想い残り

チャイムが鳴った。2階にいるわたしより、下にいた母が先に出た。
わたしもすぐに階段を降りる。母の声が聞こえてきた。
「あら、お久しぶりねえ。元気にしてたかしら。結婚するんですってね。てっきりあなたは、うちの子をもらってくれるんだと思ってたわ」
わたしは、廊下を走り割って入った。
「お母さん!変なこと言わないで!もともとただの幼馴染なんだよ!」
自分の顔が赤くなっているのがわかる。
彼はいつものように、はにかんだように笑った。
「よう、いい色に焼けたな。さすがアフリカ帰り」
わたしは、アフリカに1年間フィールドワークに行っていた。大学時代に専攻していた民族音楽に関するものだ。
それは実り多き期間だった。ただひとつ、日本にいる彼のことを除いて。

わたしは部屋で、自分のベッドの上に座った彼にアフリカでのできごとを話していた。パソコンからは、うっすらとフィールドワークで録音してきた現地の民族音楽が流れている。枝で丸太を叩いたビートに、金属の棒を弾いたり、木をくりぬいて作った笛の音階がのる原始的な音楽だ。

わたしのフィールドワークのテーマは「民族音楽とまじない」だった。アフリカの一部の地域では現代でもまじないが信仰されている。現地では、呪いで病気にしたり、呪いを解くことで病気が治ると本気で信じられていた。
わたしは、それらと音楽がつながっているのではないかと考えていた。
検証の結果、その地方でまじないに使う踊りや音楽には、一種の催眠効果があることがわかった。

わたしが身振り手振りをまじえながら、トラブルや苦心談をおもしろおかしくはなすと、彼は顔をくしゃくしゃにして笑った。
しばらく話しているうちに彼の反応が鈍くなり、最後には返事をしなくなった。どうやら眠ってしまったようだ。わたしは音楽を止め、耳栓をはずし、座ったまま眠っている彼をそのままベッドに寝かせた。彼の耳もとに口をよせる。
「ずるいな、わたしのいない間に結婚を決めるなんて。わたしは、勝負すらさせてもらえないのね」
彼の顔を見つめ、ため息をついた。
わたしは彼のくちびるに、自分のくちびるを重ねた。視界にうつる彼の顔は、にじんでいた。

#創作
#小説
#ショートショート

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?