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【短編小説】 シャルトリューズからの手紙 第2章

 生きていくのは辛いことだと思う。
 今年も、クリスマスが近づいていた。もう3日もすれば、裕人ひろとが子どもを連れて帰ってくる。いまごろはシンガポールだろうか。海外の感覚を身につけさせるのだと言って裕人がひとり息子を連れ出すようになったのは、一昨年のことだった。以来彼らは年に1度か2度、クリスマスなどの節目のときにしか戻ってこない。けれどわたしはそれを寂しく感じたことは一度もない。
 昔から、ひとりで過ごすのを苦痛と感じたことはなかった。私の周りにはいつも要領を得ない思考がうず巻いていて、いつもそれを整理しようとして忙しかったから。暮らしている境遇からそう見えるのだろうけれど、よく人から〝寂しそうな顔をしている〟と言われる。私はそれを否定もしなければ肯定もしない。私はただ黙って笑いながらうなづく。するとそれが余計に寂しそうに見えるらしく、相手は何とも言えない表情を浮かべてご機嫌ようと言い、去っていく。
 人のそんな態度にも、私はまったく心を動かされない。喜びも悲しみも、責める心も恥じる心も、大昔に私のなかでは凍りついてしまった。
 生きていることは、辛いと思う。
 今日は午後から街へ出て買い物をした。都内で一、二を争う高級デパートへ行き、紳士服売り場で小一時間ほど裕人へのクリスマスプレゼントを探した。裕人は最高級品しか身につけない。売り子に相談して、今年の流行りだという柄のブランドもののネクタイを2本買った。そのあと玩具売り場のある階に移動し、息子のためにいま一番人気だというゲームソフトを買った。裕人がすでに同じものを買い与えていなければいいが、と思いながら。
 戻ってくると、郵便物が届いていた。裕人の従兄弟たちやほかの親戚からのグリーティングカード、取引先企業からの、数々のお歳暮の品……。「元気ですか? また会いたいね!」と、気を引き立てるような文言の書かれたにぎやかな絵付き葉書を見ても、私には何の感情も浮かばない。そういったことは、厚い膜を隔てた別の次元の出来事のように感じられる。
 海外の取引先や裕人の個人的な友人たちからの郵便物に交じって、またあの地味な茶色の封筒が届いていた。見覚えのある外国語の刻印が付いていた。私はそれを自分のバッグのなかに滑り込ませた。
 すべての荷物を片づけ終え、真野まのさんの用意してくれた夕食を食べ終えると、私はすぐ寝室にこもった。そして、ベッドルームを通り抜けて奥のバスルームに入り、ドアを閉めて内側から鍵をかけた。バッグを開けて手紙を取り出すとき、なぜか不意に祈るような気持ちになった。私は蛇口の栓をひねり、バスタブにお湯を入れ始めた。修道院の房室のような、完全に孤立した自分だけの空間が必要だと思った。
 バスタブにお湯の落ちる音を聞きながら、私は手紙の封を切った。
 
