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青山悟『刺繍少年フォーエバー』 永遠なんてあるのでしょうか? 2024.4.20~6.9。目黒区美術館----「ずっとつくり続ける人」。

 それほど頻繁に行くわけではないけれど、時々、この展覧会を開催するのか?といったちょっとうれしい気持ちになるのが、東京都の目黒区美術館だった。

 私にとっては、30歳を超えて興味を持てたのが主に現代アートだったので、例えば東京都現代美術館のように現代美術を主に開催しているのではないから、目黒区美術館には、展覧会によって思い出した頃に出かけることになる。


名前の由来

 目黒線に乗って、目黒で降りて、そこから少し歩く。権之助坂という坂を下っていく。その名前を見ると、通っていた高校が権太坂の上にあったことを思い出すことがある。確か、その権太坂の名前の由来が、そこを歩いていた農民に、領主がらみの武士か誰かが、坂道の名前を聞いたのだけど、その農民は自分の名前を尋ねられたと思い、「おらは権太」と答えたから、といった伝説があるらしかった。

 その由来は、まるでオーストラリアに上陸したヨーロッパの人間が、初めてカンガルーを見た時、現地の人間に尋ねたら、「私は知らない」と答えたのだけど、それがカンガルーという言葉だったから、カンガルーになった、といったことと似ているような気がした。

 ただ、目黒の権之助坂には、その由来が目黒区のホームページに明記されている。

 江戸の中期、中目黒の田道に菅沼権之助という名主がいた。あるとき、村人のために、年貢米の取り立てをゆるめてもらおうと訴え出るが、その行為がかえって罪に問われてしまう。なんとか助けてほしいという村人の願いも聞き入れられず、権之助は刑に処せられることになり引かれて行く。「権之助、なにか思い残すことはないか」と問われて、「自分の住んだ家が、ひと目見たい」と答える。
 馬の背で縄にしばられた権之助は、当時新坂と呼ばれていたこの坂の上から、生まれ育ったわが家を望み、「ああ、わが家だ、わが家が見える」と、やがて処刑されるのも忘れて喜んだ。父祖の家を離れる悲しみと、村人の明日からの窮状が権之助の心を去来したかも知れないが、それは表情には現わさなかった。
 村人は、この落着いた態度と村に尽した功績をたたえて、権之助が最後に村を振り返ったこの坂を「権之助坂」と呼ぶようになったといわれている。

 また、一説によると権之助は、許可なく新坂を切り開いたのを罪に問われたといわれている。

(『目黒区』ホームページより)

 権太坂の伝説と比べると、名前の響きは似ていても、権之助坂はもっと立派な由来があったことを知った。

初めてのアーティスト

 目黒区美術館では、そこで作品を見て初めて知ったアーティストもいる。

 例えば、須田悦弘。

 階段の上にトップライトの窓があって、そこを見上げると、壁に何かがついていた。それは、葉っぱや、チューリップの花だった。上からチューリップが落ちてきて、それがバラバラになって壁に設置されているように見えた。

 それは木彫りによってつくられた植物だったが、本物にしか見えなかった。この展示方法も含めてとても感心し、それから須田悦弘の作品を見る機会が増えたが、このチューリップに関しては、目黒区美術館の時が最も美しく見えた記憶がある。

 それに、この美術館の2階が主な展覧会場になることが多いのだけど、広い展示室が2つ、ややコンパクトな部屋が1つで、ゆっくり見ることができるし、それに広すぎなくて鑑賞して疲れることも少なくて、1階には喫茶のコーナーなどもあり、気持ちのゆとりを持てることもあって、初めてのアーティストへの印象も良くなるのかもしれない。

 青山悟の作品も、この美術館で、初めて見たのかもしれないが、その印象は強めだった。

 音楽に使う譜面が台に設置されていて、その真ん中には映像が流れていた。やや暗い場所であまり集中しないで眺めると、ただ譜面が台に載っているだけなのだけど、それはその譜面のバックの模様のようなものを含めて全てが刺繍による作品だった。それをミシンで作成している模様が映像で流されている。

 それからも、青山悟の作品はあちこちのグループ展で見るようになったけれど、その完成度がなにしろ高くて、無条件に感心出来る要素があって、安定感があった。

 それも、最初に見た目黒区美術館の展示が印象に残ったために、よりそう思っていたのかもしれない。

吸い殻

 それが2023年に東京藝大の陳列館という場所で青山悟の作品を見たときは、それまでとは印象が違った。

 タバコの吸い殻。誰かが吸って、捨てられていたものを、刺繍で製作されていて、それは「N氏の吸い殻」とタイトルがついていた。

 コロナ禍に知人の工場が閉鎖されることになり、すでに稼働していないその場所に落ちていた吸い殻を作品にしていた。

 その作品の由来や、こうしたことを作品にしていいのか、といった葛藤も含めてキャプションに書かれてたし、そばの映像では動きが止まってしまった工場の模様が映されていたから、いつもの完成度の高さに感心する部分は、今回もあったものの、それよりも、この作品にいくつもの意味が重なるようにのっていて、そのことにもっと感心するような思いになった。

