窓を同じくした者達よ③

同窓会で覚えているやりとりがふたつほどある。
ひとつめは、高校のころあまり話したことのなかったひとだった。わたしの隣に座っているひとに話に来てついでにわたしに話しかけていった。高校のころわたしと話して、わたしが政治に関心があるという話をしたらしく、「政治家にかかわることとかしてないの?」と訊かれた。わたしは昔の自分を思い出し、照れ恥ずかしくて冗談でごまかそうとした。「いやあ、政治家はだめだよ。やっぱり革命を起こすしかないとおもってね!(握りこぶし)」。ぜんっぜん伝わらなくて、周囲のひとが全員ポカンとなってしまったので、急いで「冗談だよ」と付け加えた。こんなものは日本全体では内輪も内輪、内輪もいいところのネタで、スベるに決まっている。やっぱりわたしは、「思想」に毒されてしまった。あるいは、内輪ネタをぶち込むというクダラないミスを犯してしまった。
もうひとつは、高校のころそれなりに関わっていたひとだった。同窓会でしゃべった数人のうちのひとりで、いちばん話した相手かもしれない。「彼女はいるの?」といわれて、まあね、といったら「どんなひと?芸能人でいうと誰に似てる?」とか言われ、よくわからないムズムズした想いで「わからいけど、頭いいよ」と答えた。「ふうん、いいなあ」ってしみじみしてた。なにそれ。

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西洋式のウエイターたちとホテルの内装に紛れていたけど、テーブルも器も西洋式だったとおもうけれど、メニュー自体を考えてみればあれはやっぱり中華料理だったような気がする。でもコースの最後はイチゴのケーキとポットからカップに注がれたコーヒーだったし、なんだかごっちゃまぜの感じだ。
ごちゃごちゃでなにがなんだかわからない、それはみんなもそうだった。西洋式のスーツで、髪型もビシっと固めていて、でもそれを纏った中身は紛れもない日本の若い人たちでわたしと同じ校舎で同じ授業を受けていたみんなだった。
飾りたてた装いにつつまれたみんなが西洋式の食器に盛られた中華料理のようなピンボケの存在ならば、みんなをみていつもの逆張り精神で西洋風に唾棄し反動であわや右翼愛国青年に戻りそうになった自分はそんな料理にもなじめないイチゴケーキみたいなものだった。

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わたしは紛れもなく彼らと窓を同じくしたし、彼らと、たとえば某・彦や某・嬢と共有する過去のなにか、高校時代の記憶などは、わたしたちがどれだけこの先いろいろに道を分岐させ隔たった生を生きようとも、変わらない。それらを否定することはできない。
わたしは同窓会のたび、某・彦と某・嬢に高校時代の自分を投げ逃げされるのかもしれない。
人生はひとに、これまでの出来事の蓄積のうえに立つことを強く要求する。(③終了、つづく)

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