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平和研修in長崎

8/7~9日、高校生平和大使サポーターとして長崎に赴きました。
今回はそのことを綴りたいと思います。

今日は終戦の日。
被ばく者の方のお話を直接聞ける最後の世代と言われる私たちは戦争を語り継ぎ、核兵器廃絶や平和についてみんなで考える必要がある。戦争が風化しないためにそのきっかけも増やさなければなりません。
私は高校生平和大使サポーターとして今後その活動を広めていきたいです。

今回のnote、特に前半の戦争についての部分は読んでください


被ばく者 山川剛さん『8月9日は夏の風物詩ではない』


今年84歳の山川さん。

講和では彼が子どもの頃の日常、あの日、そして被ばく者としての願いをお話してくださった。



①戦争の世の中 『日本人なら贅沢は出来ない筈だ!』と国が謳う

パーマをかけることを国が禁じる。
そんな世の中を想像することができますか。

誰かがお国を批判しないか、私服の見張りまでみがいる監視社会。
思ったことが言えない、のびのびと生きることが許されない息苦しさ。


「鬼畜米英」「ヒノマル」「クニヲマモレ」と言う言葉を小学1年生で習字の時間に書き、女学生は竹やりで人を殺す方法を学校から教わる

「敵の兵隊に捕まったら最後」と何度も学校から言われる。
敵軍が来たら何としても逃げなければならないから実際に敵の飛行機が来たら60〜80メートルもある崖を通って逃げた。

崖から落ちたものの奇跡的に木の枝に引っかかって助かった人から後に証言があり、大人が子どもを突き落としたことも多かったという事実が後から分かったそうだ。


「1番命を大切にしない行為は戦争。核廃絶が実現されない限り、日本はまた戦争に逆戻りしてしまう危険性がある。」と山川さんは危惧している。




②あの日

原爆が投下された正確な日付は?


NHKが行ったこの質問の正答率は20%代だった。(平成26年あたりの調査ですが、そこまで正確にメモを取れませんでした。)

みんな8月9日だというのは分かる。でも何年か、という問いで正答率がグッと下がったらしい。



今まで歴史的上の出来事として平面的にしか捉えられなかった戦争の事実。今回山川さんのお話を聞いてその情景が浮かんできた。


あの日港で泥団子を作っていた山川少年。あまりの熱さに何が起こったのかよく分からないまま防空壕に飛び込んだ。

一瞬、風景が消えた。
そして何百、何千ものフラッシュのような光と4キロ先の建物の壁をもはがす熱線。

入り口が爆心地の方を向いていた防空壕に入っていた人で生き残ったのは、本当に端っこの、隅にいた男性ただ1人だったそうだ。



あの日のことを「夏の出来事」としか捉えていない。
あの日は夏の風物詩ではない。

と山川さんは仰っていた。 この言葉が1番鮮烈に印象に残っている。

メディアも学校も、8月になると原爆についての特集をする。
初めに書いたNHKの調査からも分かるように、私達はあの日を、ある夏の出来事としか捉えていないのではないだろうか。




知っているつもりでも、知らないことって実はたくさんあったりする。

例えば原爆の投下時間と炸裂時刻。
ヒロシマの8時15分は投下時間、ナガサキの11時2分は炸裂時刻と言われている。

どっちだってそんなに大差ないと思う人もいるだろう。
だけれど正しい知識を一つひとつ理解しようとする姿勢が、あの日を夏の出来事としてではなく、人間が犯した重要な歴史の1つとして捉えることのできる要素だと私は思っている。



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③被ばく者としての願い

山川さんの願い。それは

二度と被ばく者をつくらない=核兵器0の世界だ。


例えあと1発となっても、もう1発しかないのか、よかった安心だ ではない。
たった1発で多くの人の命が奪われ、被ばく者が生まれてしまう。
だから、0にこだわらなければならない。
核軍縮も、規模を縮小するのは過程であって数を減らすことが目的ではなく、なくすことがゴールなのではないだろうか。

