過去、現在、未来というリニアな時間軸上にはない「いまここ」とは?
本当の安全はどこにあるのか?
コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)学習者の私たちは、表層意識においてはこの世界の夢から目覚めて自由になりたいと思ってコースを学んでいるわけです。
ですが、コースが教えていることを理解するようになると、私たちの無意識ではまったくその真逆を望んでいるということが明らかになっていきます。
つまり、その学びが深まっていくにつれて、この世界の夢から目覚めることよりも、この世界の中にいることのほうが安全だと信じているのが自覚/認識されるようになってくるということです。
その狂気さを自覚/認識していくことが私たちに求められているわけですが、そのためにもコース形而上学を学んで正しいものの見方というものを修得していくほかないといえます。
正しいものの見方でこの世界を見るならば、つまり、この世界をありのまままに見るならば、この世界には安全といえるものは一つもないのが分かります。
この世界がどういうものか?
この世界はどのようなところなのか?
私たちがありのままに見るなら、ここに安全はない、ここは狂気の世界だということを悟るでしょう。
コースが教えていることを理解するようになるならば、この世界には安全も平安ないということを、私たちは理解するようになるということです。
「自分は肉体である、自分はこの世界に生きている」と思っているかぎり、そこには安全も平安もあり得ないということが認識されるようになるということです。
ならば、本当の安全、本当の平安はどこにあるのか?
というなら、「自分はいない」「自分はこの世界には居ない」と自覚/認識したところにあるということです。
その場所とは、この世界を超えたところにあり、コースではそれを「戦場を超えたところ」(T-23.Ⅳ)と呼んでいます。
その場所だけが私たちにとって唯一の絶対なる安全、完全なる安全があるところだとコースは教えてくれています。
そう、その場所こそが、「いまここ」と呼ばれているところです。
それは、過去、現在、未来というリニアな時間軸上にはない、この世界の外、つまり、時間と空間の外であり、私たちは本当はそこからこの世界の夢を見ているのだということです。
であるにもかかわらず、「自分はこの世界の中に居る」「自分はこの身体である」と信じることによって、毎瞬毎瞬、私たちはそれを拒絶しているのだと、コースは教えてくれています。
そう、実際、自分の内側に正直になるならば、この世界を超越していくことよりも、この世界のほうがやっぱり安全だと信じているのが自覚できます。
「いまここ」に戻ることに対していつも防衛し続けているのが分かります。
安全など無いこの世界の中で、安全になろうとしているわけです。
安全を追い求めながら、本当の安全だけは避け続けているのです。
この世界で私たちは何をしているか?というなら、そういうことです。
言い換えるなら、そのことを自覚/認識しないかぎり、私たちはどうやって本当の安全、本当の平安を知り得るでしょう。
それは、いつも「いまここ」にただ在るということ。
それだけが私たちにとっての真の救いであるということ。
そのことを思い出すために、私たちはコースを学んでいるといえましょう。
何が自分を安全にして、何が自分を安全から遠ざけるのか?
何が自分に平安をもたらし、何が自分から平安を奪うのか?
その識別法(見方)を、私たちはコースを通してしっかり学んでいるのだということです。
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