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読書感想  『ヤラセと情熱 水曜スペシャル「川口浩探検隊」の真実』 「テレビの魅力と凄みの再発見」

 今は、すっかりそのイメージはなくなってしまったが、かつてはテレビは「メディアの王様」で、その関係者も、まるで「社会の覇者」のように振る舞っていた人が少なくなかった。

 そして、この本のタイトルでもある『水曜スペシャル「川口浩探検隊」』は、その頃のテレビ番組でもあるので、知らない人も多くなったはずだけど、今でも「やらせ」の典型として語り継がれている。

 同時に、この番組を知っている世代は、どうしても半笑いとともに語ってしまったりもするし、自分もそうしてきてしまったのだけど、それが、どれだけ表面的な見方に過ぎなかったのかを、この本を読んで、思い知らされたような気持ちになった。

『ヤラセと情熱 水曜スペシャル「川口浩探検隊」の真実』 プチ鹿島

「川口浩探検隊」シリーズは、1978年から、1985年まで、毎週水曜日の午後7時30分から、90分間放送されていた。

 それは、俳優の川口浩が隊長として、世界の「未開の地」へ足を踏み入れ、まだ発見されていない「怪獣のような動物」や、「文明と無縁な部族」といった、正体がまだ分からない存在を見つけようとする番組だった。

 すでに、私自身は、子どもとは言えない年齢になっていたから、もし、それが本当だったらニュースになっているはず、といった知恵のようなものがあって、その番組は、本当の「冒険」ではないのは、知っているような視聴者だった。

  「未到の地」に入ろうとしている川口探検隊を写しているカメラの位置が、すでに先に「未到の地」に入ってしまっているのではないか。文明を知らないはずの部族の腕に、時計をはずさせたように、どうして、そこだけ日焼けしていない跡があるのか。何より、最後に、謎の生物の捕獲に失敗するのは、本当はいないからではないか。そんなどこまで本当か分からない、「川口浩探検隊」に関する噂だけは、よく聞いた。

 だけど、もしもその時に、小学生であれば、その「冒険」に対して、もっと真剣に、だからドキドキしながら見て、より楽しめたはずだ。自分の記憶としては、もっと子どもの頃に、空飛ぶ円盤が実在するのかどうか、といった海外の番組を、日本語吹き替えで見た時の印象と近いのだろう、と思っていた。

 ただ、いつの間にか、「川口浩探検隊」は、「やらせ」の象徴として語られるようになり、そして、このままだとキレイに忘れられるはずだった。

「川口浩探検隊」を真剣に考えたいのである。あの番組を語るなら半笑いだけで語ってはいけない。現在の空気に連なるものを築いた番組という見立てで探検することは重要な意義があるはずだ。 

 この真剣な姿勢があってこそ、著者は「川口浩探検隊」が、テレビというメディアを語るときに、これほどまでに重要な存在であったことを、改めて「発見」できたのだと思う。この著書は「テレビ史」ということを考えた時に、想像以上に貴重な資料になるはずだ。

証言

 1990年代に、特番のように放送されたことはあったようだけど、そのレギュラー放送が終了してから、30年は経つので、その関係者も、年月が経つほど、連絡を取りにくくなっていくし、記憶も薄れていくし、人によっては亡くなっていてもおかしくないほどの年月になった。

 だから、この本を読みながら、著者が、こうして、当時の関係者の方々の「証言」をきちんと聞きにいかなかったら、本当に埋もれたままで、忘れ去られるような「事実」が多かったことに気づいて、どこか怖さと、だけど、間に合ったと思えた気持ちにもなる。その時代に、番組制作に関わった人たちの、本当に貴重な「証言」が記録されている。

 例えば、正体不明の動物を探しに行く、というテーマの途中では、本物の毒蛇とも遭遇する。

「ロケの途中にガラガラヘビが道を塞いでいたら、ADはそいつを捕まえて排除しなくちゃいけない

 ロケの途中で、崖があると前もって知り、テレビ局の近くで、スタッフは5メートルの壁を使い、プロの指導も受けたことがある。

 行ったらいきなり200メートルだったんですよ 

 とにかく、ヘビが大量に必要な場面があるから、ロケの途中でヘビを見たら、捕まえていたという話もある。

「ヘビは見たらとりあえず捕まえろ」。すばらしい。毒ヘビかもしれないのにとりあえず捕まえるというのもすごい。血清は持っていかないのだろうか。
「ほとんど持っていかないです。コブラの血清を一回持っていったけど『使い方誰か知ってんの?』『いや、誰も知らない』ってそのまま(笑)」

