戸高

ここは、僕が探して拾ってきたことばを並べる、展示場です。

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マガジン

  • 雑想断想

    思ったことを、体裁より内容を重視して、書く。

  • わたしの少しのことば

    『わたしの少しのことば』とは、わたしのこころに浮かんできたことばを、そのまま並べてゆくというこころみです。

  • 偶然みつけたことばたち

    『偶然みつけたことば』とは、とくに脈絡なく、わたしが偶然に出会った素敵なことばを掲示するという、個人的なこころみです。

  • 太宰治全集をひらく

    『太宰治全集をひらく』とは、筑摩書房から出ている太宰治全集のことばをすこしずつなぞっていき、素敵なことばを探し集めるという、わたしの個人的なこころみです。今回は、第一巻『晩年』『葉』です。

最近の記事

窓を同じくした者達よ④

また年月が流れ、同窓会をすることになった。過ぎ去った時間で、みんなは移動し、だれかと繋がり、同窓会に出席する人の数は1度目の同窓会には程遠い。それでも、1度目の同窓会で辛酸を舐めたにも関わらず、わたしはまた同窓会に出席することにした。幹事の役だって、わたしがいなければだれかがやる程度のことだ。わたしが出席するのはただ、自分がいま立っているその下に蓄積されたものをきちんと受け止めたかったからだ。 あのふたりは相変わらずいっしょだったし立食パーティー中もしばしばなにか言い合ってい

    • 窓を同じくした者達よ③

      同窓会で覚えているやりとりがふたつほどある。 ひとつめは、高校のころあまり話したことのなかったひとだった。わたしの隣に座っているひとに話に来てついでにわたしに話しかけていった。高校のころわたしと話して、わたしが政治に関心があるという話をしたらしく、「政治家にかかわることとかしてないの?」と訊かれた。わたしは昔の自分を思い出し、照れ恥ずかしくて冗談でごまかそうとした。「いやあ、政治家はだめだよ。やっぱり革命を起こすしかないとおもってね!(握りこぶし)」。ぜんっぜん伝わらなくて、

      • 窓を同じくした者達よ②

        (つづき)さいごの前話、これがおそらくわたしの直接的な致命傷だ。幹事としてわたしが任された仕事は、この学年での同窓会にも資金を援助してくれている学校全体の同窓会への会費納入をお願いするビラを配ること。宴会場は2階で、エスカレータを上がったところに受付があり、そのエスカレータの上のところで、学校全体の同窓会のおじいちゃん、おばあちゃんから託されたビラをひたすらに渡してゆくというのがわたしが実際にすることだった。 雰囲気も髪型も、実際の顔すらも変わってしまい、さらにはもともと全員

        • 窓を同じくした者達よ①

          翌朝、白米と目玉焼き、それに味噌汁が朝御飯だった。ながく求めつつ自分では用意するに渋るような和風の朝食は、実家では呆気なくも可能になってしまう。わたしは高校の同窓会のため、昨日郷里へと戻ったのだった。 昨晩、両親がいまや味噌汁のもととなった鍋をつついているあいだ、私は不機嫌に中華だか洋食だかわからない料理をある老舗ホテルの宴会場で、状況にふさわしくない勢いでガツガツと喉の奥に詰め込んでいた。料理はおいしかった気もするし、美味しくなかった気もする。ただ値段に納得がいっていないだ

        窓を同じくした者達よ④

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        記事

          エコーチェンバー - Echo Chamber

          概: エコーチェンバーとは、みずからの意見に同調するものばかりに囲まれた状況で、意見がしだいに先鋭化していく現象である(、とわたしは理解しているのだが)。 これまで: エコーチェンバーとは、専ら危険性を孕み警戒されるべき現象であると私は考えていた。 (*世間一般の認識も、おおむねそのようなものだと了解している) このごろ: エコーチェンバーの、ポジティヴなヴァージョン、有意味な場合もあるのではないか? つまり: わたしがなにか「やってみたい」「こういうものが素敵だ」とお

          エコーチェンバー - Echo Chamber

          書くこと、歌うこと、描くこと。

          いまわたしのパソコンのなかではビル・エヴァンスが音を奏でているし、部屋に積まれた書籍にはそれぞれの著者が紡ぎ出した言葉の織物が丁寧に畳み込まれている。 このように時を超え、その表現者自身の肉体が亡びても遺り続けるものは極めて稀な例であろうが、しかしその直ちに解る事実は同時に、そのような遺された表現の外側には”遺されない表現”が無限に広がり存在していることもまた、わたしたちは無意識的であれ知っているということを意味していると言える。 自身の周りを顧みても、同人誌を発行したり、

          書くこと、歌うこと、描くこと。

          墜落

          ーはじめから飛べないとわかっていたらどれほどよかっただろう、と燕の子は考えていた。 ペンギンの子は、はじめから飛べないとわかっていたから泳ぎの練習をしたのだ。 ダチョウの子は、はじめから飛べないとわかっていたから走りの練習をしたのだ。 わたしは、自分は飛べるとおもっていたし、みんなそう思っていた。 飛べないことに気が付いたとき、すべては手遅れだった。 まわりが次々に飛び立つなかでわたしは、なんとか飛ぶ努力を重ねる。 まわりを根拠に、自分に潜む可能性を信じてきた。 現実と

