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#ショートショート

小松菜

小松菜

麦茶を飲もうと冷蔵庫を開けたら小松菜が入っていた。
取り出してテーブルに置く。椅子に座って腕組みしたまま小松菜を見つめる。小松菜は、ぐるっとビニールに包まれたスーパーなんかで売っている普通のヤツだ。
わたしに買った覚えはない。そしてわたしはひとり暮らしだ。
小松菜が自分で冷蔵庫に入るわけはあるまい。だれが?わたしが夢遊病で?

そうだ、値札。
値札を見ればなにかわかるはず。小松菜を手に取り、前

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やさしい嘘

ぼくは濡れた頭にバスタオルを巻いたまま、パソコンの前に座った。時間ピッタリだ。パソコンから呼び出し音が鳴った。マウスをワンクリックするとテレビ電話が立ち上がる。いつもの長い髪、変わらない妻の柔らかい笑顔が画面に表示された。
「あなた、元気?」
画面に向かって、ぼくは無理に笑顔を作った。
「今日もなんとか生きてるよ」
少し嫌味っぽくなってしまったか。画面の先の妻の表情が曇ったような気がした。

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蜥蜴

わたしたちは、ソファーにふたりならんで腰を下ろしていた。付き合い始めて約ひと月。この部屋に来たのは何回目だろう。部屋が整理整頓されすぎているせいだろうか、わたしはまだ慣れなかった。白で統一された部屋には観葉植物の緑が映えている。わたしは、隣に座っている彼の肩にもたれながら、目の前の大画面を見つめる。彼の指がわたしのウェーブした髪をもてあそんでいた。
わたしの目は、目の前の画面に惹きつけられていた。

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理想の暮らし

ベッドの枕元の目覚ましが鳴った。
まだ早い時間だったが、休みの日こそ有意義に使いたい。となりでいびきをかいている夫を置いてベッドから出た。
洗面所で顔を洗い、パジャマから部屋着に着替え、化粧する。今日は休日、ウイークデーと違う、薄化粧に見える化粧をしなくちゃ。
朝食はフレンチトーストとコーヒー。お気に入りのダイニングテーブルにはクリーニングしたてのテーブルクロスがかかり、その上に昨日生けた花が飾っ

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英語の上達法

帰りの通学電車は空いていた。イスに座ってスマホをながめていると母からメッセージが届いた。帰るついでに、駅のそばのパン屋で食パンを買ってきてほしいらしい。
『了解です』
ぼくは送信ボタンを押した。

電車が駅に着いた。電車を降り、駅からパン屋に向かって歩いていると、後ろから声をかけられた。
「ハーイ!」
ぼくが振り向くとそこには金髪の外人の女の子がいた。白い肌に青い瞳の彼女は、同じ年代くらいだろう

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残り香

襖の向こうの猫の鳴き声で目が覚めた。枕元に手を伸ばし、鳴る前に目覚まし時計を止める。
下宿の大家さんの飼い猫は、毎朝目覚ましが鳴る直前に鳴く。まるで僕が起きる時間が分かっているようだ。
今日は週末で大学は休みだがデートの予定だった。布団から這い出しスエットのまま襖を開ける。鳴き声で起こしてくれた黒猫が、きちんとお座りしてこちらを見上げていた。長い尻尾がゆっくりと左右に揺れている。
黒猫の後をついて

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想い残り

チャイムが鳴った。2階にいるわたしより、下にいた母が先に出た。
わたしもすぐに階段を降りる。母の声が聞こえてきた。
「あら、お久しぶりねえ。元気にしてたかしら。結婚するんですってね。てっきりあなたは、うちの子をもらってくれるんだと思ってたわ」
わたしは、廊下を走り割って入った。
「お母さん!変なこと言わないで!もともとただの幼馴染なんだよ!」
自分の顔が赤くなっているのがわかる。
彼はいつものよう

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ちょっとした失敗

ある晴れた日、大観衆と軍隊が見守るなか、宇宙船らしき飛行物体が地響きを立てて着陸した。
地響きがおさまった。固唾をのんで見守る群衆たち。
ひとりの兵士が手をあげた。彼はミサイルの発射装置に指をかけている。
「司令官、発射の許可をください」
司令官はクビを横に振る。
「ダメだ。まだ敵と決まったわけではない」
にらみ合いが続いた。
「もうダメだ」
さっきの兵士が耐えきれずボタンを押した。ミサイルが白い

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画面のむこうのあなた

カーテンで閉めきった部屋の窓に外に向けて望遠レンズ付きのカメラを固定していた。そのデジタルカメラを立ち上げるとファインダー代わりの液晶画面が立ち上がる。連動してぼくの横のデスクのパソコンにも同じ映像が起動し録画をはじめる。そこにはぼくと同世代の女の子の、ひとり暮らしの部屋が映し出されていた。
大好きな彼女を観察するのが、ぼくの朝と夜の日課だった。もっとも、彼女はぼくのことを知らないだろうが。
カメ

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閉じた輪

仕事場でパソコンとにらめっこしていると、ケータイがけたたましい音を立てた。
ケータイが鳴っているのはぼくだけじゃない。そのフロアにいる全員のケータイが鳴っていた。まるで音の洪水のようだ。
「ミサイルが来てる!」
男の叫び声が聞こえた。
ぼくはケータイの画面に目を走らせた。
画面には、レーダーが日本全土に降りそそぐミサイルを感知して警報を発しているとだけ書いてあった。
逃げなければ。あと時間はどれ

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旋律

ぼくは、道路横の堤防の上に腰をかけ、海と空を眺めていた。海は群青色で、青空は初夏独特のにじむような色をしていた。ところどころに、まゆ玉のような雲が浮かんでいる。雲のあいだを漂うように、とりどりの音符が浮かんでいるのが見えた。ぼくはタバコを取り出し口に咥えると、ライターで火をつけた。ゆっくりとひと息吸いこんだあと、煙を音符に向けて吹きかける。音符は弾け、ぼくの、聞こえないはずの右耳にだけメロディーを

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お隣りの親子(後編)

ゆっくりと外が暗くなり夜が来た。お隣りさんの彼女は、お昼に引き続き夕食も作ってくれた。わたしは、一旦食卓には座ったものの食べる気にはなれなかった。彼女の娘に誘われてテレビゲームもしてみた。その50年後のテレビゲームは、壁一面にゲーム画面が映し出されている。映像は素晴らしく臨場感たっぷりだったが、イライラして集中できなかった。
わたしは母子に寝ると告げた。それを聞いた娘は残念そうな顔をしていた。

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流行りの歌

ため息をつき僕はコーヒーカップを口に運んだ。この店もBGMはこの曲か。この女性歌手の自作曲は、今大ヒットしている。街中どこにいても聞こえてくるような気がする。街がこの曲に侵食されてしまっているようだ。
もっともそんな風に考えるの少数派なのかもしれない。そうでなければこの曲がこんなに流行ってはいないだろう。
作曲家の僕だから、この曲が神がかっていることは分かる。
今までにない曲だった。聞くと体が浮遊

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カエルのいる森

背中から声を掛けられ振り返った。
うちの家の裏にある庭の先は、森とつながっている。声はそこから聞こえたようだ。僕は土遊びの手を止めた。目をこらして見たが森にも庭にも何も見えない。あきらめて家に入ろうとした。
「ここだよ」
はっきり聞こえた。声を探して目を動かす。庭の先でアマガエルが跳んだのが目の端に見えた。まさか。
僕はアマガエルを見た。カエルはこっちに跳びはねて近づいてきた。
「そうさ、やっと気

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