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A Course in Miracles 学習&実践レポート

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『A Course in Miracles』(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の学びと実践を通して、もりGが体験的に理解したこと、実際に修得していっているもの、その成果として体…
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2021年6月の記事一覧

自我の巧妙さをみくびってはならない

自我の巧妙さをみくびってはならない

コースの教えがたとえ理解できたとしても、所詮、それは知的理解にしかすぎないコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)学習者がコースの形而上学を学んでいくことはもちろん重要不可欠なことであるわけですが、そこで私たちがわきまえておかなければならないことは、形而上学は形而上学にしかすぎない、ということです。

コースの教えがたとえ理解できたとしても、所詮、それは知的理解にしかすぎないということです。

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自我の告白

自我の告白

自我について知ることは、私たちを知ることコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の学習者の私たちがしていくべき実践は、自我を咎めずに見ることだと言うことができます。

「咎めずに」とは、ありのままに、ということです。

それをコースでは、「聖霊と共に見る」という言い方をします。

つまり、私たちは自分自身の内側を直視(正視)していくことが求められているということです。

そう、自分の内側に正直に

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自分は心であると分かってくるとき、そこからが本格的な学びの階梯を上っていくプロセスのはじまりです

自分は心であると分かってくるとき、そこからが本格的な学びの階梯を上っていくプロセスのはじまりです


この世界の中にいるかぎり、学ぶべきこと、訓練していくべきことがあるコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の教えから言えば、たしかにこの世界は実在してはおらず幻想です。

とはいっても、ただやみくもにこの世界を幻想として否定していくのではありません。

学びが浅い段階においてはそのような実践をしたりもしますが、コースの形而上学をちゃんと理解していくにつれて、コースはそのような実践をしていく道で

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どうしても赦せないとき、赦したくないとき

どうしても赦せないとき、赦したくないとき

攻撃、裁き、怒りがおさまらないとき攻撃、裁き、怒りがおさまらないとき、その内側で何が起きているのでしょう?

その内側を観察するとき、以下のような自分を認識することができます。

まず、湧き出でくる怒りや攻撃を正当化しようとします。

そう、怒りや攻撃の正当性を立証するためにありとあらゆる証拠と理由を並び立てようとします。

あいつのせいだ!これのせいだ!と。

自分が間違っているとしても、その自

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「自分」をどう認識しているか?「自分」を何者だと思っているか?

「自分」をどう認識しているか?「自分」を何者だと思っているか?

「夢の主人公」から「夢を見ている者」へコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の学びが深まっていくにつれて、個人の自分は夢の中の主人公にすぎないことが認識されるようになっていきます。

つまり、この世界の中に居ると信じている「自分」は世界の夢の中の登場人物の一人にすぎなくて、その個性や個人性といったものは、その登場人物に与えられたキャラクターにしかすぎない、という理解になっていくるということです

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「決断の主体」の自分を思い出していくための具体的な実践方法

「決断の主体」の自分を思い出していくための具体的な実践方法


「決断の主体」についてワプニック博士が解説している教材でコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいくとき、「決断の主体」という言葉が頻繁に出てきます。

実際の英語では、decision maker、または、decision maiking mind、と表現されているわけですが、

それを日本語(加藤三代子さん)翻訳では、「決断の主体」と呼んでいるわけです。

その「決断の主体」につい

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兄弟なしでは目覚めることなどけっしてあり得ない

兄弟なしでは目覚めることなどけっしてあり得ない


兄弟のしなかったことを赦すコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)では兄弟を赦すことについて、「兄弟のしなかったことを赦す」という言い方をします。

それは、いったいどういう意味なのでしょう?

コースの学びが浅い初期段階のうちは、その意味がなかなか理解できないものです。

それは、日々の実践を通して体験的にようやく理解されてくるものだと言うことができましょう。

実践してみれば分かることです

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