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A Course in Miracles 形而上学

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『A Course in Miracles』((奇跡のコース/奇跡講座)から抜粋した引用文にちなんたnoteコラム
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#いまここ

そこに知覚されるものが虚偽であると分かるとき、そこに見えてくるもの

そこに知覚されるものが虚偽であると分かるとき、そこに見えてくるもの


「ここ」がすでにわが家なのだということ私たちは何のためにコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいるのか?

というなら、もちろん、「神のもとに帰る」「わが家に帰る」ことを目的としてコースを学んでいるといえます。

そんな私たちが知っておくべきことは、ここではないどこかにわが家(天国/神の国)があるのではないということです。

本当は、「ここ」がわが家(天国/神の国)なのだということで

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過去、現在、未来というリニアな時間軸上にはない「いまここ」とは?

過去、現在、未来というリニアな時間軸上にはない「いまここ」とは?

本当の安全はどこにあるのか?コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)学習者の私たちは、表層意識においてはこの世界の夢から目覚めて自由になりたいと思ってコースを学んでいるわけです。

ですが、コースが教えていることを理解するようになると、私たちの無意識ではまったくその真逆を望んでいるということが明らかになっていきます。

つまり、その学びが深まっていくにつれて、この世界の夢から目覚めることよりも、

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今(プレゼンス)という聖なる瞬間

今(プレゼンス)という聖なる瞬間


見ないでいることにより、幻想が保護されている非二元のスピリチュアリティでは、私たちが体験している苦痛や苦しみは幻想(夢)であると教えてくれています。

だとしても、私たちにとってはとてもリアルなものです。

例えば、ネガティブな感情(不安や不平不満)を感じているとして、それが幻想だとはとうてい思えるものではありません。

言い換えるなら、だからこそ、私たちはそれらを直視しなければならないというこ

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いまここにただ在り続けるもの

いまここにただ在り続けるもの

本当の自分(真の自己)とはコース(奇跡のコース/奇跡講座)のテキストの序文では、このようにはじまります。

それは、本当の自分(真の自己)とは?について述べられたものだと言うことができます。

本当の自分(真の自己)とはそういうものである、ということです。

なにせ、この世界に脅かされている自分は実在しないわけです。

つまり、本当の自分(真の自己)と、この世界の中で経験している自分とはまったく関

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この世界での経験をただむやみに否定していくわけではない

この世界での経験をただむやみに否定していくわけではない


私たちが経験している人生とは?コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいく上で私たちが知っておかなければならないのは、コースはハッピーな人生、幸せな人生にすることを目的とはしていないということです。

だからといって、惨めでつらい人生を送る必要もありません。

コースは、ハッピーな人生であろうが、あるいは、そうではない人生であろうが、どちらも同じ(幻想)だと見ることのできる知覚(真の知

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「奇跡」はなぜ時間の短縮になるのか?

「奇跡」はなぜ時間の短縮になるのか?


すべてを知る者から探究者となってしまった私たち本来は、私たちは「一なるものとしてつながっている一体性(ワンネス)」(T-25.Ⅰ.7:1)であるわけです。

それを、「神」あるいは、「神の国」「天国」と呼んだりしています。

あるいは、「智識」と呼んでいます。

つまり、私たちは本来、智識そのものであるということです。

智識とは、すなわち、すべてを知っている状態を言います。

本来の私たちはそ

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肉眼で見えている世界を超えていくとき、ヴィジョン(心眼)は開かれる

肉眼で見えている世界を超えていくとき、ヴィジョン(心眼)は開かれる

この世界の見方として二つの見方がある非二元から見るならば、この世界は幻想です。

ただし、コース(奇跡のコース/奇跡講座)は、この世界を幻想だとしてやみくもに否定していくような実践をしていくわけではありません。

この(幻想)世界を見る見方として、そこには二つの見方、考え方があることを、私たちはコースを通して学んでいきます。

つまり、この世界の見方として、二つの目的の方向があるということです。

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あなたは自分が正しいことと幸福であることのどちらを好むだろうか

あなたは自分が正しいことと幸福であることのどちらを好むだろうか


私たちは自分の見ている世界と闘っている自分が見ている外側の世界に対して「これでいい、OK」とは見てないなら、つまり、不平不満を抱いているとしたなら、

それは、闘っているということです。

なんでこうなのだ、、、そうじゃない、、、あぁなるべきだ、、、こうでなければならない、、、あぁでなければならない、、、というふに、外側の世界を変えようし続けているということが闘っているということなのです。

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個別性、特別性を超越していくために私たちがすべきこと

個別性、特別性を超越していくために私たちがすべきこと


いまここの平安を避け続けている私たち自分の内側を観察していくと分かることですが、思考はまるで止むことがありません。

いつも何かしらの思考を巡らせては、平安に留まることがありません。

言い換えるなら、いつも平安から逃れようとしているのが認識できます。

四六時中、過去や未来に思考が飛んでいるのが分かります。

「いま」ではないいつかどこかに思いを巡らせているのが認識できます。

つまりは、それ

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「いまここ」という時間を超えた時間のない領域へ

「いまここ」という時間を超えた時間のない領域へ


リニアな時間軸上ではない「いま」ノンデュアリティ(非二元)の真理から見るならば、この世界のすべては幻想です。

いわゆる、この世界は心のイメージによって作り出された影にしかすぎないということです。

それは、この世界、宇宙という「空間」のことだけを言っているのではなく、「時間」もそうだということです。

時間はあたかも過去から未来へとリニア(直線的)に流れているかのように知覚されていますが、それ

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