、できることがあります。
 違いを認め合い、相手の立場になって考えることも平和です。
 思いを伝え合い、力を合わせ支え合うことも平和です。
 わたしたちは、平和をつくり続けます。
 仲間とともに、行動していくことを誓います。



 (7)【「平和への誓い」(2014年版)。】

 悲しみや苦しみの中で、生きることへの希望を見つけ、生き抜いた人々に感謝します。
 当たり前であることが、平和なのだと気がつきました。

 ある語り部の方は言いました。
 「小さなことからはじめてほしい。」

 わたしたちは、もう行動をはじめています。
 友達を大切にし、優しく接しています。
 家族や被爆体験者から被爆の事実と平和への思いを聞いています。
 平和の思いを込めて、毎年千羽鶴を折り、慰霊碑に捧げています。
 平和とは何か自分で考え、友達とも意見を交流しています。
 平和について考えることで、仲間とつながりました。

 わたしたちは、できることからはじめる勇気をもつことができました。

 Welcome to Hiroshima.
 みなさんをここ広島で待っています。
 平和について、これからについて、共に語り合い、話し合いましょう。
 たくさんの違う考えが平和への大きな力となることを信じて。



 2つ、一気に綴りました。「2012年版」と「2014年版」。



 で、文字数や時間の関係から、駆け足的な感じで言及させて頂く感じになりますが、「若い世代による平和活動の歩み」という意味で、何人かを取り上げさせて頂きます。より深く取り上げるのは、いつかまた機会があればということでと。



 人目、「井上つぐみさん」。井上さんを初めて知ったのは、2015年、「高校生平和大使」を務めていたときです。
 ちょうど自分が、「東北・防災に向き合う」から、「他の場所、他の社会課題にも向き合う」へと、自分の生きるテーマに変化・転機が生じていたタイミング的なこともあったかなですけど、
 「『想いの強さ』がとても強い、眼鏡の少女だよなあ…」と。

 自分が、あらゆる社会課題を、「『自分ごと』として考える」を、いままで以上に意識づけることの、及び、「『平和』『戦争』のことについて、自分なりに向き合う」ことの、大きなきっかけになった人物が、実は井上さんです。
 でもそれ以降は、「いま、どうしているのだろう…」の感じでしたけど、ちょうど、日本被団協のノーベル平和賞の頃ですかね、「うわあ、自分自身が広島・長崎に向き合う転機になった人間の現況が聞けて嬉しい」と。





 で、いまリンク添付させて頂いた1つが、井上さんのインスタグラムです。いま志してる医師も、「いのちに携わる」もですし、職業柄(最終的にどの科に携わるかにもよるが、例えば放射線科だと、より原爆のことに近い感じで関わることになるかなだが)、間接的には向き合うことができますが、もう1つ、いま井上さんは、「被爆体験伝承者」としても活動を始めてます。



 井上さんのインスタグラムを拝読させて頂くと、「大人になってからでも、こういう関わり方もあるよ」という意味で、いま現実論として、若い世代が、大人になってからでも平和に向き合う・携わるをしたくても「受け皿不足の現況」があることに照らしても、自分も1人の人間として、とても参考になり得ると、ささやかながら応援の想いです。



 あ



 今回のnote記事執筆の最大のきっかけが、NHK『おはよう日本』の5時台後半での特集(2024年11月22日)、及び、『朝日新聞』の「Youth&Peace ヒバク80年へ」の特集(最も印象的が1回目の「2024年8月2日」。全4回で、「2024年8月2日~2024年8月5日」での連載だった)でした。
 それが出発点である訳ですけど、「2024年10月11日」、「日本被団協のノーベル平和賞受賞」、このニュース自体がとても嬉しいことは勿論ですし、このときの(映像越しとはいえ)伝わる雰囲気が、心温まる素敵さだったんですよね。
 そこから、いろいろと調べる過程で、特に目に留まったのが、最初に言及させて頂いた、そして今回のトップ画像で使用させて頂いている、
 「佃和佳奈さん(福山暁の星女子高校2年生。広島)」
 です。特に取り上げようと思った理由は、いわば複合的ですけど(勿論、ノーベル平和賞受賞会見が、とても印象的であったことも大きい。尤も受賞したのは「高校生平和大使ではない」のだが、「本心で喜びを分かち合えてる、とびっきりの笑顔」に、見ている自分も勇気付けられた)、調べる過程で、
 「『熱量・想いの強さ』『平和活動への姿勢・向き合う理由』、その『激しく沸き立つ・燃え上がる感じ』がとても伝わるから。」
 これが特に大きいんですよね。



 はい、「かわいいは正義」を地で行ってるから、これを確かに全否定はしません。でも、和佳奈さんの本質は、その「内面」「姿勢」にこそあると。



 で、調べる過程で、「高校生平和大使 広島」と検索を掛けると、このHPが出てきた訳です。これ、なんと学校側(福山暁の星女子)の特設HP。
 で、今回のnote記事、冒頭の書き出し部分として、3つ、いずれも和佳奈さんの言葉を載せてますけど、特に3つ目です、再掲させて頂きます。


 「世界で戦争と核兵器の脅威が拡大していて、自分の手で平和のために何かアクションを起こしたいと思っていた中、高校生平和大使に選出していただけたことに、身の引き締まる思いです。平和が訪れる『いつか』は、待っているだけでは実現しませんし、私たち一人ひとりが声を上げ続けなければいけません。
 一人ひとりが平和や戦争に対し、『頭だけではなく心で理解すること』が必要です。だから、私たち高校生の『心からの声』を、より多くの人の心に届けられるように頑張りたいと思っています。
 『核兵器のない平和な世界の実現』。この大きな目標を常に忘れず、スモールステップを大切にしながら、一瞬一瞬の活動に全力で取り組んでいきます。」


 (←いま、動画を3つリンク添付させて頂いてますが、それぞれ
 1つ目「0:53~1:05」、2つ目「0:40~0:48」、3つ目「0:41~0:50」が、佃さんの言葉の該当部分です。
 澄んだ声質と共に、「落ち着いたトーンだけど、抑揚が伝わる声」であるけど、でも文字に起こしたり、特に意識的に強調してる部分を抜き出すと、「内に秘める、ほとばしる情熱」というか「自分はどうしてもこれを伝えたいんだ!」が伝わるんですよね。)


 特に、3つ目の動画。

 「平和が訪れる『いつか』は、待っているだけでは実現しませんし、私たち一人ひとりが声を上げ続けなければいけないと思っています。」

 この、特に前半部分。「いつか」を意識的に強調してるんですよね。
 「平和な社会・世界」は、「自分たちで勝ち取らなければいけない」、これを学んでるんだなと。
 自分たちで勝ち取るための行動を「誰かがやらなければいけない」ことである、それならば、自分が声を上げる・立ち上がるをすることが、より後悔がない、だから「挑戦を決心した」と。

 それもですし、2つ目の動画(+で、この続きを話してるのが、学校側のHPでリンク添付されてる「読売新聞での紙面上での言葉」になるかなですが)で言及されてることが、特に心に響くのです。


 「一人ひとりが平和や戦争に対し、『頭だけではなく心で理解すること』が必要です。だから、私たち高校生の『心からの声』を、より多くの人の心に届けられるように頑張りたいと思っています。」


 この人、「ものが違う」と。
 特に、とても強い説得力が伝わり、そして、とても考えさせられるのが
 「頭ではなく、心で理解すること」、つまり「心での理解」です。
 この「心での理解」。あとで改めて言及させて頂くかもですが、和佳奈さんの「キーフレーズ」になっています。


 「100人いれば、100通りの個性がある」
 「違いを認め合い、本音で向き合う」
 「異なる考えに、耳を傾ける」
 「物事を『自分ごととして』『多面的・複眼的に』考える」

 先述で言及させて頂いた、自分が「東北を通して学んだこと」。
 いずれのことも、いまでは「人間としてとても大切なこと」として学べてますし、自分自身の「信念」にもなっています。
 ですけど、自分がこれを学べた、いわば「心での理解」ができるようになったのは、「27歳~31歳」、つまり「大人になってから」です(4つのことのうち、「物事をより多面的・複眼的に」だけが大学生のときに学んだことである程度です)。
 ですのでおのずと、「高校生のときに」、自分はそこまでできていなかった。というか、自分が学んでいた学校・環境は、典型的な「(古典的な)バケツ型の教育」、つまり「知識を注ぐ、詰め込み型の教育」に終始していて、そこまで意識付けできる環境になかったが、正直あります(加えて、自分が高校生時代に出会ってきた人間も、いわば「確かに自分より頭はいいけど、でも人間として『一緒に仕事がしたい』という魅力さは感じない」の人間ばかりで、正直きつかったこともあります)。


 (←このnote記事の中盤部分で「バケツ型」「サーチライト型」の教育のことを言及させて頂いてます。)


 自分は「27歳~31歳」のときにようやく叶った「心での理解」ということを、和佳奈さんは「17歳、高校2年生」にして、「いつも心掛けられている」
 もうこの時点で、「一緒に仕事ができれば、自分もとても成長できそう」と共に「人間として、とても尊敬できる。見習いたい」に尽きるのです。


 そう、この時点で、「想いの強さ」が伝わる。で…。





 (←いわゆる「ミッションスクール」のこと。)


 そう、そもそもこうして、「学校が特設HPを設けてる」こと自体が、とても素敵なことです。
 (ちなみに、この福山暁の星女子高校からは、「高校生平和大使」は歴代で4人目の選出とのこと。このうち2人目以降の「2018年」「2023年」、そして「今回(2024年)」と、学校がわざわざ特設HPを設けている「気合いの入りよう」です。ですけどその中でも、今回が特にボリュームがある感じになってるんですよね。)
 その上に、です。実は…。