現在、核兵器は世界に13130発あると言われている。
武力に頼らない平和をどう実現していくかを考える、そして核廃絶に向けて声を上げ続けることが私たちの使命だ。


(今回書いたことはあくまでも一部分です。当然ですがもっともっと知らなければならないことはたくさんあるし、より深掘りして考えたいこともあります。)




高校生平和大使の紹介🕊

他県のも含め高校生平和大使の活動を紹介します。


サイト… Youth Peace Messengers
兵庫県の平和大使とサポータの5人で開設しました。
今後イベントなどの情報も発信していくので要チェックです!


インスタ… 広島県
    新潟県
(他府県にも平和大使のアカウントがあるのでそちらも合わせてチェックしてみてください!)







ここからは後半。私の個人的な気持ちの部分をお話します。



かけがえのない一瞬一瞬、そして出会えた同志。


長崎に訪れて1番幸せを感じたこと。

それは仲間との出会いだった。

学校の同級生とはなかなかこんなに熟考したり真面目な会話を続けることはできず、私が話しても

「難しいよね~」「すごいねー」という言葉で片付いてしまう。
多分、似たような思いをしてもどかしさを感じている中高生の仲間も多いんじゃないかな。

だから全国の平和大使や派遣代表が集ってオフラインで交流を深めることができたのは本当に大きい。活動の気力と未来への希望が高まった。


そしてこんなに笑った3日間もなかなか無かったです。

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私は正式な平和大使ではなくサポーターとしての立場だけど、今回長崎に訪れることができて本当に幸せだなとつくづく感じてます。



そしてmakers以降感じていたもやもやが、やっと晴れました。

makers参加時は、私にないアグレッシブさ、ブットンダ個性や発想を身に染み込ませたいと思ってた。
そして熱量と行動と言語化がすごすぎる仲間が集まるmakersに参加して、ここは電球のようにピカーっと分かりやすく輝いている人が集まる世界だと感じた。そしてそっちが正解だと思い込んでしまっていた。
私は偶然その世界に入ることができた人で、本当に本当に自分が嫌になるわビジョンも見えなくなるわで結構苦しんでた。

けれど平和大使はピカッと輝く電球に比べたら、漆器のような黒光りの輝きを持つ人が集まるものだった。
分かりやすく目立つように輝いている訳ではないけれど内に秘めているものがあって、話していくうちにその光と出会えるような。

そして、私が目指していることは漆器の方の輝きを大切にすることだと気付いたのだ。
自分にないものを求めるあまり、変えようとする方向性を間違えていた。

どちらのタイプも必要。正解なんてなかったとはっと気づき、すごく安心した。
私という人間も間違いなんかじゃなかったなって。


この電球と漆器の例え私めっちゃ好きなんですよ笑 誰とは言わないけど新幹線でお話できて本当に良かった♡




そしていつもはプログラム期間中自己嫌悪になることが必ずある。今回も1ミリもなかったと言えば嘘になるし、逆にならなかったら私としては自信過剰になってるということで私という人間性の死を意味するので、ないと困るものでもある。

だけれど自己嫌悪に「陥ら」なかったのは、他のメンバーがどこかで見下していたりなんかやっぱりあの子って自分たちより劣ってるよねという空気が流れなかった、そしてそんなことを一瞬たりとも思うメンバーではなかったからだ。
みんな素直で優しくて真面目で、素敵な仲間。


会った瞬間オーラを感じて、ああ絶対気が合いそうな人ばっかりだ、早く友達になりたいと思ってました笑
二泊三日じゃ足りなかった。でも本格的に活動が開始するのはこれから!
これからみんなと活動できるのが嬉しいし楽しみです。


これからの私たちの活動も時々覗いてくれると嬉しいです。
最後まで読んで下さりありがとうございました。



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