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A Course in Miracles 形而上学

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『A Course in Miracles』((奇跡のコース/奇跡講座)から抜粋した引用文にちなんたnoteコラム
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#真理

大丈夫、と、大丈夫じゃない

大丈夫、と、大丈夫じゃない

嘘(虚偽)であるものを嘘(虚偽)だとしていくこと「だいじょうぶ」と「だいじょうぶじゃない」、

というとき、

ノンデュアリティのスピーカーさんのほとんどが、「だいじょうぶ」のほうへとフォーカスするよう促しているように思えます。

そして、コースのティーチャーみたいなことをやっている人やコース学習者も、「恐るべきことは何もない、私は大丈夫、私は安全だ」というふうにアファメーションしていくことがコー

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私たちはワンネスであるならば

私たちはワンネスであるならば

私とあなたは別々ではない、自分と他者は別々ではない真理からいえば、私たちは一つ(ワンネス)です。

それは、「私とあなたは別々ではない」「自分と他者は別々ではない」ことを意味します。

それは、真に目覚めた者、悟りを生きている者の知覚の仕方だといえます。

ならば、ある誰かは目覚めていて、誰かは目覚めてはいないということがあり得るでしょうか。

もしそのような知覚をしているとしたならば、それは「私

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そこに知覚されるものが虚偽であるとわかるとき、そこに見えてくるもの

そこに知覚されるものが虚偽であるとわかるとき、そこに見えてくるもの


「ここ」が自分の居る場所私たちは何のためにコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいるのか?

というなら、もちろん、「神のもとに帰る」「わが家に帰る」ことが目的なわけです。

そんな私たちが知っておくべきことは、ここではないどこかにわが家(天国/神の国)があるのではないということです。

本当は、ここがわが家(天国/神の国)なのです。

もちろん、この世界(宇宙空間/時空間)は幻想(

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聖霊のシナリオか?自我のシナリオか? あなたはどちらのシナリオを選択する?

聖霊のシナリオか?自我のシナリオか? あなたはどちらのシナリオを選択する?

私たちはすでに終わった過去を見ている今、時代は大きな変換期を迎えているかのように見えます。

この世界の形態、情勢を見るならば、たしかに、常に移り変わって、変化していっているかのように見えます。

私たちは、その変化にどのように対応していけばいいのでしょう?

真理からみるならば、どんなに時代が変わろうとも、どんなに世界の状況が変わろうとも、この世界は自我(二元性)の思考体系が作り出したドラマ(幻

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この「私」もいないのです

この「私」もいないのです

想念はその源を離れないコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の中で「想念はその源を離れない」という概念がよく出てきます。

それは、原因と結果は離れないということを意味します。

この世界においていえば、外側には何もないということです。

外側に知覚しているものは、心の内側にあるものだということです。

つまり、「私」が外側の世界に知覚しているものはすべて、この「私」の内側で実在化させているも

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問題を認識しないかぎり、真理を知っているだけでは何の役にも立たない

問題を認識しないかぎり、真理を知っているだけでは何の役にも立たない

問題を認識することの重要性この世界は幻想です。
この世界は実在しません。
分離は起きていません。
私たちは一つ(ワンネス)です。
すべては愛です。

非二元の観点からいうなら、それが真理であり、それが答えです。

ただし、私たちが知っておくべきことは、その答えを知っているだけでは、私たちがこの世界の夢から目覚めていくためにはほとんど役に立たないということです。

この世界が幻想だといくら分かってい

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もし今あなたが絶望しているとして、それは決して驚くべきことではありません

もし今あなたが絶望しているとして、それは決して驚くべきことではありません

私たちは絶望の夢を見ているだけであるこの世界にいる私たちは、いわば、みんな誰もが絶望していると言うことができます。

というのも、一番分かりやすい例でいえば、私たちは誰もが、自分はいずれ死ぬと分かっているわけです。

そのことを分かっていながら、それでも、はかなきこの人生を生きようとしているわけです。

それは、別に悲観的になって、そう述べているのではありません。

コース(奇跡のコース/奇跡講座

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「真理を幻想に持ち込む」のではなく、「幻想を真理のもとに運ぶ」ということ

「真理を幻想に持ち込む」のではなく、「幻想を真理のもとに運ぶ」ということ


幻想を真理のもとに運ぶ「幻想を真理のもとに運ぶ」と「真理を幻想に持ち込む」とは、いったいどういうことなのでしょう?

今回はそのことについて書いてみたいと思います。

まず知っておかなければならないのは、コース学習者である私たちがしていく実践は、「幻想を真理のもとに運ぶ」ことをしていくということです。

それは、コースで言う「赦し」を実践するということです。

ですが、自我と同一化してしまってい

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悟り、覚醒、目覚めを求める探究者の誰もがよく陥りがちな勘違い

悟り、覚醒、目覚めを求める探究者の誰もがよく陥りがちな勘違い

夢の主人公が目覚めるのではありません真理から言えば、私たちは本来は神と一体の神の子であるわけです。

そうであるにもかかわらず、私たちは何をしているのか?というなら、夢を見続けているだけでなく、夢の中の夢の主人公と同一化した状態にあると言うことができます。

つまり、肉体としての夢の主人公を自分だと信じてしまっています。

真理から言えば、神の子が作り出した夢自体が「無」であるわけですから、当然、

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