 この1月から、「生徒会長」を務めているとのこと。
 それだけではないです。





https://www.sf.us.emb-japan.go.jp/itpr_ja/24_0806a.html

 (←「在サンフランシスコ日本国総領事館」のHPより。「Stanford e-Hiroshima」の成績優秀者に輝いたこと[写真1枚目の左下が、和佳奈さんです]。)




 「英語のコンテストを2つ、優勝している」こと。特にこの「Stanford e-Hiroshima」で最優秀2人(事実上の優勝と同義)は、リンク添付を参照されたしですけど、「とてもすごいこと」といってよいといえます。
 「数学オリンピック」「科学オリンピック」とかを、耳にしたことがある読者さん、結構いらっしゃるのでは?と想像ですけど、意義的には「英語のオリンピックの本大会に出場を叶えた」ような感じでしょう。
 それも、超名門の「スタンフォード大学」主宰の教育プログラムで最優秀賞もですし、2つのコンテスト、いずれも「学校の先輩を上回っての優勝」なことも特筆といえます。そう、「すさまじい英語力の持ち主」であることが想像できる訳です。
 (英語が大の苦手である自分にとっては、「とても羨ましい」が正直な本音です。英語力に優れることで、将来の仕事・職業の選択肢が一気に拡がる意味でもと。)






 その上に、です。学校がこうして、「高校生平和大使」を務めてることでの特設HPを設けてること自体が「全面的な応援」の証明ですが、この、福山暁の星女子、歴代で(佃さんを含めて)4人を輩出してるとのことですが、学校として最初の「高校生平和大使」が、「第18代、2015年」とのこと。
 つまり、「10年間で4人を輩出」というハイペースといえます。
 (しかも、1学年の人数は募集人数は90人とのことですが、実際は恐らくそれよりも少ない、「推定70人程度?」の感じ。裏を返せば、「社会貢献活動を自発的に取り組める・応援してる校風」の証明といえます。)



 なんというか、学校の特設HPやインスタグラムを通してでだと、「学校にとっての、自慢の生徒」であることがとても伝わります。そう、「俗語的な意味とは異なる」、いわば「語源的な意味で」と明記した上でですが



 そう、「学校にとっての『憧れ(あこがれ)・尊敬の存在』」という意味で、「スクールアイドル」。尤も、「スクールアイドル」の実際の意味は、まさしく(自分がこよなく愛する)「『ラブライブ』シリーズでの世界」のことですけど。

 福山暁の星女子の校風・環境が、和佳奈さんの持っている(あるいは潜在的な)個性にとても合っていたこと。
 で、「生徒会長」を務めている(勿論、学ぶ過程で「(学校が大好きだからこそ、)より理想の学校にしたい」と思うようになったからと想像。それと恐らくだが、「平和」に強い想いを抱くようになり、「平和な社会・世界を叶えるには、まずは『平和な学校』を叶えることから」ということもあり、自ら行動を起こそうと決断したのかなと)こと。
 「賢さ」や「カリスマ性」が伝わること。
 で、「ポニーテール」をトレードマークにしていること。




 はい。「かしこい、かわいい、エリーチカ」!
 ラブライブ(初代。「μ’s」)で生徒会長を務めていた、「絢瀬絵里」です。
 例えが不適切ならばごめんなさいですけど、絢瀬絵里のように「賢くてカリスマ性の持ち主なんだけど、でも目線は学校の仲間と同じ」というニュアンスです。



 で、和佳奈さんのことを、「ものが違う」「熱量の強さが伝わる」「観ている景色が、数歩先を観ている感じ」「人間として尊敬できる、見習いたい」と述べてますけど…と。






https://www.city.ibara.okayama.jp/uploaded/attachment/7566.pdf

 (←井原市が発行している「広報いばら」。佃さんの故郷は「岡山県井原市」。そのため、恐らく井原市役所に表敬訪問に出向いて、その際にインタビューに答えたと思われます。)


 (←「井原」と書いて「いばら」と読みます。とても恥ずかしいことに、今回こうして調べさせて頂くまで、そう読むことを知りませんでした[ごめんなさい!]。
 で、井原市が「岡山県の西側」にあること自体は存じてましたが、「位置関係、生活圏」的には「福山により近い」ことも、今回学びました。
 ちなみに井原からは、「井原鉄道→JR福塩線」で福山へ、とのこと。)





 それで、です。ここまでの時点で、「熱量が違う」と漠然と感じてたのが、より確信になったのが、2つあります。
 その第1が、学校の特設HP上にある、「朝日中高生新聞」へのインタビュー記事です。


 ノーベル平和賞の発表は、日本被団協の箕牧智之さんと一緒に会見場(広島市役所)で一緒に聞きました。その場の空気が一気に熱くなりました。日本被団協が結成されてから現在に至るまで、たくさんの被爆者の方が活動を続けてきましたが、核兵器廃絶への強い思いは、時間も場所も超えて受け継がれていくと感じました
 8月に高校生平和大使として、スイス・ジュネーブの国連欧州本部に核兵器廃絶を訴える署名を届けました。印象に残ったのは、レセプション(歓迎会)で各国の方と話したこと。中には核兵器廃絶に否定的な方もいて、最初は悔しさも感じましたが、『核兵器を持つべき』という意見の背景には何があるのかを考え、対話を続けることが大切だと思いました
 戦争を経験していない私たちの世代にとって、当時のことを想像するのは難しいと感じます。しかし、人々の生活が原爆で急に失われることを、頭だけでなく、心で理解するために、どう発信すべきかを考えていきたいです

 (佃和佳奈さん、2024年10月22日、『朝日中高生新聞』のインタビュー記事より。)


 いくつかの個所に下線をさせて頂いてますけど、とりわけ特筆が3つ。

 「核兵器廃絶への強い思いは、時間も場所も超えて受け継がれていくと感じました。」
 「『核兵器を持つべき』という意見の背景には何があるのかを考え、対話を続けることが大切だと思いました。」
 「人々の生活が原爆で急に失われることを、頭だけでなく、心で理解するために、どう発信すべきかを考えていきたいです。」

 希望を感じることと共に、「重い問い」を投げ掛けてる感じでもある。
 特に「対話をし続ける重要性」「1人でも多くの人間が、『心で理解できる』ように」
 とても大切なことだよねと強い共感ですけど、特に日本の場合、(これはあとで改めて言及かなですけど、)このようないわば「思いやり」「想像力」を持てる人間が限られてる(そしてそれができる人間が、なぜか「意識高い系」と意味不明ないわれようをされてる)現況なんですよね、これが心が痛むと。

 で、です。自分が特に強い衝撃を覚えたのが、下記の動画でした。




 そして特に、です。和佳奈さんの「熱量」「姿勢」で、特にいろいろと衝撃を覚えたのが、いまリンク添付させて頂いた動画です。
 動画は「24分55秒」。勿論、いくつかを抽出させて頂きながらの感じになりますが。


 (1:39~3:27)
 応募したきっかけは、自分の中で、平和だったり、原爆に対する理解の仕方が変わった瞬間があって
 私はよく、『頭での理解』と『心での理解』という表現をよくしてるんですけど、自分の中での理解が、『ただ頭で理解していた』ところから、『心で理解できるようになった』、というのが、応募したいなあと思ったきっかけでした。」

 いろんなことが積み重なってなんですけど、被爆者の方の、平和に対する強い想いを聴いたり、その想いが詰まった映画を観たことがきっかけで
 ただ単に、教科書的に理解するんじゃなくって、(被爆の)実相をちゃんと直視して、理解しようっていうふうになったのがきっかけです
 自分が、平和について何か活動したいなと思っていて、何をしたらいいんだろうというふうに、迷っていたこともあったんですけど、そのときに、同じ学校(かつ英語部)の1学年先輩(である、永戸ももさん[第26代を務めた。なお、佃さんの前任の生徒会長でもある])が、『(第26代の)高校生平和大使』として活動されてたので、『ああ、こんな活動があるんだ』と思うようになって、それも応募のきっかけの1つだったと思います。」

 (注:他の資料をも総合すると、「いくつものことが積み重なって」の感じと思われる。
 「高1の7月の、フィリピン・セブ島への短期海外研修が転機になった」「ウクライナ情勢、パレスチナ情勢に心を痛めて」「『ふくやまピース・ラボ』に参加したことから」とかが積み重なって、の感じか。
 いえることは、「セブ島への短期海外研修への参加」が、「内面的に、ポーンと大きな成長を遂げるきっかけ・転機になった」と思われること。
 「広島の原爆投下を題材にした映画」だと、『この世界の片隅に』『おかあさんの被爆ピアノ』『オッペンハイマー』とかが挙げられるが。)


 (7:49~9:08)
 「いま日本は、飛行機をみても、隠れたり逃げたりしなくていいし、爆弾が降ってくる心配をせずに暮らせるのは、有難いし恵まれてることだなと思っていて、でもその一方で、戦争の記憶が風化しつつあるっていうのも、現実だと思うので
 被爆者の方のお話とか、戦争を体験された方のお話を直接聴ける最後の世代』と私たち(の世代)がいわれてるので、1人1人が向き合って、『心での理解』をすることが大事だなと思ってますし、私自身も『心での理解』ができるような発信の仕方をしていきたいな、と思ってます。」


 (16:02~18:32)
 (両親・家族には)ほんとに感謝してます。いろいろ活動できたりするのも、ほんとにサポートしてくれてるからだと思うし。自分はほんとに、恵まれた環境だなと
 学校(福山暁の星女子)への進学も、自分が行きたいと思った学校に行かせてくれたのも、ほんとにすごい恵まれてると思うし、いまの学校とかも、いろんな環境的に、自分が恵まれてる部分が多いなと思っていて、それを還元したい(恩返ししたい、誰かの役に立ちたい)、という思いも正直あります。」