 この著書を読むと、これだけ無茶をして、よく死亡事故が起こらなかったとも思えるが、ジャングルで死にかけたり、ある国で軟禁状態に置かれたスタッフもいた、という「事実」も明らかになっていくから、深刻な「事故」が起こらなかったのは不思議な気持ちにもる。

 ぼくはダニみたいなのに噛まれて、ぐちゅぐちゅと足に卵を産んだりなんかして、1年ぐらい足で飼ってましたよ(笑)」
 この話が衝撃的なのは、ロケのあと1年間もそんな目に遭いながらも「地味なエピソード」なので、その過酷さが番組にまったく反映されないことだ。
「絵的に圧倒的に地味だから。暗いしよくわかんない。そもそもダニなんて映らないし(笑)」

 なにしろ、この「川口探検隊」が目指していたのは、当時の映画「インディー・ジョーンズ」というフィクションだった、というから、番組として映像に残っていない以外が、本当に「冒険」だったようだ。

「本当にそのつもりでやったら、ちゃんとしたドキュメンタリー番組にもできましたよ。NHKでも放送できるようなね。貴重な映像もいっぱい撮れています。だけどそういうのは、しなかったですね」 

 あまりにも幅が広い「事実」が、その番組をめぐる「出来事」に詰め込まれているのを知り、そして、その熱気の高さに当てられ、少し呆然とした思いにすらなる。

虚々実々。基本は〝虚〟だが、垣間見えるスタッフの苦労やうめきは〝実〟。

 想像以上に、すごい世界だった。

「ヤラセ」と「ドキュメンタリー」

 この「川口浩探検隊」が終了してしまったのは、その前年、1985年の出来事が大きく影響していると言われている。

『アフタヌーンショー』でヤラセ事件が〝発覚〟したのである。

 これは、20年続いたワイドショーで、女番長の取材をしていたのだが、そのリンチの場面が「ヤラセ」だったと指摘され、番組も打ち切りになった「事件」だった。

 この著者は、その「事件」の事実にも迫ろうとし、その途中で、単純に「ヤラセ」と切り捨ててしまえるようなことでもないし、その担当ディレクターに、全ての「罪」を被せて組織が切り捨てるような動きもあったこと。さらには、旧石器発掘捏造事件との関わりまで、たどり着いてもいる。

 そして、その「ヤラセ」をめぐる複雑な影響は、当然のように「川口浩探検隊」まで及んでいたらしい。

「85年に川口浩さんがガンになって番組をお休みして1年間くらい療養してたんですよ。それで、復帰したときにすべて本当のことを話そうってことになったんです。特番を組んで」

 その話を当時の関係者である小山均氏が語っているが、それは実現しなかった。

「川口さんはあのまま(ネタばらしのないまま)亡くなられたからね。それで番組は終わっちゃったから、みんな喋っていいかわからないんじゃない?」

 それも、ここまでの30年間でも、その内実が明確にならなかった大きな理由の一つだろうし、さらには、番組放送時の、視聴者の姿勢も、その理由となるはずだ。

探検が〝本当のこと〟だと思っている人がいる以上、たとえ相手が親だとしても〝本当のこと〟は言えない。小山の葛藤の始まりだった。

 さらには、その「ヤラセ」に関わるエピソードが、テレビも含めたメディア論として、現代でも議論すべきことのようにも読める。

「視聴率のためにヤラセがあるんじゃない。そんな簡単な理由じゃない」

「現場はどんどん面白くなっちゃうんですよ。視聴率に関係なく、もっと何かできないかって探究してしまうんです。ある意味視野が狭くなっているんだけど、現場は夢中になってしまうんだよね。だってヘビに足を付けてるときに数字のことなんか考えてませんよ。このアイデアがあったか!っていう盛り上がりしかない」 
 この言葉は深い。

 ここまでの紹介を読んでもらえた方なら分かる通り、この著書は、分かりやすくまとめるのが難しい。それこそ虚と実、切実さと虚脱、情熱と欲、その差があまりにも激しく、どれも強いため、私の力では、うまく伝えられないのだと思う。

おすすめしたい人

 昔、「川口浩探検隊」を熱心に見ていた人。

 「川口浩探検隊」を、半笑いで語っていた人(私もそうでした)。

 テレビが昔好きだった人。

 今でも、テレビが好きな人。

 伝えることを、考えたい人。

 メディアについて、関心がある人。

 テレビだけではなく、メディアの未来を考えたい人。

 そんな方々に、読んでいただきたいと思っています。


(こちら⇩は、電子書籍版です)。



(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。



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