          無題

          「いい奴は死んだ奴らさ」 なんども観た映画の一節をいま思い出す。 生き続けているひとたちが悪いわけではない。 ただ、「死んだ奴ら」は人一倍に誠実だったのだ。 彼らは世界の謎を解明しようとしていた。 わたしはいつまでも逃げて、逃げて、うずくまり、戦った者たちを裏切り続けている。

          雑想断想‐高まる想いを

          高まるのは高知への恋慕の情か、あるいは単に旅先での高揚感への渇望か。 わたしほど単純な人間はそうはいないだろう。 不安に溢れ、とても怖くなってから、すこし。 いまではもはや夏を征服するような気概まで生じてきて、まさに『なんでも見てやろう』という心持になってきた。 何者にもなれなくてよい、いまを素晴らしい日々として生きてゆこう。 さて、そのまえに、夏という自由をまえに、ひとまずいまやらねばならないことから片付けようではないか。 自由とはいつでも、なにかを片付けたあとに生

          雑想断想‐高まる想いを

          雑想断想‐自由との闘い、ある夏

          自然に帰されようとしている、魚や鳥や動物が、名残惜しそうにそれまで世話をしていたひとのもとを離れようとしないという映像を、いくつかみたことがある。いまわたしは、彼らの気持ちが分かったような気がした。彼らの気持ちは惜別などではなく、恐怖と不安だったのである。 *** これからの夏のあいだに、自由に処分してよいたくさんの時間をわたしは持っている。 特段のやらなくてはならないことというものはなく、自由な可処分時間が、ただ、ひろくひろく広がっているのである。 高知に行きたい、と

          雑想断想‐自由との闘い、ある夏

          雑想断想‐内側を覗き、外側をふりかえる

          理不尽とはなにかー健康的な食事の方が高くつくこと。 スーパーで野菜を手に取ったときだったか、あるいはインターネットで健康的な食事を提供するお店をみたときだっただろうか。 『健康的な食事の方が高くつくとは、理不尽だな』と思ったのである。 しかし、これはもう一度考えれば、オカシな話なのだ。 健康的な食事とは、一般的には自分を生き永らえさせる食事なのだから、そちらの方が高くつくのは自然なことだろう。 家電だって、なんだって、長く使える方が高くつく。 わたしの考えの背景には、『

          雑想断想‐内側を覗き、外側をふりかえる

          雑想断想‐開き直り

          自転車に乗りながらスマホを触る倫理学者を、二度見たことがある。 しかもその二度は、互いに異なる倫理学者だった。さらに、一度目に見た倫理学者は、イヤホンも付けていた。 複数の倫理学者が自転車でうろついているとは、特異な町だな、とおもわれるかもしれないが、まあ事実そういう土地なのである。 倫理学者が倫理に反するような行為をしていたということなのだが、それでよいとおもう。 淫乱な聖職者だっているのだろう。 第一、倫理に疑問がないひとは倫理学をしないのだし、微塵も心に迷いのないひと

          雑想断想‐開き直り

          わたしの少しのことば‐ちょっとした所感

          『わたしの少しのことば』とは、わたしのこころに浮かんできたことばを、そのまま並べてゆくというこころみです。 雨がとても激しく降っている。 雨が外の木々の葉を打つ音が聴こえる。 カーテンの隙間から外を覗くと、風も吹いていて木々の葉が揺らされているのだと分かった。 何も考えずに昨日洗濯したシーツは今もベランダに吊るされていて、きっとこの風雨でまた湿ってしまったから太陽を待つほかないだろう。 <やれやれ>と思った。 あらためて外を覗いてみると、そしてよく観察してみると、台風よ

          わたしの少しのことば‐ちょっとした所感

          雑想断想‐『全日本「すみませんをありがとうに置き換えてゆこう」の会』

          この会の趣旨-すなわち、『恐縮を純粋なる感謝へと置換すること』-は、本来全世界的な意義を持っており、『国際「すみませんをありがとうに置き換えてゆこう」の会』の建設が待望そして構想されておるところであるが、目下の情勢が世界中の国々と比較して一層厳しいこの日本に、まずは当会が組織された、というところである。 ひとの善意に応える言葉は、『すみません』ではない。『ありがとう』である。 強い思いを胸に、当会は今日結成された。 会長は、わたし。会員現在一名。

          雑想断想‐『全日本「すみませんをありがとうに置き換えてゆこう」の会』

          雑想断想‐『飄々権闘争』

          こんにち現下、我らの日本においては、飄々権が歴然と侵害されている。 『飄々権』とは当然、『飄々と生きる権利』のことである。 この重大な権利への侵害は、特に社会の中で負うものの多い、インテリゲンチア階級、エリート階級において一層顕著である。 彼らが生きる上で通ってきたもの、その人生を経る上でいつの間にか纏ってしまったもの、そういったものの為に、彼らはいつの間にか誠実さを求められるようになってしまった。 いい加減なことを言おうものならば、それは、『不誠実』であり『無責任』であ

          雑想断想‐『飄々権闘争』

          雑想断想‐雨の日に

          どうやって生きたらいいのかわからないけれど、雨の日に傘をさして行き交うひとたちをカフェの2階から、単にぼーっと眺めたいと思った。 そして、ゆったりとした洋楽がイヤホンから流れていて、わたしはなんだか涙が出そうになった。 はじめの部分はどんよりとした外の様子を見て事実おもったことであり、ふたつめの部分はそのときのわたしの事実である。 こうした事実のことばから始めて、徒然になにかを話そうとおもう。 どうしてわたしは、傘をさして行き交う人たちを単にぼーっと眺めたいのだろう。

          雑想断想‐雨の日に