 暁の星は、私にとっては、『すごく安心できる場所』であると同時に、『すごく刺激をもらえる場所』でもあって、周りのみんながすごく優しいので、安心して過ごせますし
 あとみんな、1人1人それぞれが、あれをやりたい、これをやりたいとか、そういう考えを持ってる人が多かったり、実際に活動している人も多かったりするので、いろんな分野で。だからすごい、友達とか、先輩後輩からも、刺激をもらってます、すごく
 ほんとに、(中学受験のときに)暁の星を選んでよかったなと思ってます。」

 (佃さんの場合、佃さん自身が強く志望して「どうしても暁の星で学びたい!」と強い意志であったが伝わること。ちなみに暁の星では[高校からの募集枠も少しあるようだが]「原則、中高6年一貫」とのことであり、高校2年生は「5年生」と呼ぶとのこと。
 後述の小林聖心女子学院[兵庫。細谷美優花さん]に至っては、「小中高12年一貫」[小学校、中学校からの募集のみ]とのことで、高校2年生は「11年生」と呼ぶとのこと。
 中高一貫校、小中高一貫校だからといって、「11年生」「5年生」と表現する学校は実は少数派であるが、いえることは、佃さんの個性と暁の星の校風が「完璧に調和してた」、それで「ポーンと成長を遂げてる」ことが伝わること。)


 (22:00~ラスト[24:55])
 「(将来の目標について)あんまり、まだはっきり『これをしたい』というのはきまってないんですけど、先程も言った通り、『心での理解』というのが私の中でのコア(軸)であって、それを言い換えたら『共感』というふうにもいえるのかなと思うんですけど、いろんなことに対して、勿論、戦争や原爆に対しては『心での理解』をもっと深めていきたいと思うんですけど、他の社会問題に対しても、『心での理解』をしていけるように、表面的じゃなくて、もっと深いところまで、いろんなことを知りたいなというのはあります。



 そう、受け答えがとても成熟している感じで(物怖じしてない。それをも含めて、とても見習いたいです)、特に何がすごいかって、「原稿を見ながら話してた場面が、25分間中、わずか1回」なのです(その1回とは、「リクエスト曲を伝える」場面。恐らく言い間違いがないように、です)。
 ですけど、でも一方で、結構な頻度で「堂々と答えたあと、照れてしまう」。そこがまた「かわいらしい」感じで親近感ですけど、この「実は照れ屋さん」、自分が見ている、とある声優さんに似てるよなと。




 はい、「Liella!(『ラブライブ!スーパースター!!』。ラブライブの4代目です)」のメンバーの1人、「さくちゃん」こと「坂倉花」さん。
 純粋さと親しみやすさが魅力ですけど、それでいて、実は「照れ屋さん」です。脱線させてしまいましたけど。




 いまリンク添付させて頂いた、「子ども食堂」のこと。
 この、福山の「子ども食堂」の活動をしてるのが、なんと、和佳奈さんにとって「同じ、生徒会の執行部のメンバー」であるとのこと(桑原加奈さん。学年も同じ)。
 同じ生徒会執行部とのことで、恐らく「こういう活動をしてるんだ」とも直接伺ってると想像ですし、「学校内でも、とても素敵な仲間に出会えてるんだね」と、とても嬉しい気持ちになります。




 で、いまリンク添付させて頂いたのが、動画の中盤で「なぜ生徒会長をやりたいと思ったのか」の最大の理由であるという「やりたいことがあったから」、そう、「生徒会としての年間スローガン」。
 生徒会長に立候補したのは「学校が大好きだからこそ、もっと魅力的な学校にしたいと思ったから」が伝わりますけど、「こういう学校にしたい」を、「生徒会としての年間スローガン」に込めたと。

 それが

 「三次元アリ~What Do you wanna do?~」
 「考動~自ら考え行動する、考えて動く~」

 はい、ここで、今回のタイトル「考動」が登場しました、ですけど、ここで白状します、
 「『考動』『三次元アリ』、いずれも今回、初めて学んだ言葉です。」
 恥ずかしいですね、いい年してるのに(激汗。この夏で40歳になった)。


 第1に。「考動」、つまり「自ら考え行動する」
 いわれてみれば、とても素敵な考えだよねですし、自分もこうありたい。
 (尤も現実論は、「意欲」「能力」の両方を併せ持ってないと難しいではありますが…。)



 自分が、東北で出会った人間の中で、とりわけ強烈な出会いがありまして、「矢部寛明さん」。
 (自分が出会ってきた人間の中でも、屈指といえるほどに「ぶっ飛んでいる」感じですね、これは勿論「褒め言葉として」ですけど。はい、矢部さんのその強烈な個性は、正直「カルチャーショック」でした。)

 その、矢部さんの「座右の銘」が「行動はメッセージ」
 意味合い的には、「考動」と相通じます。

 「考える前に行動する」だと、自分的には正直、違和感がありました(勿論「ケースバイケース」ではあるのですが)。
 ですけど、「考えて動く」「自ら考え行動する」といわれると、「ああ、なるほどね」と、とても「すとんと落ちる」「納得できる」感じで。


 第2に「三次元アリ」。正直、最初は「?」でした。ですけど、調べると、由来があるのだとか。



 恐らくですけど、ニュアンス的には「より自由な発想で」、つまり「発想力を育もう」と伝えたいのかなと。

 これをかみ砕くと(やや強引かもですが)、

 「考動」「三次元アリ」
  ↓
 「考えて動く」「自ら考え行動する」
 「発想力を育もう」「より自由な発想で」

 「いわれてみれば」ではありますけど、「とても素敵だな」と。
 つまり「『自ら考え行動できる』『自由な発想を持てる』学校にしたい、だから生徒会長になった」、が伝わります。


 それにしても、勿論、本人(和佳奈さん自身)の努力がとても見習いたいですけど、親御さんの姿勢も恐らくとても素敵なんだろうなあと。
 「親の無理解」で、やりたいことをあきらめさせられてる、持っている(あるいは潜在的な)個性を壊されてる子どもが恐らく少なからずいることに照らせば、「あなたがやりたいことをやっていいんだよ」と温かく支える親御さんに(和佳奈さんが)育てられてることが伝わること。

 あとでリンク添付ですけど、11月初めの、広島市長への表敬訪問のとき、和佳奈さんの姿勢、とてもしっかりしてること。これも、「親御さんや先生方に、ありったけの愛情を注がれた賜物」と伝わります。


 いずれにせよ、和佳奈さんの「熱量・想いの強さ」
 ただシンプルに、「1人の人間として、とても尊敬できる」です。
 だからこそ感じるのが、最終的にどのような進路を志すにせよ、
 「『平和』『社会』といったことに、何らかの形であれ、かかわりを持ち続けられると、より嬉しいです。」
 ということです。少なくとも、「小さな枠組みで収まって欲しくない」というか、「『社会をよりよくできる一助に』のために、『学んできた・育んできたことを活かし続けて欲しい』!」、そう強く抱くんですよね。

 「社会をよりよくしたい」、でもそれには現実論、「意欲と能力を併せ持ってる」が求められる訳です。でも多くの人間は(自分を含めて)、「能力の壁」に屈してしまうと。
 でも、和佳奈さんは、その両方を授かってる。勿論、どのような道を志すであれ、「『和佳奈さんらしく』を貫いて欲しい」ですけど、その上で、「社会のために、自分の持っている資質能力を活かせる」だとより素敵だよね、と正直感じてます。そして、なによりも、

 「いま育んでる、『平和への想い』、『絶対にあきらめないで貫き続けてね』!」

 これが正直、1人の人間として、最も伝えたいことです。
 (それにしても、もし、いつかお会いさせて頂けるが叶ったら、質問攻めにしてしまいそうだなあ…、の感じですけど。)









 で、佃和佳奈さんと共に、今年の代の広島での「高校生平和大使」を務めているのが、「甲斐なつきさん」(広島県立基町高校2年生)。
 3人いる広島の大使の中で、尤も中心になっているのが、この、甲斐さんと映ってます(実際、就任あいさつ時は、甲斐さんが「筆頭クレジット」になっていたし、11月の広島市長への表敬訪問時でも、広島市長に最も近い座席が甲斐さんでした。

 この、なつきさん。「被爆4世」とのことですけど、「広島」「長崎」のそれぞれで被爆した曾祖父を持つとのこと。
 で、実は、なつきさん、「高校生1万人署名活動、広島」のインスタを拝読させて頂くと、少なくとも昨秋(つまり、高校1年生)から署名活動に参加していることが伝わります。それほどに「想いがとても強い」と。



 この、基町高校。「絵を通しての、平和を伝える発信」が盛んであるイメージですが、「創造表現コース」という、(専門学科の形式はとっていないが)事実上の「美術科」が設けられてるとのこと。
 で、広島市内の公立では、「県立広島」と2トップを形成してるとのことです。ああ、なるほどね、賢そうであること、納得だわと。




 広島の「高校生平和大使」、3人いるのですが、(長崎をも含めて、この代で唯一の男子でもある)「沖本晃朔さん」。
 所属高校が「AICJ高校」。聞き慣れない高校だなあ、と思われるかなですが、「国際バカロレア」という独特の教育システムを採用してるとのこと。





 話を、甲斐さんに戻しましょう。


 (動画の1つ目。)
 「悲惨な広島の被害だとか、被爆者の方の思いを聞く中で、平和な世界をつくりあげていかなければならないなと、原爆や戦争について(より強く)興味を持つきっかけになりました。」

