雑想断想‐高まる想いを
高まるのは高知への恋慕の情か、あるいは単に旅先での高揚感への渇望か。
わたしほど単純な人間はそうはいないだろう。
不安に溢れ、とても怖くなってから、すこし。
いまではもはや夏を征服するような気概まで生じてきて、まさに『なんでも見てやろう』という心持になってきた。
何者にもなれなくてよい、いまを素晴らしい日々として生きてゆこう。
さて、そのまえに、夏という自由をまえに、ひとまずいまやらねばならないことから片付けようではないか。
自由とはいつでも、なにかを片付けたあとに生まれる小休止空間であるのだから。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?