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10年前のあの日-東日本大震災の記憶-

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#被災

10年前のあの日の記憶15

10年前のあの日の記憶15

4月に入り、ガスも復旧した。

少しずつ公共交通機関も回復し、溜まっていた仕事で早朝出勤、深夜帰宅を繰り返しているうちに、いつの間にか自宅マンションの工事も進んでいた。

GWに入るころには新幹線も動くようになった。

その間に、地震とは関係無く祖父が亡くなり、あまり集まることの無かった親戚一同で無事を確かめ合いながら祖父の冥福を祈ったり。

そんな慌ただしい日々を過ごしているうちに、日常が戻って

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10年前のあの日の記憶14

10年前のあの日の記憶14

電気が復活したことで、マンションの貯水槽から水を動かすことが出来るようになり、水道も使えるようになった。

ライフラインが二つ一気に戻ったことで、とても便利に感じた。

しかし、相変わらず公共交通機関は復活せず、通勤は自転車。

震災後の混乱による業務増加と、休んでいた間に溜まっていた分を消化するのにしばらくは早朝出社、深夜退勤を繰り返す日々だった。

そんな生活に慣れるほど日数は過ぎたが、ガスだ

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10年前のあの日の記憶13

10年前のあの日の記憶13

震災発生から5日目。

相変わらず朝日と共に起き、夕暮れと共に布団に入る生活を続けていた。

午前中の明るいうちに掃除や水汲み、買い出しを行い、午後はぬるま湯で交互に身体を洗い、夕飯を作る。

合間に新聞やラジオから情報を得るようにしていた。電気は少しずつ復旧しているようだった。

前日くらいから、自宅のまわりの住宅地でもちらほらと電気がつき始めた。

そして遂にこの日の夕方、雪がちらつく中で電力

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10年前のあの日の記憶12

10年前のあの日の記憶12

金曜日に起こった地震の後、ただひたすら生活を整えようと走り回って週末を終えた。

まだライフラインは一つも復旧しないままだった。

地震による道路への被害や原発の問題などが相次ぎ、物流がストップ。

発生直後より店先に並ぶ物資が極端に減った。

公共交通機関も復旧しておらず、薄明るくなってきた時間から起き出してぼろぼろの自転車で会社へ向かった。

まだ就業開始には時間があったが、オフィスには何名か

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10年前のあの日の記憶11

ストーブでコトコトと温め直したカレーと、炊きたてのあたたかいご飯をラップを敷いたお皿に盛り付けた。

コップは紙コップを使い、水を飲む。

そんなキャンプみたいな食事が驚くほどに美味しく感じた。

先の見えない生活に、みんな困惑と疲労が出てきた頃だった。

それでも家族が揃ってあたたかい食事を食べられる、それだけで笑顔になれた。

食べながら、

『○○のガソリンスタンドが開店したみたい』『△△の

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10年前のあの日の記憶10

10年前のあの日の記憶10

我が家はマンションで、直接繋がる変圧器が壊れた為、しばらく電気が使えなかった。

さらに水を汲み上げるのにも電気が必要だった為、自宅の水道から水が流れるようになったのもかなり先だった。

ただ、マンションの敷地内にある水道からは水がでるようになり、近所の公園まで行かなくても水汲みが出来るようになったことは有り難かった。

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地震発生3日目。

窓から差

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10年前のあの日の記憶9

10年前のあの日の記憶9

太陽は真上に登り、春を感じさせるあたたかな日差しが差し込む。

掃除や家具の移動などの力仕事をしていると汗ばむほどのあたたかさだった。

午後は『非常用の水源』と指定されていた近所の公園へ行き、水を汲んだ。

自宅に水汲み用のポリタンクなどは無く、家にあったペットボトルをかき集めてリュックに背負う。

お風呂に残り湯があった為、トイレを流すことは出来たが、料理に使う水は非常用のものがほんの少しあっ

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10年前のあの日の記憶8

地震発生当日から一夜明けて、父は職場へ向かい、私は母と姉と共に自宅へ向かう。

玄関には傘と靴が散乱し、普段使わないからと上の棚に片付けていたものもドカドカと落ちてきていた。

昨日中へ入った母から破片が多いと聞き、靴は履いたままで家の中へ入る。

母は綺麗好きで毎日掃除をしてくれていた。

そんな家の中が廃墟のごとく荒れていて、ぬかるんだ泥で汚れたブーツで入ることへ、複雑な気持ちを抱いた。

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10年前のあの日の記憶4

解散となってすぐ、私は部署の先輩に徒歩で帰宅すると申告した。

その時はじめて津波について指摘を受けた。

「おうち、海の方でしょ?津波とか大丈夫なの?」

ビルから帰宅するために進むのはたしかに海を目指す方向だった。

しかし、海沿いというには数キロ離れていたし、今まで大きな地震があっても実際に津波被害が出たところを見たことは無かった。

「大丈夫だと思います。それより家族と連絡が取れなくて不安

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10年前のあの日の記憶3

10年前のあの日の記憶3

ビルから避難し、寒空の下10分程指示を待ち、ようやく近くの学校へ移動することが決まった。

徒歩5分の場所にある学校へ、ぞろぞろと歩いて向かう。

校舎や体育館は生徒や地域住民の避難所となるらしく、グラウンドに誘導された。

点呼を取り、またしばらくガヤガヤと指示を待つ。

気がつくと、雪がちらちらと降り始めた。

みるみるグラウンドは湿っていき、空気もぐっと冷え込んだように感じた。

各部署の代

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10年前のあの日の記憶2

10年前のあの日の記憶2

少しずつ、少しずつ揺れが収まり、シーン…と静まり返った。

その段階で初めて机から出るために動き出した。

長い揺れで感覚が鈍っていたのか、身体をうまく動かせないほど恐怖を感じていたのか。

ふらふらと覚束ない足取りで、机の外に這い出ながらどうにか立ち上がる。

立ち上がった瞬間視界に入ってきたのは、数分前とは全く別の光景だった。

横に置いてあったキャビネットが倒れ、私の机に直撃していた。

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