 「この(ノーベル平和賞の)受賞を受賞という形で終わらせるのではなくて、受賞したからこそ、次のステップへ、平和な世界が当たり前ではなくて、みんなが平和を思っているからこそ平和な世界が成り立っている。
 だから、この思いを絶対に絶やしてはならないんだということを伝えていきたいです。」

 (動画の2つ目。)
 「平和の流れの中に私たちがいることが、すごく意義のあることだなって思いますし、その流れを止めないように、頑張らないといけないという決意にもなると思ってます。」

 「私たちの役目は『思いを伝えること』。数としての被爆の惨状は勿論なんですが、それだけじゃなく、被爆者が実際に見たり経験したり、それを通した思いを伝えることが、私たち『高校生平和大使』(つまり)『ピース・メッセンジャー』としての役割だと思ってます。」






 話を、長崎へと進めます。
 今回、最大のメインに位置付けてるのは広島ですけど、「最も熱量が大きい」と正直感じるのは、長崎の方です。
 いま、リンク添付をさせて頂きましたのは、「人間の鎖」。恐らく、ニュース映像や写真で「ああ、制服を着た高校生が、手をつないで円形状になってる写真、見たことある」という読者さん、結構いらっしゃるのでは?と。

 朝早くにというのは耳にしてましたが、これ、なんと「朝の7時」!
 「すごいなあ」と、ただシンプルに、頭が下がります。


 実は、「高校生平和大使」「高校生1万人署名活動」の発祥の地は「長崎」です。「高校生平和大使」の創設が「1998年」。で、「2004年まで」の最初の7年間は、長崎の高校生のみでの枠組みであったとのこと。
 その後、徐々に拡大していって、名実共に「全国での枠組み」という、いまの枠組み(に近い)の感じになったのが、「2012年、第15代」。
 自分が、「高校生平和大使」という存在を耳にしたのは、東日本大震災の少し前ですけど、どのような存在意義かに、目を向けるようになったのが、全国化された2012年の代からです。
 で、「2015年、第18代」。先述で少し言及させて頂いた、井上つぐみさんの代。「とても素敵。共感できるし、応援したい!」の想いをより強く持つようになったのが、この代のときからです。
 正直、この「2015年、井上つぐみさん」と、「2018年、山西咲和さん」、この2人は、「高校生平和大使」「高校生1万人署名活動」の知名度・存在意義を一気に高めた、とても大きな存在であったといえると映ってます。


 で、「高校生1万人署名活動」の実施頻度も、広島は「月1回程度」ですが、長崎はなんと「別途の予定とかがない限り、ほぼ毎週。月に少なくとも2~3回程度」の実施頻度だとか。



 それも、長崎の「熱量の大きさ」を象徴する1つが、長崎には、佐世保を拠点に「長崎県北支部」が別途設けられてるとのこと。
 (広島も、備後地区からほぼ毎年「高校生平和大使」が選出されており、「ふくやまピース・ラボ」という取り組みも根付いてる感じだが、その一方で、「広島県備後支部」として設けられてる訳ではない。)


 で、今回、時間や文章量の関係もあり、正直、駆け足的に取り上げる感じになりますが(ごめんなさい!)、この代の「長崎県枠の2人」、
 「津田凜さん(長崎東高校2年生)、大原悠佳さん(長崎西高校2年生)」
 さすがは、長崎の2人。「ほとばしる強い熱量」の感じです。
 ちなみに、津田さん、大原さん、2人共に「被爆3世」とのこと。



 「祖父を苦しめている原爆がこれから使われないようにするために、私たちがどうにかしないといけないというのはありました。やはり身近な存在ではあるので、祖父が被爆を経験しているということが大きかったです。」

 「長崎に住む私の祖父も、3歳のときに被爆しました。被爆3世として、長崎の10代として、世界の人々に核兵器廃絶を訴えます。最後に、被爆者のメッセージをお伝えします。『同じ苦しみをほかの誰にも味わわせてはならない』。」


 まず、「津田凜さん(長崎東高校2年生)」。

 「同じ苦しみを他の誰にも味わわせてはならない」。
 この言葉に、特に強い説得力が伝わります。でも、特に津田さんの「ほとばしる想いの強さ」は、これだけではないと。



 (1つ目の動画。)
 「重みのある署名を、私たちが届けなければいけないという責任感。
 『79年間(被爆者の)苦しみは続いているんだよ』ということを伝えていきたいと思ってます。」

 (2つ目の動画。)
 『人々を殺していく核兵器が、武器が、ほんとうに私たち国民の命を守っていけるのか?』それを忘れてはいけない、その問いを続けていかなければならない(と思ってます)。
 核兵器が私たちの安全を守るという声もありますが、私たちはその意見は『理解しつつも、同意はせずに』、私たちの(核廃絶の)思いを、世界に届けていかなければならないと思ってます。


 プラスの意味で、凜さんの言葉は「ストレートに、弓矢のように、激しく訴え掛ける感じ」が伝わり、ひときわの説得力を感じます。まさしく、「高校生平和大使」は「使命であり、天職」(あるいは「天命」)の務めであることが伝わります。

 「79年間(被爆者の)苦しみは続いているんだよ」
 「人々を殺していく核兵器が、武器が、ほんとうに私たち国民の命を守っていけるのか?」

 この2つの言葉も、「ストレートに激しく訴え掛ける」感じですけど、とりわけ、

 「(「核兵器が私たちの安全を守る」の考えに対して)『理解しつつも、同意はせずに』、私たちの(核廃絶の)思いを、世界に届けていかなければならないと思ってます。」

 「理解しつつも、同意はせずに」。この「同意」は「共感」とも表現できると思ってますけど、「揺るがない、『芯』の強さ」が伝わると。
 そう、凜さんからは「たとえ万一、世界中が敵になっても、信念をずっと貫ける人間」であることが伝わる感じで、なおさら応援したくなります。





 もう1人、「大原悠佳さん(長崎西高校2年生)」。
 序盤の部分でも少し言及させて頂いて、とても心に響く感じでしたけど、再掲の個所が含まれますけど、綴らせて頂きます。


 (1つ目。NHKの記事より)
 私たちの団体(高校生平和大使)が受賞ではないのですが、私たちが受賞したかのように、とても嬉しい気持ちが大きかったです。
 長崎を最後の被爆地にできるかどうかは、いまを生きてる私たちにかかっているので、核兵器廃絶についての想いや関心を持って、一緒に声をあげていって欲しいなと思っています。

 (2つ目。NHKの記事より)
 今回の発表のスピーチの中で何度も『ヒバクシャ』『アトミックボム(核兵器)』という言葉が出てきたことが、すごく核兵器について知ってもらえる機会になるのではないかなと。
 来年の2025年は)被爆80年で、被爆者の方々も高齢化している中で、被爆者の思いや被爆体験を受け継いでいくのは、次を生きる私たちの役目だと思っているので、これからもっと被爆者の方々から思いや被爆体験を聞いて、それを私たちの言葉で、次世代や世界につないでいきたいなと思います。

 (3つ目の動画より)
 「核抑止論であったり、核を使ったことで平和を守るという意見も多く聞いてきたんですけど、やはり核によってつくられる平和は絶対にないし、私たちがそれを被爆者の方々の声を通して訴えていく必要があるし、(だからこそ)訴えていきたいと強く思いました。


 悠佳さんを突き動かしている大きな1つは、和佳奈さんの言葉でいう
 「被爆者・戦争体験者の話を直接聴ける最後の世代」
 であること。だからこそ、「被爆者の思いや被爆体験を受け継いでいくのは、長崎を最後の被爆地にできるかどうかは、いまという時代を生きてる自分たちの世代に与えられた使命である(「役目」という表現を使ってるが、ニュアンス的には「使命感」と同義と考えてよい)」という「想いの強さ」が伝わります。
 そして、恐らくですけど、とても深いところまで考えているよなと。尊敬できる感じですし、とても応援の想いです。



 で、そう、いわゆる「子ども(特に高校生)による平和活動・平和教育」は、長崎や広島で特に盛んである、と述べました。
 これは、(自分の特に重要フィールドでもある)「防災」、つまり「子ども(特に高校生)による防災活動・防災教育」が、兵庫や東北(宮城、岩手、福島)で特に盛んであることと、相通ずるかなです。



 ですけど、「防災教育」も、徐々にではあれども、どの個所でも浸透して欲しいと思ってますし、実は「兵庫・東北・熊本」以外でも、徐々にその意識の芽は育まれつつあるといえるかも、とも感じてます。
 なぜならば、「戦争は防ぐことができるけど、災害は防ぐことはできない」、だからこそなおさら、「災害自体は防げないけど、災害による『命の被害』を抑えることはできる」と感じてるんですよね(いわゆる「減災」という考え方)。

 いわゆる「防災」の重要性。起こりうる災害リスクは、実は地域によってその「程度リスク」が異なりますけど(例えば九州をはじめとする西日本地区だと、「豪雨・台風リスクがより大きい」とか)、耳にするのは、特に「和歌山・四国[特に徳島・高知とか]」。リンク添付させて頂いてる「愛媛県愛南町」は、実際は高知(宿毛)との県境であり、「表向きは愛媛だけど、生活圏的には高知により近い」という実情も大きいと映るのです。

 話を戻しましょう。






 (←このHPは、細谷美優花さんの2つ前の代、つまり「2022年、第25代」の兵庫県の「平和大使、署名活動」のメンバー有志によるHPです。)


 (←この2つ[特に1つ目がよりメイン]が、「第25代の兵庫の署名活動のメンバーの1人」が、長崎は県メンバーとして参加させて頂いてを綴った文章。とても素敵な文章で、拝読させて頂いて「心が温かく、熱くなりました」、ありがとうです。)