 いかがお過ごしでしょうか? ――そんな言葉から、手紙は始まっていた。
 
 お姉さん。あれからずいぶんご無沙汰してしまいました。お元気で過ごされているように、お祈り申し上げます。
 僕は昼夜を問わず祈りに没頭していました。霊的読書レクティオ・ディヴィナの時間を増やし、始まりも終わりもない黙想のなかに身を置いて、ただひたすら神の御光に触れることのできる瞬間が来るのを待っていました。ここの生活は素晴らしいです。この修道院で課されている〝沈黙の行〟に、はじめは辛さを感じて苦痛を訴える者もいるようですが――事実、つい先日、ひと月前に入ったスペイン人の若い修道士が耐えられずに出ていきました――、沈黙しているということは、僕にはまったく苦にならないのです。むしろ言葉を喋らなくていいということが、僕には解放されるような、くつろげる精神状態を与えてくれるのです。ここの暮らし、目の前にある部屋の光景、机や椅子や寝台、祈祷きとう台などの調度、いま一番近くにある手元の紙や筆記具、すべてが僕にとってはこの上なく愛おしいものです。ここでこうしてお姉さんへ向けての言葉を書き綴っているこの時間が僕のなかでどれほど貴いものか、きっと想像もできないでしょうね。僕がここで聞く音といったら、まずこの部屋にとばりのように降りている沈黙の音です。沈黙に音があるなどといったらおかしいかもしれませんが、ここのように圧倒的な静けさのなかにいると、いずれそれがわかるようになります。僕は口を動かし言葉を発することを久しく止めていますが、その分とても耳は鋭くなったように感じます。無音の環境のなかにも耳を圧する何かはあって、僕はときどきその正体は何なのだろうかと心を集中させることがあります。これはもしかすると心の声なのかもしれませんが、いまのところはまだわかりません。……ここのぶ厚い沈黙が破られることがあるとすれば……そうだな、まずは雨の降るときでしょうか。修道院は高い山に囲まれた地形の上にあるので、割と頻繁ひんぱんに雨が降ります。雨が降ると、雨だれの音が僕の部屋の窓にも響きます。ときにその音はとても大きくて、そういう日は祈りにも霊的読書にもあまり集中できません。なので僕は、そんなときは雨だれの音にむしろ聞き入るようにしています。その音は美しいです。あるべくしてある、自然のもっともまったき、、、、流れであり、姿です。僕はそれを世界で一番美しい音楽の調べとして聴いています。……ほかの物音といえば……(ここでは物音には特に敏感になります)、各課の時間を告げる鐘の音……。これはこの建物内でもっとも高らかに鳴らされる物音でしょう。そして、食事や必需品、頼んでおいたものを助修士が運んで来る音……床の上を木製のカートが移動するゴトゴトという音と、扉の横にある小窓から食事や物を出し入れするときの音。それらは決してうるさいということはなく、極めて慎ましやかに、配慮された動きから成っています。僕はその物音さえ愛おしいと感じるのです。
 僕がこの修道院に入ってから、8ケ月が過ぎました。お返事をもらえなかったので、前回の手紙が無事にお姉さんに届いたのかどうかもわかりません。けれどどうか気にしないで下さい。修練長は、それは重要なことではないとおっしゃいます。もちろんお姉さんから返事をもらえて近況やその他のことを知らせてもらえればそれは喜ばしいことではあるけれど、僕がこうして手紙を書くのは、何よりも自分の修行のためである、と。修練長はまたこうも言われました、お姉さんという〝核〟が僕のなかから完全に消滅してしまうまで、僕はいつまででも手紙を書き続けてよいのだと。何しろ僕はまだ若く、健康体で、時間はたっぷりあるのです。
 祈りも毎日のミサへの参加も、身を入れてやっています。3時間や4時間の細切れの睡眠時間も最初は辛かったけれど、何とか生活のリズムを作ることで体を慣れさせることができました。その合間の、霊的読書の初めの30分間を使って、自分の言葉でお姉さんに手紙を書くことが、どれだけ僕の心の平穏を支えているでしょう。月日が経てば経つほど、ここでの生活は僕に沁み込んでくる気がします。お姉さんが無事で幸せに暮らしているようにと、この手紙を書くときはいつも祈っています。というのも、修道士の祈りはあまねく世界に向けてのものであらねばならないからです。僕たちは神をたたえ、この世界のすべてのために祈ります。修練長が僕に手紙を書く時間を与えて下さったのは、そのあいだだけでもお姉さんのために祈ることを許して下さったという意味なのです。
 最近はこの手紙にかける時間も少しですが減ってきました。お姉さんという僕のなかの〝核〟が、少しほどけてきたのでしょうか?
 またお返事をもらえないかもしれないことは覚悟しています。勝手なことばかり書き綴ってくると、お怒りなのかもしれないとも思っています。でももう少し、お姉さんにこの手紙を書き続けることをどうか許して下さい。僕のなかでも少しずつ変化が起き始めているのです。
 そして、決して忘れないで欲しいことがあります。どのようになっていこうと、お姉さんは僕の大切な人であり続けます。それはこれまで揺らいだことはありませんし、これから先も決して変わることはありません。お姉さんがご無事で幸せでいることを祈ります。そしてもしそれを知ることができたなら、僕の心はこれ以上ない至福の光で満たされることでしょう。

 神の祝福を。

 
 手紙はここで終わっていた。途中、バスタブの栓を閉めてお湯を止め、服を脱いで湯船に入り、最後まで読み上げた。
 読み上げるころ、なぜか涙がこみ上げてきた。顔がゆがみ、体が震え、とめどない涙がバスタブに落ちる音を聞いていた。自分が嗚咽おえつする声を聞いたのは、何年ぶりだったろう。
 ――多分、私は弟が羨ましかったのだろうと思う。俗世を離れたとはいえ、弟は自らの意志で自分の居どころを定めていた。しかもいまある環境に満足しているようだ。
 あの別れの日、弟が屋敷から出ていくのを自室の窓から見送ったとき、私は何を考えていただろう? 私たちはとても若かった。だから、そのころ起こりつつあった出来事を、何となく肌では感じながらも深くは考えずに、楽観的な気持ちでやり過ごしてしまったのだ。あの日私たちは、何も特別なお別れをせずに、またねと言って別れた。その後もう二度と会うことはできなくなるとは知らなかったから。
 
 裕人の許婚いいなずけになると聞かされた朝のことは忘れない。あのとき私は20歳だった。私たちが屋敷に来たときから決まっていたことだと聞かされたときは、立ちすくんだまま動けなかった。
 あの日からなのだ。あの日から、私の人生は私のものではなくなってしまった。それとも、生まれたときからそうだったのだろうか。桃ケ丘の養護施設で弟と二人育てられたとき、あのあいだも、私たちの運命は彼らの手のなかにあったということなのだろうか?


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