ゴードン・マッタ=クラーク展

国立近代美術館にてゴードン・マッタ=クラーク展。大評判通りの刺激をそのまま受けていいところと、私には馴染めない疑問もあった。でもその批判的な「差異」ですら、大きな文脈での理解には「カウンター」として機能する。大学では建築を学び、そしてパリに留学してフランス文学を学んだGMC。60年代の「ランド・アート -Earthworks-」を継承しつつも、脱構築した彼のアート表現は「建てない建築家」の詩だった。建築や都市デザインの文脈では彼の「アナ―キテクチャ」が、赤瀬川源平の「トマソン」や関連する考現学に与えた影響を夢想した。クズや破壊すらも建築になる。

私がGMCに「新しさ」を見なかったのは、彼の70年代の思索や表現を経て、あたりまえの試みになった現代建築や現代アートのオルタナティヴ・スペースやコミュニティー・デザインを21世紀以降ずっと見て来たし、私自身も自分なりに考え、実践し続けてきたからかもしれない。オールドスクールのオリジンに出会った気分である。「FOOD」というアーティスト・レストランをソーホーに開いたプロジェクトは、近年の地域アートやソーシャル・エンゲージド・アートの潮流、文脈からはどのように評価され、定義づけられているのだろうか?部分的には私の実践からも遠くないゆえに、「私」が問われている気にもなる。ストリートを舞台にした「アナ―キテクチャ」に共感しつつも、スラム・ツーリズムという概念も無かった時代に、現代では境界を探るための「覗き見」はどこまで許されるのか、と悶々とする。ランドスケープ・デザインにおける公園観察「マンウォッチング」の際の葛藤を思い出す。

そして、ひねくれた田舎者には、都市生活者のためのアートにはダイレクトには乗れない節もある。ローカリズムがGMCから得る響きは何なのか!GMCと朝まで語りあう?こいつ、酒呑んだら絶対におもしろいし、面倒くさいかもだけど、想像力豊かに夢を語らい、自然食をふるまってくれるようなイイやつだったかもしれない。

彼の死後の1982年に「割れ窓理論」の論文が新保守主義の犯罪環境学者から発表された。彼の存命中である1969年や1972年には基になる実験も行われた。GMCの「ウインドウ・ブロウアウト」はそうした背景へのカウンター。ラディカルで政治的な人だった。おらが町の「箱庭」の行為は世界の「都市」と繋がっていた。以下の参考文献はおススメ。これを私は震災前に読んでいたことにハッと気づく。

結局のところ「パブリック」とは何か?という問いかけの作法が、ラディカルで知的でストリートに実直だったからカッコよかった。自己決定権の自由がベースにあり、「公共」を社会に提起し続けたアクティビストがゴードン・マッタ=クラークだ。

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