 そこには、こんなふうに簡単に語っていいんだろうか、という思うような重さもあったものの、こうしたものをモチーフにした作品が可能であれば、これからさらに幅広い作品をつくり続けられるのではないか、とも思った。

大田区アートツアー

 その「吸い殻」を見たあとに地元の企画したアートツアーに参加できた。

 そのツアーのガイド役を、大田区にアトリエを構えていた青山悟氏が担ってくれたのも、その参加動機の一つだった。

 その1日は、青山氏がアーティストだからできる質問などを、作品を展示しているアーティストにもしてくれたおかげで、ただの鑑賞者では体験できない時間になって、とてもありがたかった。

 さらに作品から勝手に寡黙なイメージを持ってしまっていたのだけれど、青山氏は普通にコミュニケーション能力の高い人で、だからこそ、このツアーが充実したものになったのは間違いなかった。

刺繍少年フォーエバー

 普段、いくつかのサイトを見て、今開催されている展覧会や個展などの情報を知るのだけれど、自分が普段から積極的に情報を集めているわけではないから、実は見落としているのではと微妙な恐れのような気持ちはずっとある。

 特に目黒区美術館は、こちらから検索しないとそうしたサイトで大きく取り上げられることは少ないから、比較的行きやすくて心地いい場所と思っているのに、つい存在を忘れがちになる。

 だから、今回の展覧会も偶然見つけた。

 自分の中では、あの青山悟の、たぶん美術館では初めての個展ではないだろうかという気持ちだったけれど、すでに始まってから何週間かたっていた。

 見つけてよかった。

 そうしたら、その展覧会の企画で、作家本人が出演するトークが5回もあった。会期が2ヶ月にも満たないのに、それだけの話す機会が設けられている展覧会は珍しいと思ったが、大田区アートツアーで様々な話をする青山氏の姿を思い出し、確かにあれだけのコミュニケーション能力があれば、それも可能なのだろうと思った。

 まだ行ける日程を確認して、その日に会場に行くことを、妻と相談して決めた。

大人のための美術カフェ

 目黒区美術館の担当学芸員と、青山悟が、この展覧会が開催されるまでの話をする、という企画だった。

 午後2時からの対談。参加方法は先着順。定員は20名程度。

 その条件にすでに焦りを感じ、30分くらい前には行かないと見られないのではないか、人がたくさん来て、その会場に入れなくなるのではないか、といった気持ちになって、午後1時30分くらいには着くように出かける。

 久しぶりの目黒・権之助坂の飲食店は以前とはかわっていた。それでもラーメン屋が多い印象はかわらなかった。

 少し歩いて、新しくてきれいな店もあって、目にうれしかったりもするのだけど、先着順という言葉はずっと頭の中にあって、かなり以前同じようにこの美術館でトークショーがあり、すぐ後ろの人に追い抜かれて、その人も同じ目的で、先着順だったので、受付でちょうど今いっぱいになりました、と言われたことがあったので、誰かが前に歩いていると、焦った。

 美術館に着いたら、そのトークショーの人数には、まだ余裕があるようで、しかもまだ20分以上あった。だけど、気がついたら、その1階の会場の前には何人かの人が並んでいて、やっぱり焦ってロッカーに荷物を預けてから妻と一緒に並んだ。

 入場料は一般で一人900円。2000円を超えるところも出てきているから、1000円以下というのは、とてもありがたかった。

 午後2時前には開場して中に入った。ミシンが置いてある。イスは多い。おそらく50人は入れるはずだ。こんなに焦らなくてもよかったのに、とは思った。

 トークは、担当学芸員が話を進めた。

 その人が本格的に知ったのは2020年頃だから、比較的最近だった。

 ただ、展覧会の開催を決めてからは、月に1度は必ず作家と会って、5時間くらいは話しあった、という内容は興味深かった。それだけコミュニケーションをとるのは、非効率に思えて、とても大事なことだと改めて思える。

 そして、青山悟が決めた刺繍少年フォーエバー、というサブタイトルは、ジェンダー的にもいろいろな意味を込めた、ということだし、さらには普段はアートに興味を持っていない人にもアピールできたら、という思いも語った。

 最初は、やや違和感があったサブタイトルもそういう意識があったのだと思った。

ロンドン・ゴールドスミスカレッジのテキスタイル学科を 1998 年に卒業、2001 年にシカゴ美術館附属美術大学で美術学修士号を取得し、現在は東京を拠点に活動。

(『ミズマアートギャラリー』より)

 青山は、刺繍によって作品をつくり続けている理由を質問されて、最初にロンドンでテキスタイル学科を卒業したから、といった言い方をしていた。当初から周囲が女性ばかりの中でミシンを踏んでいて、ジェンダーのことは意識せざるを得なくなった、といったことを話をしたが、作品には、社会的な問題のようなものを常に意識していることも納得が行ったような気がした。

