窓を同じくした者達よ①

翌朝、白米と目玉焼き、それに味噌汁が朝御飯だった。ながく求めつつ自分では用意するに渋るような和風の朝食は、実家では呆気なくも可能になってしまう。わたしは高校の同窓会のため、昨日郷里へと戻ったのだった。
昨晩、両親がいまや味噌汁のもととなった鍋をつついているあいだ、私は不機嫌に中華だか洋食だかわからない料理をある老舗ホテルの宴会場で、状況にふさわしくない勢いでガツガツと喉の奥に詰め込んでいた。料理はおいしかった気もするし、美味しくなかった気もする。ただ値段に納得がいっていないだけかもしれない。

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2時間半の会のあいだで、すくなくとも4回はトイレに行った。ほとんど歳の変わらないような、すこしサイズが合っていないスーツ姿の給仕係に頼めば飲み物を貰える状況だったから、そして特に話すこともなく盛り上がることもない会話に暇をもてあました口を慰めるためだったのか、つぎつぎにコップを氷だけにしていたからだろう。でも、単にずっとそこに座っていることが苦痛だったから、かもしれない。200人近くいる会場の一番奥のあたりを指定席にされた私は、会場の外にあるトイレへ行く度に卓のあいだを縫って歩いた。どこにいるのかを知っておきたいひとが何人かいたからすこしキョロキョロもしたけれど、ほとんどは自分の靴をみながら辛そうに歩いた。場所を把握したその数人とは、ついぞ一言も話さなかった。

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つまりわたしにとっては、あんまり楽しい会とはならなかったのである。とにかくわたしは、ずっとなにかしらの不安や苛立ちというような感情で胸がぐちゃぐちゃになっていた。
ある事態をひとが思い出すとき、その事態に至るまでの過程を発展的に捉えがちになる。出来事に出来事が重なってゆき、生じた状況は連続性を得て事態に至る。
ふりかえれば、わたしのこうした胸のぐちゃぐちゃにも前話を読み込むことはできそうだ。

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郷里は、某大都市の郊外地で、200名が集う同窓会は自然その某大都市でやることとなっていた。同窓会の幹事を務めるわたしは、一足はやく会場となるホテルへと着くべく大都市の中心部に降り立った。普段わたしが生活している街は、この大都市よりひとまわりもふたまわりもコンパクトな都市の端っこ比較的落ち着いた地域で、そのいくらかコンパクトな都市の中心部を時たま訪れるにつけてもあまりのひとの多さに嫌な気持ちがするのに、その老舗ホテルはJRと私鉄を結ぶ道の途上にあって、師走の晦日を前に、途中の道はとんでもない人の多さだった。このときからすでにわたしはムカムカしていたし、「年の瀬になにをか出歩くんだ!」と心中唾棄しながらタラタラと歩く人々を追い抜かしていた。これがわたしの前話のひとつめだ。

ホテルで幹事たちはホテルマンと直前打ち合わせをした。ホテルマンの言葉遣いがやたらに丁寧でなんだか心が落ち着かなかった。普段はこうした品のある所作には憧れすら抱いているわたしなのに、だ。わたしは結局根っからの逆張り人間で、与えられるものすべてに反抗心を燃やしてしまうのだった。これがわたしの前話のふたつめだ。
付け加えれば、「ふつうの服で来てください」という案内をいっしょに決めて、「ふつうの服」を写真もいっしょに教えてくれたほかの幹事たちがスーツを着て来ていたのは「はにゃ?」だった。わたしは「ふつうの服」だった。自分の服装それ自体はあんまり気にしていないが。

さいごの前話、これがおそらくわたしの直接的な致命傷だ。(①終、続く)

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