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この世界での経験をただむやみに否定していくわけではない


私たちが経験している人生とは?

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいく上で、私たちが知っておかなければならないのは、コースはハッピーな人生、幸せな人生を送ることを目的とはしていないということです。

だからといって、惨めでつらい人生を送る必要もありません。

コースは、ハッピーな人生であろうが、あるいは、そうではない人生であろうが、どちらも同じ(幻想)だと見ることのできる知覚(真の知覚)を思い出すことを目指しているということです。

いわゆる、二元性を超えていくことを目指しているのだということです。

コースの観点からみるならば、この世界で起きていること、そして人生で体験することの一切が実相とはまったく関係ないということです。

つまり、私たちがこの世界で経験しているすべて、そして、内側で感じている感覚すべて、つまり、思考、感情、感覚、知覚といったそれらすべてがでっち上げられた虚であるということなわけです。

コースは、それらすべてが「無」「虚偽」であるということを教えてくれているということです。

それが心地良い感情であろうが、不快な感情であろうが、私たちがこの世界で経験していることそのすべてが「無」「虚偽」であるなら、そこに何の意味があるというのでしょう。

ワークブックレッスンの初めのほうでも、”私たちがこの世界で経験していることすべてが”何の意味もない”と述べています。


私の無意味な考えが、意味のない世界を私に見せている。(W-pⅠ.11)

奇跡講座/中央アート出版社


ただ、コース学習者の私たちが理解しておかなければならないのは、自分(私たち)がここ(この世界)で経験していることをむやみに否定していくことがコースの実践なのではないということです。

例えば、「幻想なんだから、、、」「何も起きていないのだから、、、」といった具合に否定していくのではないということです。

もしそのような実践をしているとするなら、それは、否認、抑圧、隠蔽しているにしかすぎず、それはコースが教えている実践ではないということを知っておきましょう。


この世界の目的を変える

では、コースではどのような実践をしていくのか?

というなら、目的を変える、ということです。

この世界を別の目的で見ていくことを訓練していくということです。

通常、私たちは、この世界を実在化させ、個別性、特別性、個人の存在を保持し続ける目的でこの世界を知覚しています。

いわゆる、私たちは、自我の目的でこの世界を知覚しているわけです。

その目的で見るならば、この世界は何の意味もありません。

そうであるならば、何の意味もないものを見ているだけであり、いわゆる、この世界で無益な旅をしていくだけとなります。


あなたがそれを自分自身の最後の無益な旅として受け入れることができるなら、私の復活にも自由に加わることができる。そうするまで、あなたの人生はまったく無駄にされている。(T-4.in.3:3‐4)

奇跡講座/中央アート出版社


でも、その目的を変えるとき、それらすべてに別の意味が与えられることになるということです。

そう、目的を変えるとき、この世界で私たちの知覚しているもの、経験しているものが、聖霊(イエス)の目的で使用されていくわけです。

もちろん、聖霊(イエス)の目的とは、私たちがこの世界の夢から目覚めることです。

ようするに、私たちがこの世界を見るとき、二つの見方があるのだということです。

それは、

自我の目的で見るのか?それとも、聖霊の目的で見るのか?

ということです。

そして、私たちがすべきことは、自我の目的から聖霊の目的へと、その目的を変えていくことなのだということです。

この世界をどちらの目的で見るのか?

その選択肢は二つしかありません。

それら双方は相互に排他的であるのです。

自我の目的で見るか?それとも聖霊の目的で見るか?

私たちは、そのどちらか一方を必ず選択していて、もう一方を拒絶しているということです。

そして、通常の私たちは自我の目的のほうを常に選択しています。

そのことを自覚していくこと、そして、その目的を聖霊の目的に選び直していくこと、それがコース学習者の私たちに求められているということです。

この世界、この人生には、二つの目的しかないということです。

コース実践者はそのことを毎瞬毎瞬思い出していくことがその実践となるということです。

その目的を選び直していくとき、この世界が目覚めていくためのレッスンの場としての「教室」となっていきます。

そう、聖霊の目的で見ることを選択し直し続けていくならば、そっちの知覚(ものの見方、考え方)のほうがより平安で信頼できるものであることを実感していくことになります。

それだけでなく、今この瞬間、この毎瞬毎瞬が、その選択肢にいるのだということが自覚されていきます。

そうなっていくにつれて、「いまここ」の理解が感覚的に腑に落ちてくるようになります。

なにせ、この世界を幻想だとしてむやみに否定していくのではく、目的を変えることによって、まったく違う目的でこの世界を見ていくことなるということを知っておきましょう。


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