 この「高校生平和大使」「高校生1万人署名活動」、自分が住む関西圏でも、「兵庫」「大阪」「奈良」とあります。その中でも、活動・発信に最も積極的なのが兵庫といえます。
 これは、兵庫が歩んできた道、つまり「もともと国際都市として発展してきたこと」(これは例えば、先日に「神戸海洋博物館」を訪れたときに、「神戸港の歴史や現在」を学べる展示スペースがあって、特に実感したことです)、「阪神・淡路大震災を経験して、いわゆる『社会問題』『社会課題』を『自分ごととしてとらえよう』の意識が、他地域に比して高い地域文化であること」(これに加えて、特に神戸・阪神間地域を中心に「もともと、教育熱がとても高い傾向であること」も大きいかもしれない。特に「西宮北口駅の北西側[一部には南西側も]の、いわゆる『塾銀座』は、とりわけ象徴的な存在といえる)が影響してるのかなと映ります。



 少し話を脱線させますが、かくいう自分自身が、中学3年生まで西宮でした。で、西宮北口の「塾銀座」でも、中学受験のとき学んでました。
 この「西宮北口」、いわば「交通の要衝」(ようしょう)です。大阪(梅田)、神戸(三宮・ハーバーランド)、宝塚、甲子園へと、十字路のように乗り換えができる。日本広しといえども、この独特の地理的事情は、恐らくそうはないと想像です。実際、西宮北口は、名だたる私国立の制服の子どもが多く行き交いますので、「塾銀座」が生まれるのは当然といえます。

 ですので、そう、構造的に「戦争」を抱えている場所でもあるのです、そう、「受験戦争」。これでも自分の時代(いま自分は40歳ですが)よりは、多少はましになっている感じですが(「推薦枠の増加」「インターネットの発達」「少子化により物理的に枠が拡がってる」の要素が恐らく大きい)、この「受験戦争」、自分は「中学受験・大学受験の共々、思い出したくないトラウマ」ですけど、それが「戦争」をより具体的にイメージしやすいのかもと想像です。

 そう、「受験戦争」と形容するように、もう「競争がえげつない」んですよね。競争自体は、この社会の「必要悪」といえるかもですけど、いわば「程度問題を超えている」が否めないんですよ。

 「この社会における『戦争』は、『受験戦争』だけでもうたくさんだ!だからこそなおさら、『戦争のない社会・世界』を叶える一助になりたい!」
 (より理想は「『受験戦争』が最大級に軽減される社会」であるといえる。これは「制度・システムの大幅な改良」が必要になるが。)


 「戦争のない社会・世界」云々はともかく(平和以外にも、社会課題はいくつもあるので。「SDGs」だけでも「17」もあるように)、「社会課題」への意識が育まれやすい環境が正直あるのかなです。それと「人間の心の痛み・悲しみが誰よりもわかる人間」を生み出しやすいこともあるかもと想像です。
 「よくも悪くも、教育熱が高い」が特徴ですけど、でも、「学ぶことに集中できる環境」は、当たり前ではないんですよね。この日本に限っても、都市部と地方部では、「学びの選択肢」で都市部の方が明らかにアドバンテージ(有利性)があること(例えば、書店の数とか)。いわゆる「地域や家庭の経済力」ということでです。

 それに、日本国内のこと以上に、諸外国でだと、「学ぶことに集中できる環境自体がない」ことが正直多い。これは「貧困」「紛争」等、抱えていることはその国々で異なりますけど。
 ですので、

 「学べることは、当たり前ではない、とても感謝なこと。自分は幸運にも『学びに集中できる環境』『【志】に向かって挑戦できる環境』にいるけど、社会・世界にはそれが叶わない人間が少なからずいる。
 だからこそなおさら、社会に貢献したい、誰かの役に立ちたい。それが、『学べる環境を与えてくれた人間への感謝』にもなるから。」

 これは、今回取り上げてる「高校生平和大使」「高校生1万人署名活動」に限らず、そういった各種の社会貢献活動への意識、ということですね。例えば「子どもの教育支援」「子ども食堂」とかもですし、自分も微力ながら「国際協力活動の集まり」に参加させて頂いたことが何回かありますけど(自分の中学校・高校の近くに、「大阪国際交流センター」があった影響が正直大きい)、そういう施設の存在も含めて、「社会に貢献したい」「誰かの役に立ちたい」の心が、より育まれやすいのかなと想像です。

 (尤も、1人の人間としては、「家庭や地域の経済力という外的要因で、子どもの個性や可能性が育まれることが妨げられる社会は、絶対におかしい!」と強く感じてますけど。)


 尤も一方で、都市部の「影の要素」という意味で、「競争が、程度問題を超えてるえげつなさ」ですので、いわば「蹴落とし合い」に構造的になりやすい。ですので、都市部では「いじめが、より陰湿になりやすい」ことも、正直あります(というか、自分の子ども時代は、この「陰湿ないじめ」に苦しみ続けた歩みでもありましたし、だからこそ「いじめの芽のない社会」が、自分が「叶えたい社会像」としてあるんですよね)。

 話を戻しましょう。






 「原爆の歴史がある唯一の国である日本から行く学生として、責任があるので不安も正直あるんですけど、同時に、私たちが伝えることが、日本にいる被爆者は勿論、海外にいる被爆者たちの助けになればとすごく思ってます。それと、核使用に対する制裁で貧困に陥っている人など、世界の被害者にも目を向けた活動をしたいです。
 兵庫県は被爆の歴史から遠い場所にあるけれど、活動メンバー全員が自ら考え共有して、チームで行動に移すことで、原爆の歴史に直接ルーツがなくても、国際都市である神戸や、兵庫のたくさんの魅力を活かした『私たちにしかできないこと』を通して平和に向けた活動をして、兵庫から発信していきたいです。」

 (細谷美優花さん[小林聖心女子学院高校2年生。第27代〈2024年〉の高校生平和大使の1人]、2024年7月30日、「高校生平和大使(兵庫県選出)の就任会見」での言葉より。)


 


細谷美優花さん(小林聖心女子学院高校2年生)。
この2024年(第27代)の「高校生平和大使、兵庫県選出」です。
身体は正直、小柄だけど、でもその内面は「ぎゅっと凝縮」の感じ。
プラスの意味で「お嬢様」であり、「内に秘めたる強い情熱」の感じです。
(ちなみに、広島県枠の佃さんと同様に「ポニーテール」が「代名詞」。
しかも細谷さんの場合、しばしば「ポニテ+三つ編み」。
その内面の「想いの強さ」をも包含しての、「かわいいは正義」と映ります。
で、志望動機の1つが、学校で所属してる「模擬国連同好会」や各種報道、
及び、学校がもともと奉仕活動が盛んであることを通して、
「世界情勢に心を痛めて、平和のために貢献したいと思うようになった」とのこと。

写真は、トップ画像で使用の佃さんの写真と同様に、「UNODAでのスピーチ」の場面。
ちなみに実は、「高校生平和大使 熊本」のインスタから拝借です。
(「高校生平和大使 兵庫」でも、勿論使用されてるのですけど、
熊本版の方が、よりきれいに撮れてたので、そこからの拝借にしました。)
それにしても、この写真や、後述で言及の、
母校の附属の小学5年生に対する授業(の報道)とかから、
「生半可ではない、本気の熱量」がとても伝わります。
それと個人的には、「美優花」、とても素敵な名前だなの感じで、
「名前の由来、どんな思いを込めて親御さんはつけたのだろう?」と。
「名前に込めた、ありったけの想いが、想像できるから」ですけど、
「優しさこそ、平和な社会を叶える最も大切なことだよ!」と伝えたいです。




 正直自分は、「模擬国連」がどのような活動かを、言語化できるほど詳しく把握できてる訳ではないです(ごめんなさい)。ですけど、自分がかつて関わらせて頂いた、防災活動・復興支援活動で、出会った(当時の)高校生の1人が

 「模擬国連活動に参加するようになったのがきっかけで、社会のために何かしたいと思うようになった。そしたら、ツイッターがきっかけで、同学年の高校生が、東北に向き合う活動をしていると知って、とても共感して、自分も参加しようと思った。」

 の趣旨を仰ってたことを、思い起こします。
 恐らくですけど、模擬国連の活動が転機になったほどですから、美優花さんも、かなりの英語力の持ち主であることも、想像の感じです。



 ちなみに、美優花さんの所属学校である、「小林聖心女子学院」。
 「小林」と書いて「おばやし」と読みます。地名の名前がそうだから。
 先述で言及した西宮北口と宝塚の、阪急今津線で中間の場所になります。

 阪神間地域・神戸市内・大阪市内は、「お嬢様学校」あるいは「制服で釣ってる女子校」が正直いくつもありますけど、この小林聖心は、その中でも「The・お嬢様学校」の校風です。小学校から12年間、特に「4・4・4」の一貫教育も独特の特徴とのことで、「12年一貫組」が結構いるのも特徴です(ちなみに細谷さんも、この「小学校からの12年一貫組」)。
 それと、「広島女学院」「活水」「福山暁の星女子」と同様に「キリスト教系統の学校(ミッションスクール)」です。後述で言及の北海道の高校生平和大使のこの代の少女も、実はこの「ミッションスクール」ですけど、
 「校風的に、『ミッションスクール』と『平和教育・社会貢献教育』と、相性・親和性がよいなんらかの理由・要素がある感じ?」
 と、とても興味深い感じです。






 で、そう、美優花さんの学校(小林聖心女子学院)も、こうして学校のHPで(BLOGの欄にあるので、「学校だより」的なニュアンスですが)、こうして大きく取り上げてもらえてること、つまり、「学校側が、理解は勿論、全面的に応援している」ことが伝わります。

