![マガジンのカバー画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/70761548/29efdc0e01fd25e6f2d9986708afd771.jpeg?width=800)
- 運営しているクリエイター
2021年9月の記事一覧
この世界での経験をただむやみに否定していくわけではない
私たちが経験している人生とは?コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいく上で、私たちが知っておかなければならないのは、コースはハッピーな人生、幸せな人生を送ることを目的とはしていないということです。
だからといって、惨めでつらい人生を送る必要もありません。
コースは、ハッピーな人生であろうが、あるいは、そうではない人生であろうが、どちらも同じ(幻想)だと見ることのできる知覚(真の
スピリチュアルと反スピリチュアル
キリスト対反キリスト人類の歴史から見ても、私たちにとって宗教や霊的なものは切っても切れないものだと言うことができます。
むしろ、それなしで人間は生きてはいけないとさえ言うことができるでしょう。
それというのも、宗教や霊的なものがない者たちは唯物的なものに頼らざるを得なくなるわけです。
そんな彼らですら、宗教、スピリチュアルとは無縁だとしても、やはり人が死んだときには私たち葬儀を執り行ったり
幸せな学習者となっていくために私たちが自覚しなければならないこと
決断は無意識のレベルでなされている真理からいえば、私たちは神と一体の神の子であり、愛と喜びと幸せに満ち溢れているはずなわけです。
でも、自分自身に正直になるならば、まったくそうではない自分を自覚することができます。
むしろ、いつも何か足りていない、満たされていない、という想いにかられているのを認識することができます。
つまりは、それが自我の分離の思考体系を信じている、つまり自我を教師として
心を開くとは?ハートを開くとは?その方法について
「自分は正気じゃない」という狂気の自覚コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)が教えていることの理解が深まっていくとどうなるのか?
というと、ますますコースの思考体系(正気の思考体系)を学ぶ必要性と重要性が分かってくると言うことができます。
それは、コースを学んでいこう実践していくというモチベーションが高まっていくということです。
というのも、「自分は自我である」「自分は狂気の思考体系と
愛を阻む障壁のすべてを探して、見つけ出すこと
自我を見る、闇を見る、幻想を見ることの意味自分は誰で?
どこから来て?
何をしているのか?
そのことをすっかり忘れてしまっているのが、私たちです。
そして、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学ぶということは、その忘れてしまったものを思い出すことを目的としていると言うことができるでしょう。
真理からいえば、私たちは一なる一体性(ワンネス)であり、愛そのものであり、永遠なるもの、
自我を手放せない、自我を握りしめている自分にどう向き合っていけばいい?
自我を手放せない、自我を握りしめている自分コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は、「怒ってはいけません、攻撃してはいけません」というふうに教えているわけではありません。
「怒り、攻撃を手放しなさい」と云っているわけでもありません。
むしろ、コースは、私たちがそれができないことを承知の上で、私たちを導いてくれているといえます。
コースのイエスは、私たちは自我と同一化してしまっており、そ