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New Body Diary 2023

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9月20日 like a mud

9月20日 like a mud

今日は朝からずっと眠い。目を瞑ったら泥のように溶けてしまいそう。

昨日それでも23時には寝て、朝も6時ごろに目が覚めた。しかし、日中の異常な眠け。

むかし、好きだったものといま好きなものが表層的には真逆だとしても、やはり関係ないということはない。

未来派のように、速いものを嗜好していた時期もあり、いまは自分の身体が速さを苦手としながら、
そして、パフォーマンスの起源がここにあったことに何か繋

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9月7日 風はどこから吹いている?

9月7日 風はどこから吹いている?

風はどこから吹いている?どうして吹く?といった子どものような疑問をgoogleに投げかけた。気圧の差、気圧が高い方から気圧が低い方へと空気は移動しようとする。その移動が風となって現れている。

そういえば、日本のポップスにも、風になりたい、や風になって、と言った歌詞がある。風を志向するのは、人間の本質が風のようなものだからで、この物質的な限界から解き放たれて、そこに戻りたいということなのだろうか。

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9月5日 風が身体をひらく

9月5日 風が身体をひらく

朝、いつもより1時間早く家を出ると、いつもの道に陰が多くて涼しく歩きやすい。風が日毎に秋めいてきて、肌に触れるたびに、身体が秋に向かって開かれていく感じがする。

どこかで、坂本龍一さんが昔、新宿で土方巽さんとすれ違った時、大げさでなく〝風〟のようだったと言っていたというのを見かけた。

かたちのない、空っぽで、風が通り抜けるような身体になっていくイメージ。

肌が触れなくても、だれかの身体を開く

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8月29日《空白が多くのものを引きだす》

8月29日《空白が多くのものを引きだす》

今朝は、英語が身体に乗ってくる日だった。今日の英会話の先生が急かしたり結論を急ぐことをせず、私が意見を述べるのに十分な時間をくださったのもよかったのだと思う。

何か表層以下のものを引き出したいとき、十分な空間というのが必要だ。

yieldというボディワークを受けた時にも同じことを感じた。目を瞑りベッドに横たわっている私は、実感としてはほとんど何もされていない。たまにどう感じるか、声掛けをされる

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8月28日《言葉とある》

8月28日《言葉とある》

慌ただしい夏が過ぎていき、もう8月が終わる。またも1ヶ月空いてしまった。

言葉から少し距離をとりたかった。

インターネットや知らない人の会話、街中の広告など、避けきれない日々の生活に溢れる様々な言葉に私はとても疲れていた。説明的で、意味がありそうで、私が正しい、といわんばかりの言葉。

言葉のない音楽、動物、自然の流れに身体を委ねるのは心地よく、本当はもうずっとそうしていたい。

少し後ろ向き

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8月3日《流れを感じながら働く》

8月3日《流れを感じながら働く》

『Canto A Lo Divino』という南米チリの農民のあいだで奏で継がれる「カント」という共同音楽のフィールドレコーディングを集めたコンピレーションを聴いていた。南米のメロディーは何故か身体になじむ。

この「カント」は日常生活が詩の中心になっているそうだ。朝、聴きながら好きに踊っていたら、楽しいけれどいまいち乗り切れない。しかし、日中にたくさんの皿洗いをしながら、思い出して口ずさんだら身体

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7月28日

7月28日

《ままならない日本語も贅沢な愉しみ》

定期的に言葉に対して諦念のようなものを感じる。それは自分の言葉の幼さから来るのだと思う。いろいろなものがぼろぼろとこぼれ落ちて粗い。流麗な文章に出会ったときも、私には到底届かない世界だと思ってしまう。そして、美しさを身体で感じた時もまた、これを言葉にすることの困難さに背中を向けたくなる。

これは日記を書いていなかった言い訳。

そう思うと、言語を扱うレベル

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7月11日

7月11日

ずっと興味のあったお茶について、自分で淹れたお茶を飲んでもらえるような移動喫茶の機会をいただいた。

諸々の手続きや準備で頭を使っていたけれど、少し身体が固まってくる、ノートの上だけでなく動きながら考えていくことは本当に大切。

特に活動に対する名前を決めることに頭を悩ませている。思いついてもグローバル化された社会では似たような名前をつけている人もすぐに見つかるし、何か思いついたときに同じことを考

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6月30日

6月30日

昨夜、久しぶりに踊ってみたら、よくよく自分の身体の固まっているところに気がついた。痛い場所や張っている場所にばかり意識がいくけれど、以前より足の裏が地面をきちんと掴んでいる感覚や片足でのバランスも安定してきている気がした。下半身の筋肉と重心感覚が変わっている。

今日はアルバイトのあとに鶴岡八幡宮の大祓に行った。歩いて向かって横の入り口から入る。雨が降ってきて、石段が濡れている。一箇所だけ滑らかに

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6月29日

6月29日

ここ2日、あまり難しくない英語の文書はグルーヴを身体が感じながら読めるようになってきた。頭ではなく口がその流れに乗っている。あとはボキャブラリーを増やすためにたくさん話していこう。始めた頃ほど予習復習を熱心にはしていないけれど、毎日やることで身体が覚えてきているものがある。

午前中、またパソコンの前で唸っていたらどうにもならなくなり、身体が同じ形に固まっていること、同じ方向を見ていること、この姿

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6月28日

6月28日

昨日は、頂いたままになっていたヨハン・レンペルトの写真を額装しに行った。シンプルな木のフレームにしようと思って行ったけれど、様々なフレームがあり迷った。コントラストの低い繊細なモノクロの階調が、綺麗な緑色のフレームの中でピッと締まり、でも窮屈でもなくなんだか感じが良かったので、それに決めた。ナチュラルな木目のフレームものびのびと広がってよかったが、イメージが外側に漏れていくような間伸びした感じもし

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6月22日

6月22日

Instagramのおすすめに、人の身体と宇宙の構造の類似点を写真でビジュアライズしている投稿が出てきた。これだけ自然物との共通点があり、私たちの身体が自然の一部だということがよくわかるでしょう、というメッセージ。

その後、英会話のニュース記事を探していたら目についたのはCarl Saganについて書かれたものだった。彼もまた、新しい惑星を見つけることよりも人の身体が宇宙の一部であることに目を向

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6月21日

6月21日

目を開けると、ベッドに横たわる私の目線の少し先に置いてある除湿機の四角い身体が、曇った明け方の光で照らされていた。右側面の一片はぼんやりと緑に左側は薄い赤色が見えた。光の波長の違いが見えているのかと思った。もう一度目を凝らした。やはりそのように見える。

夏至の日は、決まって懐かしいような悲しいような気分に引きずられる。天体の運行という自然のリズムに、人という動物の一個体である自分が同調していてい

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6月14日

6月14日

朝、ゴミを出しに行くと、家の前の神社の入り口にあった大きなモクレンの木がバッサリと切られていた。

私はこの木が好きだ。モクレンという木を知ったのも、それが別名マグノリアと言い、昔観た映画のタイトルの意味がわかったことも、つぼみが産毛で覆われていて小さな動物のようですごく可愛いこと、それが見事に華麗な花になること、緑が生い茂る季節には、その木の下に入ると大きな葉がドームのような形を作り、シェルター

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