 それにしても、美優花さん、「ポニーテール&三つ編み」が、実にとても似合うのです。小学校からの12年一貫で学べてる環境も、恐らく相当な教育資金を掛けてもらっているであろうことを含めて、「親御さんのありったけの愛情」が伝わります。勿論、いまこうして社会貢献活動に取り組めていることも、「親御さんの理解があってこそ」といえるでしょう。

 そして恐らくですけど、美優花さんも、

 「家族や学校が、自分が取り組みたいと思った社会貢献活動(高校生平和大使)を、理解・応援してくれてるのは、当たり前ではない、とても感謝なこと。」

 と恐らく理解してる。さらに述べれば、恐らく学校で、「阪神・淡路大震災のこと」「空襲のこと」とかも学んでいるだろうと想像ですけど、

 「この社会には、生きたくても、生きることが叶わなかった人間がいる。いまこうして生きている、学べていることは、当たり前ではないんだ。」

 と学んでることが伝わると。




 …そしたらです。いま、学校側(小林聖心女子学院)のインスタグラムをリンク添付させて頂いてますけど、美優花さんの「想い・熱量が、とても本気(ガチ)であること」が、ここから伝わります。
 特に1つ目。すべてを英語で話してるんですけど、「『美優花さん自身の言葉』で話してるが伝わること」もですけど、「流れるような英語力」であることもですし、しかも「透き通る声質」であり、もう「ただシンプルに、頭が下がる」の感じです。
 そう、インスタでの1つ目の動画、「目を閉じて聴いても、すべて英語でも、何を伝えたいのかが、およそのイメージができるから!」と。「伝える能力が高い人間」って、こういうことをいうのかと。


 私が暮らす兵庫県神戸市は、現在国際貿易都市として大きく繁栄しています。しかし過去には『神戸大空襲』という想像を絶する戦災があり、神戸の街はほぼ全焼しました
 このような核や戦争による被害は日本人だけに起きているものではありません。核兵器によって甚大な被害を被っている人々は、世界各地に存在します。度重なる核実験によって世界中の人々が放射線の影響を受けて苦しめられていることも忘れてはならないのです。核兵器の役割を無くし、地球全体が支えあう持続的な平和に目を向ける必要があります。」

 (実際のインスタグラムでの動画では、細谷美優花さん自身で「すべて英語で」話している。投稿の日時は「2024年9月11日」。)




 実は、「神戸大空襲」というのは学校で習っていなくても、『火垂るの墓』というアニメ映画(もとは小説。絵本版もある)で「神戸大空襲」及び「戦争」の悲惨さを学んでる人間は、多くいるのでは?と想像です。
 で、学校で学ぶのは、東京や大阪の大空襲ですけど、実は神戸や名古屋も、かなりの規模での大空襲を浴びせられていて、特に神戸の大空襲は、人的・経済的の両面で「すさまじい大ダメージ」になったと伺ってます。
 そう考えるとなおさら、美優花さんの言葉は、なおさらの「とても強い説得力」として伝わります。
 「9月11日」という日時、これは偶然の可能性もありますけど、恐らくですが、

 「戦争は、誰も幸せにしない営みである。だからこそ、自分たちの代で『戦争のない社会を、絶対に叶えるんだ!』という強い意志表明。」

 この意味合いを込めたのでは、と想像の感じです。





 『Big You, small i 人のために、社会のために何ができるかを考え行動せよ』というのは、私が通っている学校で日々教わっていることの一つです。学校生活で日常的に行う奉仕活動や、高校一年生から始めた模擬国連同好会の活動を通じて国際情勢について学び、次第に『自分が世界とどう関わることができるか』を考えるようになりました。特に模擬国連では、世界の現状と私の平和観との大きなギャップに気づかされ、国家安全保障の枠から地球安全保障へ踏み出すことの難しさを学びました。
 しかし、この学びや考えを誰かと共有し、行動に移すことは容易ではなく、多くのボランティア活動や自主学習をしていても自分から行動する事に限界を感じていた時に、高校生平和大使に出会いました。
 この活動を通して、被爆された方々の思いを歴史的価値のある声として、日本国内だけではなく特に海外の学生に届け、若者たちの間で広がっている『戦争は過去のもの』という意識を変えていきたいです。そして、世界中の『ヒバクシャ』についてよく聞き、学んで発信していきたいと考えています
 そのために、特に情報発信や交流に全力を尽くしたいです。従来の SNS をどの国の誰でも見てわかりやすいものに改善、在日外国人の方々との意見交換、他国の学生とのディスカッション、関西地区でのイベントなどに取り組んでいきたいと考えています。自らの行動が次の代に引き継がれるという自覚を持ち、兵庫の14人のメンバーとともに丁寧に活動してまいります。
 来年は被爆80周年を迎えます。その歳月の重さを感じながら活動していきたいです。」

 (細谷美優花さん[小林聖心女子学院高校2年生。第27代〈2024年〉の高校生平和大使の1人]、「高校生平和大使(兵庫県選出)の就任あいさつ」での言葉より。)


 (1)「若者が世界にとって確実に必要で影響力のある存在だということ
 (2)「『どんな世界を作りたいか』を大事にする必要があること
 (3)「様々な人々と『対話』を重ねることが重要であること
 (4)「同世代との交流を深める必要があること

 (細谷美優花さん、「(スイス・ジュネーブ訪問の)成果と共に学んだこと」。


 「自分が世界とどう関わることができるか」という出発点から、「4つの成果を持ち帰れた」こと。
 例えば、4つ目。「同世代との交流を深める必要があること」。自分自身、東北・防災に向き合ってきた経験からすると、そう、「同じ『志』を持つ同世代と交流できることって、とても大切なこと」なんですよね。1人でもいるといないとでは、マジで全然異なると。

 2つ目。「「『どんな世界を作りたいか』を大事にする必要があること」。「世界」は「社会」とも言い替えられますけど、人間が生きることにおいて、この「どんな世界をつくりたいか」は、最も大切なことだよ!と、自分も意識付けてきてる感じで(そう、東北に向き合う過程で最も学んだことの1つです)、ずっと問い続けてることです。

 そして、3つ目。「「様々な人々と『対話』を重ねることが重要であること」。先述の、広島の佃さんの個所でも「特に学んだこと」の1つに出てきたことでもあります。「異なる考えに、耳を傾ける」「違いを認め合い、本音で向き合う」に相通ずると自分は感じていますが、どれほど苦しくても、「地道に粘り強く、『対話』を積み重ねる」、自分もとても学び感じてることです。

 美優花さんの「Big You, small i 人のために、社会のために何ができるかを考え行動せよ」という学校(小林聖心女子学院)の教え、とても共感できる素敵な教えだよね、と思いますし、小学校からずっと所属し続けてるとのことですけど、「校風が、美優花さんの個性にとても合ってるんだね」と伝わる感じで(だからこうして、大きな挑戦ができてるといえると)。
 そして、とても素敵な学びを得た、それは「本気で挑戦してるからこそである」と。1人の人間として、美優花さん、とても応援したいです!の想いです。



 …そのような感じですけど、ここで、ごめんね、あくまでも「1人の人間として」ではあるけどと。
 インスタグラム(「高校生平和大使 兵庫」としての)、せっかく、とても素敵な発信を続けていることが伝わるけど、恐らく、(たとえ毎月ではないかもだけど)街頭での署名活動をも地道にしてるだろうと想像ですけど、いまの段階で、そういう署名活動の発信がない、これって

 「ああ、もったいない。署名活動をしたら、あるいは、同じ関西圏の平和大使・署名活動メンバーとの合同での集まりとかをしたら、そういう発信も併せてした方が、より望ましいと思う。
 正直、すぐには結果は出ないかもしれない。署名活動も、広島や長崎、熊本とかに比してだと、冷淡な反応をされるかもしれない。
 でも、たとえ1人とかに終わっても、その1人に意味があるんだよ。誰かの理解・共感があれば、それが徐々にでも、『いつか実となり花となる』。
 最も大切なことは、『信念を貫く』ことだと思う、たとえ理解の輪がいまは満足になくても、『自分たちの活動・取り組んでること』は、『社会をよりよくできるため』にしてるはずでしょう?それってそれ自体が、とても素敵なことなんだよ!自信・誇りを持って全然いいんだよ!
 そう、あなたの活動に共感している・応援している・必要としている人間がいれば、それ自体が意義があることの証明なんだよ!ほら、ここにいるじゃない!」

 ごめんね、きついことを言ってるのは、自分自身がわかってるつもりですし、これでも、他の、例えば大阪や奈良とかに比してだと発信をしてることを含めて伝わっていること、それをも踏まえての感じです。
 これを、もし兵庫(及び大阪も)の高校生平和大使・署名活動のメンバーの誰かが読んでくれていれば、の域を出ないことだって、理解してるつもりです。

 だけど、このことを綴らせて頂いたのは、

 「あなた(美優花さんたち、兵庫の平和大使・署名活動のメンバー)のその活動・姿勢に、共感してるから、応援してるからです。」

 それ故なんですよね。

 と申しますのも、自分が関西圏(いまは大阪、中3までは西宮)と述べてますけど、ごめんね、自分のライフサイクルとあってないからといえばそれまでかもですけど(特にここ2年半ほどは、週末だと「バスケのアリーナ会場」「仕事場的なコワーキングスペースや自習室」に充てられるのがほとんどなこともあります)、関西圏で署名活動に出会ったことが、「ゼロ」なのです。
 自分の場合、広島の原爆資料館で署名させて頂いたことが、確か2回ほどありますが。


 自分自身が、いわゆる「復興・防災」に関わってきた立場・経験としてだと、「東日本大震災」や「熊本地震」、いまだと「能登半島地震」のこととか、申し訳ないけど、兵庫はともかく、いま住んでる大阪や、訪れることが多い京都だと、まさしく「他人ごと」って感じで、とても悲しくてと。



 はっきり正直に言うと、もしかしたら、「意識高い系」といわれたことがあるかもと想像ですけど、1人の人間として、声を大にして伝えたい!

