SOMA SONIA

Poetic sensations of our bodies. ・・・・・・・・・

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マガジン

  • Massage Magazine

    『身体の詩的な感覚』をテーマに、さまざまな分野の枠をふにゃふにゃと越えながら〝身体〟について考える。 身体で感じることを言葉で伝えることはできないという前提の上で、身体を開放してくれるようなtriggerとしての言葉を扱いたい。

  • New Body Journal

    〝あたらしい身体〟について考える

  • New Body Diary 2023

    日々の記録

  • RUNNOTE

    ●越境的茶文化の研究 ●お茶を通して〝身体〟を考える ●茶文化・茶外茶の調査

  • My Topos Diary 2022

    日々の備忘録

最近の記事

5月7日

久しぶりの雨。自然と7時頃には目が覚めた。漢方を煮出して、白湯を飲み、洗濯をして、朝ごはんを食べてもまだ午前中で時間はたくさんあった。 今日は家で過ごすと決めて、ごろごろしながら野口三千三氏の「野口体操 おもさに貞く」を読む。言葉からくるイメージが身体を扱うときにとても大きく影響していること。書き言葉の文字の形(古代文字や象形文字)は自然物の形から来ている(人の身体も自然)し、発声する音は身体の動かし方を規定するからダイレクトに身体に影響する。 身体の動かし方を言葉で説明

    • 5月3日

      秦野から鶴巻温泉まで歩く。歩き始めは身体の重さのほうが気になったが、どんどん足取りがしっかりしていくのを感じる。 こういうとき、たぶん気力がなくなって身体が動きにくくなっているから、自然の中に行って歩くだけでも外の気が入ってきて元気になる。 何かがないと、誰かがいないと保てない健康ではなく、依存していることになる。 もう様々に養生のしかたを勉強したし、自分の身体に向き合ってきたのだから、まずは自分のできることをする。それでも冴えない時、誰かの力を借りる。それも治してもら

      • 5月1日 

        たんちゃんを撫でて眺めるたび、こんなにも静かな存在と暮らしている、同じ家の中にいるんだと、毎回新鮮な驚きを与えられる。 大抵、頭の中は常にことばに溢れていて、どこかで見た、聞いた、誰かの口から発された、特にそうした自分の外側のノイズみたいなことばが頭の中で飛び交っている時、たんちゃんはことばを残さないので、どんどん頭の中で存在が小さくなってしまっているのだと思った。なんだか悲しくなった。 瞑想をして、自分のおなかの中心に意識を集めるときも同じような静けさを感じる。最近、意

        • 【COLUMN】たまご ひと ねこ

          隣町に、抗生剤を使用せず、平飼いでにわとりたちを飼育している養鶏場がある。 にわとりたちがストレスフリーで産んだ卵、それに移動距離も少なく手に入るのはうれしい。 少し前からその卵を食べさせてもらっていて、黄身の色がうすくきれいな黄色で、味もさっぱりしていて動物性のものをいただいたときに感じる特有の臭みがほとんどない。 はじめて手に持ったとき、それぞれの大きさが微妙にちがって個体差があり、それだけではなくそれぞれから人格(鶏格?)を感じるような生気があった。スーパーマーケ

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        記事

          4月10日

          今日また自分の体についてわかったことがある。 夕食後にいろいろなことが面倒になって、なかなか皿洗いができないということがよくあったのだけれど、大根おろしをお茶碗1杯食べることで消化がかなり助けられて、お腹はすっきりするし、夕食後にもすぐに皿を洗い明日の準備をできるくらい軽かった。 新月という気血が欠けていく頃に、夜遅くまで議論して消耗してしまったことや、ハードだった1週間で今日は立ちくらみがするくらいへろへろしていた。 しかし、昼過ぎにようやく家を出て、晴れた春の山を目

          4月6日 

          家に帰って夕飯を食べていたら思い切り疲れがやってきて、タンちゃんを抱えながら机でうとうとしていてハッと目が覚めた。 昨日は久しぶりに人と飲んだり話したりして、お花見をしたのがたのしくて、興奮して朝方まで脳が起きているような浅い眠りで眠れなかった。 しかし心は、一昨日よりも元気で、たのしいと感じることの効用に驚いている。 私はこんなに素敵なひとたちがたくさん家に来てくれてうれしいと皆に言ったけれど、声をかけて遠くの町まで来てくれるというのはTくんがすごいのだと思う。 そ

          9月20日 like a mud

          今日は朝からずっと眠い。目を瞑ったら泥のように溶けてしまいそう。 昨日それでも23時には寝て、朝も6時ごろに目が覚めた。しかし、日中の異常な眠け。 むかし、好きだったものといま好きなものが表層的には真逆だとしても、やはり関係ないということはない。 未来派のように、速いものを嗜好していた時期もあり、いまは自分の身体が速さを苦手としながら、 そして、パフォーマンスの起源がここにあったことに何か繋がるものを感じている。

          9月20日 like a mud

          New Body Journal

          New Body Journalというタイトルで、あたらしく文章を書いてみようと思う。これまでは私的な感覚について書くことにとどまっていたものを、こちらではもう少し外側の世界との関係に敷衍してみることにした。 New Body(あたらしい身体)というのは、ここ数年来感じていることで、人は常にあたらしい身体を獲得しつづけているという実感、そして、そのことばのもつ開かれていくイメージから決めた。 以前は、何か身体には完全な状態があり、(健康といわれるようなもの)けがをしたり、

