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【短編小説】 シャルトリューズからの手紙

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ある日突然、〝弟〟から〝私〟に手紙が届いた。30年以上音信不通だった〝弟〟はカトリックに改宗し、山中の無言の行を行う修道院にいると言う。 弟はなぜ、修道士の道を選んだのだろうか?… もっと読む
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#弟

【短編小説】 シャルトリューズからの手紙 序章

【短編小説】 シャルトリューズからの手紙 序章

 ――ある日、弟から「手紙」が届いた。
 いまどきメールでもSNSのメッセージでもなく、それは紙に書かれ茶色い封筒に入れられた、正真正銘の私宛ての手紙だった。
 封筒の下のほうには、どこかの機関か施設の名称のような刻印があって、それは手紙がそこから発送されたということを意味していたが、外国語なのではじめ私には何のことかわからなかった。
 Chartreuse……
 謎めいた、それでいてどこか流麗さ

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【短編小説】 シャルトリューズからの手紙 第2章

【短編小説】 シャルトリューズからの手紙 第2章

 生きていくのは辛いことだと思う。
 今年も、クリスマスが近づいていた。もう3日もすれば、裕人が子どもを連れて帰ってくる。いまごろはシンガポールだろうか。海外の感覚を身につけさせるのだと言って裕人がひとり息子を連れ出すようになったのは、一昨年のことだった。以来彼らは年に1度か2度、クリスマスなどの節目のときにしか戻ってこない。けれどわたしはそれを寂しく感じたことは一度もない。
 昔から、ひとりで過

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【短編小説】 シャルトリューズからの手紙 第3章

【短編小説】 シャルトリューズからの手紙 第3章

 正月の三が日が明けると裕人は息子を連れて発っていった。世界各国の友人たちに年始の挨拶をするために、プライベートジェットで飛び回るのだ。
 一緒に行かないか、と誘われたこともあったが、私は頑なに断った。体の具合が悪くなるから、と言い訳をして。「ちぇっ。つまらない女だ」一度裕人が吐き捨てるように言ったのを、いまでも覚えている。心から軽蔑するような表情を浮かべて、苛立ちながら、長いあいだ無言で私を睨み

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【短編小説】 シャルトリューズからの手紙 第6章

【短編小説】 シャルトリューズからの手紙 第6章

 その次の言葉は、別の紙から始まっていた。恐る恐る、私は便箋を繰った。


 厳密には、いままで僕たちが思っていたような、姉と弟の関係ではなかった、ということです。いいですか。これから僕が書く話を、どうか冷静に受け止めて下さい。そして、これが遥か昔に起こったことで、いまとなっては誰にも、どんなことをしても、もう取り返しのつかないことだということを、肝に銘じておいて下さい。

 僕は5年ほど前に、

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【短編小説】 シャルトリューズからの手紙 第7章

【短編小説】 シャルトリューズからの手紙 第7章

 急に話の風向きが変わったので、好奇心に駆られて僕はつい聞いてしまいました。
「そうです。人の噂によると、彼女は彼女のすぐ下の弟に溺愛されていた。年の近い間柄だったから、幼いころからくっつき合って育ったのは皆が知っていました。私は彼女が彼女の弟を、きょうだいじゅうで一番愛しているのも知っていました。ところが」
「ところが、何です?」
 伯爵の顔色が少し変わった。
「おぞましいことです」
「何でしょ

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【短編小説】 シャルトリューズからの手紙 終章

【短編小説】 シャルトリューズからの手紙 終章

 書くことは記憶を固定することだと、いつかどこかで聞きました。おそらく奥様の書かれたこの文章で見知ったものだったのでしょう。それともそれ以前にインターネットか何かで読んだのかもしれません。或いはテレビで見たものだったかも……。どこで得た情報か正確には思い出せませんが……ともかくその言葉はいつからか私のなかに入り込み、深く根付いているのでございます。そして近ごろ、とみにその言葉を思い出すことが多くな

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