 「『意識高い系』だなんて、自分は思わないよ。『社会を、世界をよりよくしたい』って、むしろとても素敵で大切な気持ちだと思う(そして「社会のために、自分にできることを探す」が、むしろ本来の望ましい社会像であると思う)。そう、『意識高い系』という言葉自体がまかり通る社会が、おかしいんだから!(実際、『意識高い系』という言葉自体が、『日本だけの言葉』。つまり『日本社会の闇』といってもよいよね。)
 だから、あなた自身の活動に、自身や誇りを持って欲しい!心なきことを言う人間は、想像力に乏しい人間でしかない。でも一方で、あなたに共感している・応援している人間がいる、あなたの活動を必要としている人間がいる人間がいる、そしてあなたの活動は、『理想の社会・世界をいつか絶対に叶えるために、誰かがしなければいけないこと』。
 そう、待っているだけでは永遠に叶わない、でもいまこうして、自分から考えて行動してる姿勢自体が、『平和な社会・世界を叶えるための原動力』であるんだよ、と伝えたいです!」



 だから、そう、いま、広島のをリンク添付させて頂いたように、署名活動をしたら、

 「◎月◎日に署名活動を行いました。
 (説明)
 次回の活動は×月×日、場所は△で行います。」
 (未定の場合は、「決まり次第別途ご案内いたします。」と明記。
 [自分はインスタは「観る専」なのでわからないが]恐らくアップしたあとに、日程が決まれば追記的に改めて書くことが可能っぽい感じ。)


 何気ないことだけど、「より伝わるには」の感じですね。
 でも、そう、大切なことは

 「やると決心したからには、『全力を出し切って』欲しい。
 『本気』か『生半可』かは、観ている人間には伝わるから。」

 と、1人の人間として伝えたいんですよね。



 で、です。「広島」「長崎」「兵庫」を取り上げさせて頂きました。
 もう1つ、取り上げたい場所があります。








 実は、この「高校生平和大使」「高校生1万人署名活動」、北海道もあるのです。しかも、結構しっかりと発信してる感じで、素敵だなあと。

 この、北海道での活動。「できる工夫」をしていることが伝わります。
 署名活動の場所を、その都度変えているのですけど、意識的か無意識的かはわからないですけど、「どうすればより、『平和への想いの輪』を拡げ深めるきっかけづくりにできるか」の工夫が、場所選びから伝わるのです。


 5月・6月 大通公園(札幌)
 (札幌で特に有名な「お出かけスポット」。)

 7月 北海道庁(札幌。パネル展開催と共に)

 8月末 北広島駅東口
 (野球の日本ハムの本拠地、「エスコンフィールド北海道」の最寄り駅。
 この日は「日本ハムvsソフトバンク」の試合が開催だった[8月25日]。)

 9月 真駒内駅前(札幌)
 (北海道でコンサート開催が盛んな「真駒内セキスイハイムアイスアリーナ」の最寄り駅。
 この日は「福山雅治さんのコンサートの開催日だった[9月22日]。)

 11月初め 札幌駅東口(ヨドバシカメラ前)
 (札幌で最も便利な「買い物スポット」。勿論、駅にも近い。)




 そう、場所選びがほんとうに「上手い」「工夫が伝わる」のです。
 例えば、エスコンフィールドに行くには、最寄り駅から徒歩20分以上かかると伺いますけど(しかも一本道を)、それをうまく活用していること。それに、野球の試合、しかも8月だとより多くの人間が訪れることが見込めますので、「署名活動の意義の普及を、より最大化できる」。

 9月の真駒内、11月の札幌駅東口も、工夫が伝わります。
 福山雅治さんは、紅白歌合戦の常連の、説明不要の大物歌手(故郷が長崎なこともあり、社会貢献活動に熱心なことでも知られてます)。人気度が高いですので、おのずと「署名活動の意義の普及が見込める」。
 札幌駅に近いと、「これ以上ない中心的な場所」ですので、「共感・応援する人間に、より多く出会える可能性が高まる」。駅に近いので、若い世代の署名も充分にあり得ますし。

 考えられる場所、ほぼ回れている。恐らく、あと2つを除けばと。
 (あくまでも「札幌、及びその周辺」という意味で。2つのうちの1つは「小樽」。ではもう1つは…です。)




 あとはもう、「北海きたえーる」(バスケットボール、Bリーグの「レバンガ北海道」の本拠地。最寄り駅だと、地下鉄の豊平公園駅で、駅からきたえーるまで「地下連絡通路」が設けられてるとのこと)の近くでの署名活動が叶えば、恐らく「これ以上ない」の感じになるのではと。1月以降だけでも、「北海きたえーるでの、日曜日の試合が7試合」あります。
 特に「1月26日、vsA東京」「4月20日、vs千葉J」は、かなりの集客が見込めますので、ここに「北海きたえーるの近くの場所」での日程を設定できると、より多くの署名活動を見込める可能性が高いかなと(写真を見る限り、道幅的な問題があるかもではあるが)。
 (ちなみに自分は、バスケファンでもありますので、その立場から伝えさせて頂きますと、「A東京」「千葉J」「宇都宮」の3球団は、とても熱狂的なファンを擁していますので、「値段が特別料金が組まれる」がよくあります、それでも高確率で「ほぼ満席」「チケットの争奪戦」になるのです。)



 それにしても、文章の書き方も上手い。
 「場所、参加人数、署名数」がわかりやすく明記されてて、末文に「次回の署名活動の予定の日時・場所」も、同様にわかりやすく明記されてる(未定の場合でも、未定と正直に伝えてる)。
 「賢さ」と「誠実さ」が、とても伝わるんですよね。

 それに、スイスでの学びのインスタでの文章も、「熱量・想いの強さ」がとても伝わります。

 で、北海道の活動がとても素敵だなと感じる1つが、

 「飛び入り・ボランティア的な参加(平和大使、長崎派遣メンバーではないけど、署名活動のみでの参加という意味で)を容認・歓迎してること。」

 これって、「参加の心理的ハードルを下げる」意味で、とてもプラスであると思うのです。「何かしたいけど、一歩を踏み出せるか不安だ」であっても、「署名活動への参加ならば、自分でもできるかも」という人間は、恐らく潜在的に結構いるのでは、と想像ですので。





 ちなみに、結べるボブヘア(ロブ)とセーラー服が似合う感じの2年生、高佐安里さん(藤女子高校2年生)の所属高校。
 はい、「ミッションスクール」。「ミッションスクール(キリスト教主義学校)の校風と、平和活動・社会貢献活動は、相性・親和性がよりとても高い説」ってことかな、と想像の感じです。

 「ロシアのウクライナ侵攻に、ショックを覚えたから」が、高校生平和大使への志望動機とのことですけど、強い説得力が伝わります。




 で、「北海道の子ども・高校生」が「平和活動に全力で取り組む」こと自体が、「とても意義があり、とても希望である」と自分は感じてます。
 なぜか。いまリンク添付したように、「北海道」の特有の、「地政学的な事情」があるからです。

 と申しますのも、北海道という場所は、「ロシア、中国、北朝鮮により近い」。特にロシアの東側の主要都市の「ウラジオストク」と、札幌は緯度がほぼ同じである。
 で、北海道のすぐ北側は「樺太」、すぐ東側は「北方領土」になります(特に北方領土は、解決のための知恵がないものかと、とても心が痛みます)。


 …と綴ってたら、北海道の1万人署名活動のインスタを辿ってたら、こんな文章がありましたので、リンク添付します。



 署名活動〜ウクライナに平和を!

 こんにちは!
 第9代北海道高校生平和大使の高橋希花です。

 3月26日(土)に札幌駅にて署名活動を行いました。
 3月下旬でも雪が残っており、寒さが厳しい中、2時間署名活動を行いました。

 そして、今回は平和大使の私に加えて、
 長崎派遣メンバーの2人と、前代の北海道高校生平和大使、
 6人の署名活動ボランティアの高校生が参加しました。

 2時間で約400筆もの署名を集めることができました。

 しかし、核兵器廃絶の署名活動よりも、ウクライナでの戦争反対の署名活動の方が、多くの署名が集まることに気づきました。
 そして、これこそが課題だと感じます。

 ニュースで日々ロシアのウクライナ侵攻が取り上げられ、人道危機が報道されている。
 それにより、多くの人々が戦争の悲惨さを知ることができます。

 しかし、核兵器に関しては日常的に考える機会が少ないのです。
 特に北海道では、平和について学ぶ機会が少ないと感じます。(あくまでも私の意見です。)

 より核兵器の恐ろしさについて、情報を得る機会があれば、より多くの人々が平和な世界を希求することに繋がるのでしょうか。
 難しい問題ではありますが、今回の活動を通して、周知することの大切さを学びました。

 まだまだ、改善することは多くありますが、少しでも平和な世界の実現に貢献できれば、と思います。

 わたしたちの活動を見守ってくださっている皆さま、ありがとうございます。
 そして、今回署名活動に参加してくれた高校生の皆さん、非常に大きな力となりました。ありがとうございます。

 これからも、微力だけど無力じゃない!を意識し、活動に励みたいと思います。

 (2022年5月19日、「北海道高校生一万人署名活動」のインスタグラムの文章より。
 文章中に「第9代北海道高校生平和大使」とあるが、北海道が恒常的に高校生平和大使を選出するようになったのが2013年[第16代]からであることに恐らく由来であり、そこからカウントすると第9代ということ、つまり正式表記でだと「第24代[北海道第9代]」と表記するとより伝わった、と思われる。)