 さらには、今回のワークショップについての話になり、アートや作品について語る姿や口調は、本当に真剣に考え続けている気配は伝わってきた。そして、自身が影響を受けたと語る本のことも気になった。

 妻は、青山の話から、もっと強くいろいろなことを感じていたようだった。人が話すのを長いこと聞いているのがそれほど得意ではないのに、すごく熱心に聞いていたようだったし、私よりも作品を制作することについていろいろなことを思ったようだった。

 来てよかった、と言っていた。一緒に来て、私もよかったと思った。

展覧会

 「大人のための美術カフェ」が終わってから、2階の会場へ上がった。

 練馬区立美術館で、この展覧会↑が開かれたのが2020年。まだワクチンもなく、コロナ禍がもっと怖さを持っていて、自分としてはとても出かけられない頃だったけれど、その時に、こうして意欲的な企画があったことを、何年か経って知って、見たかったと思った。

 その図録の中で青山悟の作品が、目を引いたのは、これまでは雑誌や絵画の選択に社会的なメッセージがあったとしても、その再現性の高さが特徴的だと思っていたのに、それが、このコロナ禍の最中に制作された作品は、紙に文字を刺繍で入れたりしていて、これまでの作品がペインティングだとしたら、これはドローイングだと思った。

 これらの作品を見たかったので、今回、目黒区美術館で展示されていたのは、うれしかった。

 コロナ禍で自衛隊がブルーインパルスを飛ばしたときにモヤモヤした気持ちがあったのだけど、小さいジェット機の後ろに紙で煙のようなものとして、そこにその飛行に対しての青山の気持ちなども刺繍で文字になっていたりもした。

 他にも、マスクやキャップにさまざまな文字が刺繍されていて、それは、コロナ禍の混乱した時の気配を思い出させるもので、どうやら、当時は、展覧会などが中止になったりして、青山は経済的にも困窮しそうだったし、どうすれば、といったこともあったので、小品を作ってインターネットで販売する、といったことの一環でこうしたドローイングのような作品を作り続けていたようだ。

 ただ、そうした作品群は、それまでの再現度の高い刺繍とは違うものの、青山の思考や感覚がかなりダイレクトに伝わってきて、また新しい魅力を感じさせるものだったし、それが、その後の「吸い殻」の作品にもつながっているようだった。

 社会的なことと、個人的な要素を鮮やかに結びつける作品が、これからも多く制作されるような予感もした。

 青山自身が自宅からアトリエに通うための切符を刺繍で再現し、作品化されていたり、紙幣も精密に再現されていたり、そうした題材も含めて自由度が高くなっていたようにも思えた。

 会場の白い台の上に屋外のように散らばっているチラシもレシートも吸い殻も枯葉も、全部、刺繍の作品は、チラッと見ると、全部が本物に見えた。

絵画

 その一方で、風景を刺繍で再現した展覧会のメインビジュアルのような作品も魅力的だったし、歴史に残るような絵画作品を何十枚もコンパクトなサイズで刺繍で再現しながら(それでも、その再現度をおそらくは意識的に少し緩めながら)、その作品を、「個人的」↔︎「社会的」。「保守的」↔︎「ラジカル」。という座標軸を作って、さまざまな作品が、どのポジションなのかを配置し、それについて、青山が展示室の壁に手書きで説明を加えるという作品も感覚と論理の両方に届くようだった。

  さらに、過去の絵画作品を刺繍で再現したり、と最初の青山の作品イメージのものも、何度見ても、よくできてる、という気持ちよさを味合わせてくれるし、考えさせてもくれる改めて豊かな作品なのだと思った。

 何より、作者のつくり続ける意志のようなものが、今日、話を聞いたせいかもしれないけれど、確かに宿っている有機的な作品にさえ見えていた。

 そして、他の作家にも、作品について質問をし、その答えも映像として作品にしていて、社会的な視点も忘れない人だと思った。

 来てよかった。

Tシャツ

 1階の静かなショップには、今回の展覧会に関連するグッズも売っていた。

 今回のサブタイトル「刺繍少年フォーエバー」と「永遠なんてあるのでしょうか?」という文字が書かれたTシャツが売っていた。2枚セットで4500円。アート関係のTシャツは、1枚でこのくらいの値段になることも珍しくないから格安と言ってもいいのだけど、今回は妻が欲しがった。

 それは、トークも含めて、作品をつくり続けていく姿勢に敬意を感じたから、ということだった。そういうことは珍しいので、妻が「刺繍少年」の方でS。私が「永遠」の方でMサイズで購入した。1枚だけだと2500円なので、お得なはずだ。

 さらに今回の、というよりは、青山悟の作品集として販売していたものは、作家本人のサイン入りで、3000円を超えていたが、今回は妻がためらいなく買うことを決めた。

 さらには、ポストカードなども買って、個人的にはかなりの金額にはなったものの、なんだか満足感はあった。

 入場料や、ショップのグッズなどの料金も他の美術館などと比べると区営のためか安めで、それもありがたかった。

 話も聞けて、作品も見られて、グッズも買えて、満足感が高かった。

 来てよかった。







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