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9月20日 like a mud
今日は朝からずっと眠い。目を瞑ったら泥のように溶けてしまいそう。
昨日それでも23時には寝て、朝も6時ごろに目が覚めた。しかし、日中の異常な眠け。
むかし、好きだったものといま好きなものが表層的には真逆だとしても、やはり関係ないということはない。
未来派のように、速いものを嗜好していた時期もあり、いまは自分の身体が速さを苦手としながら、
そして、パフォーマンスの起源がここにあったことに何か繋
New Body Journal
New Body Journalというタイトルで、あたらしく文章を書いてみようと思う。これまでは私的な感覚について書くことにとどまっていたものを、こちらではもう少し外側の世界との関係に敷衍してみることにした。
New Body(あたらしい身体)というのは、ここ数年来感じていることで、人は常にあたらしい身体を獲得しつづけているという実感、そして、そのことばのもつ開かれていくイメージから決めた。
9月19日 vulnerability
まだ暑い日が続く。季節の変わり目に風邪をひいて、自己管理ができていないことを反省した。治ったとおもえば生理がきて、体力はなかなか戻らないなか気持ちは元気にやっている。
この秋への変わり目に、ほの甘い風を半袖からでる腕に受けると、なんだかフェミニンな気持ちになるなあと昔から思っていた。
私にとってフェミニンな気持ちになるというのは、無花果を食べたくなるとか、あたらしい服が欲しくなるとか、髪を切り
9月7日 風はどこから吹いている?
風はどこから吹いている?どうして吹く?といった子どものような疑問をgoogleに投げかけた。気圧の差、気圧が高い方から気圧が低い方へと空気は移動しようとする。その移動が風となって現れている。
そういえば、日本のポップスにも、風になりたい、や風になって、と言った歌詞がある。風を志向するのは、人間の本質が風のようなものだからで、この物質的な限界から解き放たれて、そこに戻りたいということなのだろうか。
9月5日 風が身体をひらく
朝、いつもより1時間早く家を出ると、いつもの道に陰が多くて涼しく歩きやすい。風が日毎に秋めいてきて、肌に触れるたびに、身体が秋に向かって開かれていく感じがする。
どこかで、坂本龍一さんが昔、新宿で土方巽さんとすれ違った時、大げさでなく〝風〟のようだったと言っていたというのを見かけた。
かたちのない、空っぽで、風が通り抜けるような身体になっていくイメージ。
肌が触れなくても、だれかの身体を開く
8月3日《流れを感じながら働く》
『Canto A Lo Divino』という南米チリの農民のあいだで奏で継がれる「カント」という共同音楽のフィールドレコーディングを集めたコンピレーションを聴いていた。南米のメロディーは何故か身体になじむ。
この「カント」は日常生活が詩の中心になっているそうだ。朝、聴きながら好きに踊っていたら、楽しいけれどいまいち乗り切れない。しかし、日中にたくさんの皿洗いをしながら、思い出して口ずさんだら身体