雑想断想‐開き直り

自転車に乗りながらスマホを触る倫理学者を、二度見たことがある。
しかもその二度は、互いに異なる倫理学者だった。さらに、一度目に見た倫理学者は、イヤホンも付けていた。
複数の倫理学者が自転車でうろついているとは、特異な町だな、とおもわれるかもしれないが、まあ事実そういう土地なのである。

倫理学者が倫理に反するような行為をしていたということなのだが、それでよいとおもう。
淫乱な聖職者だっているのだろう。
第一、倫理に疑問がないひとは倫理学をしないのだし、微塵も心に迷いのないひとは宗教者にはならないのである。
彼らに大切なことは、問い続けじぶんや世界をみなおし続けることである。

一般的な理屈に対して、屁理屈をつけて開き直ること。

じぶんがなにかをしようというときに、じぶんにその資格があるかと自問し悩んだことはありますか?
一度きりの人生を、主体的に選び切り拓くには、こうした開き直りの正当化が役に立つのではないでしょうか。

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