 いま、下線を引いた個所。自分も正直、1人の人間として、とても考えさせられる、「重い問いである」と感じてます。

 「核兵器をなくそう」「平和な社会・世界を叶えよう」の輪が、拡がり深まりにくい現況。この理由は、恐らくいくつもあると想像です。



 「X(ツイッター)」や「Yahoo!ニュース(のコメント欄。通称ヤフコメ)」で公然と飛び交ってるのが、「核抑止論」「核武装論」です。
 自分は正直、「ごめん、意味不明だから」と感じてますが、「核抑止論」の根っこにあるのは、例えば「自己責任論」とかと相通じてるのでは、と自分は感じてます。

 それこそ、和佳奈さんが示唆的に述べてるように、平和のことって、根っこの問題は「平和のことだけに限定しづらい、他の社会課題ともリンクしてる、といえるのでは」と。
 例えば、近年の日本の課題だと、「家庭や地域の経済力で、学びたくても学べない子どもが増加傾向である」こと。それなのに、「大学(特に国公立大学)の無償化」や「給付型奨学金」に否定的な意見が、公然とあります。
 「自分がその子どもの立場だったら、どう感じるか」、これを想像できない、いわば「『自分ごと』として考えられない」人間が多く存在してるのでは、とても悲しいですけど、これを正直感じてます。

 あるいは、「異なる価値観を受け容れない、認めない」という人間も多く存在してるのでは、これは普段会話していても、正直感じてることです。




 「たとえ意見が違っても、『対話をすることが大切』ということを何度も、いろんな方から、教えて頂きました。」
 (動画の「0:34~0:41」が該当部分。話しているのは、佃和佳奈さん。
 動画を聴いて頂ければだが、「対話をすることが大切」の部分を、恐らく意識的に少しトーンを上げている。)


 「ああ、最後においしいところを持っていった」というのはともかくとして、(先述でも少し言及しているが)この「対話をすることが大切」というのが、地道だけどとっても大切なことなんだよ!を、改めて学ばせて頂く感じです。
 それこそ、自分が東北で学んだ、「共感はできないけど、理解はできる」「異なる意見に、耳を傾ける」、これって「人間としてとても大切なこと」と改めて実感です。






 自分も今回、こうして綴らせて頂いて、学び感じることがいろいろとある、それこそまさしく、「子どもに教えられたこと」と実感ですけど、


 「核兵器廃絶の署名活動よりも、ウクライナでの戦争反対の署名活動の方が、多くの署名が集まることに気づきました。そして、これこそが課題だと感じます。」

 そう、「核兵器をなくそう、言葉の『言わんとする意味』はなんとなくわかる」、でも、

 「『核兵器って何?』という人間が、恐らく結構いるんじゃないかなあ?」

 と、自分は正直感じてるんですよね。
 理由はシンプルで、日本の歴史・公民の教育って、いわゆる「近現代史」を重視してないんですよ(2022年に学習指導要領が改訂されて、「歴史総合」の創設、[現代社会を]「公共」へと再編したことで、幾分かは改良された感じではありますが)。この「負の弊害」が大きいのでは?と正直感じてます。

 実は、

 「核兵器」は「大量破壊兵器の1つ」であり、「核兵器」「生物兵器」「化学兵器」を総称して「大量破壊兵器」ということ。その中でも「核兵器」が最も破壊能力が高いので、「核兵器がとても恐ろしい」という訳だけど、「核兵器」は「大量破壊兵器の1つであり、イコールではない」。

 これは正直、あまり知られていないのでは、と自分は感じてます。
 そう、自分も「核廃絶」を、これまでもこれからも、ずっと強く伝え続ける想いですけど、正直感じているのは、

 「『核廃絶』というよりも、『大量破壊兵器の廃絶』という表現の方が、若い世代にはむしろより伝わりやすいのでは?
 『核兵器』といわれても『何それ?』と思われるかもだけど、『大量破壊兵器』といわれれば、言葉の意味は『読んで字のごとく、そのまま』であるので、『大量破壊兵器の恐ろしさ』がよりストレートに伝わるのでは?という意味で。」


 ニュアンス的には、「核兵器、大量破壊兵器をなくそうの活動をしています」の方が、より伝わるのではないか、と感じますけど、うーん、それにしても、「どうすれば、より伝わるのか」というのは、「永遠の課題」といえるよなあ…、が正直な感覚です。

 それと、「核兵器」「生物兵器」「化学兵器」という、「大量破壊兵器」を構成するいずれも、「科学技術の進化の、成れの果て」という解釈もできる、その負の面も否めないのではと、正直感じてます。
 言い換えれば、「科学技術の悪用」であると。本来、科学技術は「社会をよりよくするため」にあるはずと思ってますけど、だからこそなおさら、「核兵器、大量破壊兵器をなくす活動」を、粘り強くやり遂げる必要がある、と感じてるんですよね。


 恐らく、この「平和」というのは、「ずっと問い続ける」が正直な感じになるかな、と自分は感じてます。というのも、「平和」を叶えるには、「まずは身近な平和から」になると自分は感じてるんですよね。
 先述の、特に「平和への誓い」に光を当てた個所で

 「平和な社会」=「1人1人それぞれが『自分らしく』生きられる社会」。


 いよいよラストへ。自分が東北で出会った、ある団体の職員さんが、下記の趣旨を仰ってたのが、ずっととても印象に残ってます。

 「自分が『最終的に叶えたい景色』は、いま自分が取り組んでることが、必要なくなる社会になること。自分が暇でしょうがない社会になることは、正直どんな感じになるだろうとまだ想像できてないけど、でもそれが『より理想とする社会』であり『より平和へある社会』であると、自分は思ってる。
 『困っている人間を助けたい、支えたい』、自分もその延長線上でこの道を志したし、いまもずっとそうだけど、『困っている人間を最小限にできる社会』が、最も理想であると自分は思ってる。
 というか、『困っている人間を助ける・支える』ことを含めての『優しさ・思いやり』は、『人間として最も大切なこと』と、自分は思っているから。」


 その人は、こうも仰ってました。

 「人間の個性って、1人1人それぞれに違うから、『けんか』『ぶつかり合い』はどうしても避けられない、と自分は感じてる。特に『ぶつかり合い』は、いいアイデアを形にするためにはむしろ必要とも感じてる。
 でも問題は、『けんか』『ぶつかり合い』はあっていいけど、それが『いじめ』『差別』になってはいけないこと。『いじめ・差別のない社会』が自分が叶えたい1つだけど、大切なことは『いじめ・差別の芽を出させない社会』であると思ってる。それをどうすれば叶えられるかが、自分がずっと問い続けてる1つだし、『戦争のない社会』はその延長線上じゃないかな、と自分は感じてる。」


 いま、ラストとして、自分が出会ったある人間の言葉が、とても示唆的であると感じてますけど、そう、

 「『平和な社会・世界』を叶えるには、『まずは身近な平和』から。」
 「『平和な社会』=『1人1人それぞれが【自分らしく】生きられる社会』。」

 あくまでも「現時点で」ですけど、自分はそう感じてます。




 恐らく、果てしない道のりになるだろうと想像です。でもだからこそ、誰かがやらなければいけないこと、それがあってこそ、「平和な社会・世界」を叶える・勝ち取るときがくる。

 今回、特に取り上げた何人かの現役メンバーをはじめとして、いまの「高校生平和大使」「高校生1万人署名活動」に携わってる子どもへ。
 大切なことは、「第27代」として最前線にいることに名目上の区切りがついても、「平和な社会・世界」を叶えるために、「できること」を追い求め続けて欲しい、「かかわりを持ち続けて欲しい」ことです。
 最終的にどのような道を歩むにせよ、「社会をよりよくする」「社会を理想に近付ける」ことに、「終わりはない」「挑戦をやめたら、そこで成長は止まる」と自分は感じてますので。

 いえることは、「1人の人間として、ずっと応援しているよ」「あなたらしく生きてね、そしていまの『想いの強さ』を、『絶対にあきらめないで貫いて』欲しい」ということです。
 そして、せっかく同じ「志」「想い」で出会った仲間同士、つまり「同志」であるわけですのでなおさら、「御互いを高め合い続けられる存在でありますように」と伝えたいです。そのような存在・関係の人間に出会えること自体が、「当たり前ではない、とても貴重な存在」ですので。
 現実論として、いまの社会は「助けてと思ってる人間が、たくさんいる」現況にあること、あなたのその想い・情熱を、必要としている人間は、確実に存在しているよ、たとえ1人でも、「あなたを必要としている」人間がいる限り、「あきらめないで貫いて、やり遂げる使命がある」、自分は、そう伝えたいのです。

 そして、「ノーベル平和賞」の授賞式に臨む、4人の高校生(甲斐なつきさん、大原悠佳さん、津田凜さん、及び、熊本の島津陽奈さん)、「いってらっしゃい」は勿論、「恐らく、いままでで最も濃密な時間になるだろうからこそ、オスロで学び感じたことを、1人でも多くの人間に伝えて欲しい・シェアして欲しいです!」と伝えたいです。


 それと共に、今回こうして、「高校生平和大使」「高校生1万人署名活動」を、取り上げさせて頂いて、自分自身、学び感じることが想像以上に多くあった感じです。
 いつかまた、こういうテーマで書くときが来たとき、次の機会では、いまよりもより光が照らされた感じの社会状況で綴れる感じでありますように。ありがとうございました。


 【社会貢献#12A】【エッセイ#49A】


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