          New Body Journal

          9月19日 vulnerability

          まだ暑い日が続く。季節の変わり目に風邪をひいて、自己管理ができていないことを反省した。治ったとおもえば生理がきて、体力はなかなか戻らないなか気持ちは元気にやっている。 この秋への変わり目に、ほの甘い風を半袖からでる腕に受けると、なんだかフェミニンな気持ちになるなあと昔から思っていた。 私にとってフェミニンな気持ちになるというのは、無花果を食べたくなるとか、あたらしい服が欲しくなるとか、髪を切りたくなるとかそういうことであり、生理前の気持ちにも少し似ている。 以類補類とい

          9月19日 vulnerability

          9月7日 風はどこから吹いている?

          風はどこから吹いている?どうして吹く?といった子どものような疑問をgoogleに投げかけた。気圧の差、気圧が高い方から気圧が低い方へと空気は移動しようとする。その移動が風となって現れている。 そういえば、日本のポップスにも、風になりたい、や風になって、と言った歌詞がある。風を志向するのは、人間の本質が風のようなものだからで、この物質的な限界から解き放たれて、そこに戻りたいということなのだろうか。それこそ、生まれた時から死を志向するのが人のような気がしてくる。 何もないよう

          9月7日 風はどこから吹いている?

          9月5日 風が身体をひらく

          朝、いつもより1時間早く家を出ると、いつもの道に陰が多くて涼しく歩きやすい。風が日毎に秋めいてきて、肌に触れるたびに、身体が秋に向かって開かれていく感じがする。 どこかで、坂本龍一さんが昔、新宿で土方巽さんとすれ違った時、大げさでなく〝風〟のようだったと言っていたというのを見かけた。 かたちのない、空っぽで、風が通り抜けるような身体になっていくイメージ。 肌が触れなくても、だれかの身体を開くような存在。 いろんなことを考えてしまう頭から、気づいたときになるべく全てを取

          9月5日 風が身体をひらく

          8月31日《porous?》

          大野一雄が国際デビューを果たしたのは72歳のとき。その後、103歳で亡くなるまで踊り続けたという。この事実は、韓国の現代舞踊家ホン・シンジャ著「自由へのスパイラルダンス」で知り、私を勇気づけた。 今年の8月半ば、池田扶美代さんの3日間のワークショップに参加した。前半はテクニッククラス、後半は最終日のショーイングに向けて作品を作っていく。3日間と発表を終えて、私の踊りに対する気持ちが変化した。 コンテンポラリーダンスを習い始めた時、はじめはただ、自分の身体を感じるのがたのし

          8月31日《porous?》

          8月29日《空白が多くのものを引きだす》

          今朝は、英語が身体に乗ってくる日だった。今日の英会話の先生が急かしたり結論を急ぐことをせず、私が意見を述べるのに十分な時間をくださったのもよかったのだと思う。 何か表層以下のものを引き出したいとき、十分な空間というのが必要だ。 yieldというボディワークを受けた時にも同じことを感じた。目を瞑りベッドに横たわっている私は、実感としてはほとんど何もされていない。たまにどう感じるか、声掛けをされる。ただ横たわっているだけなのに、なぜか頭の中が整理され、身体が自立的に回復してい

          8月29日《空白が多くのものを引きだす》

          8月28日《言葉とある》

          慌ただしい夏が過ぎていき、もう8月が終わる。またも1ヶ月空いてしまった。 言葉から少し距離をとりたかった。 インターネットや知らない人の会話、街中の広告など、避けきれない日々の生活に溢れる様々な言葉に私はとても疲れていた。説明的で、意味がありそうで、私が正しい、といわんばかりの言葉。 言葉のない音楽、動物、自然の流れに身体を委ねるのは心地よく、本当はもうずっとそうしていたい。 少し後ろ向きの話になってしまった。しかし、これだけ言葉に対して敏感になるのは、反対の意味でも

          8月28日《言葉とある》

          8月3日《流れを感じながら働く》

          『Canto A Lo Divino』という南米チリの農民のあいだで奏で継がれる「カント」という共同音楽のフィールドレコーディングを集めたコンピレーションを聴いていた。南米のメロディーは何故か身体になじむ。 この「カント」は日常生活が詩の中心になっているそうだ。朝、聴きながら好きに踊っていたら、楽しいけれどいまいち乗り切れない。しかし、日中にたくさんの皿洗いをしながら、思い出して口ずさんだら身体の動きと音楽のgrooveが合って遠心力のような力が生まれる感じがした。それはこ

          8月3日《流れを感じながら働く》

          7月28日

          《ままならない日本語も贅沢な愉しみ》 定期的に言葉に対して諦念のようなものを感じる。それは自分の言葉の幼さから来るのだと思う。いろいろなものがぼろぼろとこぼれ落ちて粗い。流麗な文章に出会ったときも、私には到底届かない世界だと思ってしまう。そして、美しさを身体で感じた時もまた、これを言葉にすることの困難さに背中を向けたくなる。 これは日記を書いていなかった言い訳。 そう思うと、言語を扱うレベルとしては、いま勉強している英語と母国語である日本語はさして変わらないようにも思え