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10年前のあの日の記憶3

ビルから避難し、寒空の下10分程指示を待ち、ようやく近くの学校へ移動することが決まった。

徒歩5分の場所にある学校へ、ぞろぞろと歩いて向かう。

校舎や体育館は生徒や地域住民の避難所となるらしく、グラウンドに誘導された。

点呼を取り、またしばらくガヤガヤと指示を待つ。

気がつくと、雪がちらちらと降り始めた。

みるみるグラウンドは湿っていき、空気もぐっと冷え込んだように感じた。

各部署の代表者たちが結論を急ごうと言っているのが聞こえた。

ふと足元を見る。

オフィスからそのまま避難した為、足元はピンヒールのパンプスだった。

膝丈のスカートに薄手のタイツ、上はブラウスにカーディガンを重ねただけ。

持ち物はポケットに入れていた携帯電話のみだった。

まわりの同僚も皆、似たり寄ったりな格好で、雪が降る寒さの中、無意識に肩を震わせていた。

その様子を見て、上司から指示が出た。

もう一度ビルに入り、ロッカールームから必要最低限の荷物を持って出てくること。

その後は各部署ごとに帰宅可能な人は申告の上帰宅、難しいと思われる人は個別に相談するように、とのことだった。

この間にも余震は続いていた。

小さなものから大きく感じるものまで様々だったが、古いビルにもう一度入るのは正直恐怖だった。

次にさっきと同じレベルの揺れが起こったら、今度こそビルが倒壊する可能性もあった。

それでも、自宅へ帰るとなれば徒歩になる。

少なくとも7.8キロはあるであろう道のりをピンヒール、コート無しで進むのは無謀に思えた。

また、ロッカーに入れてあるカバンにはモバイルバッテリーが入っていた。

家族と連絡が取れていない状況で携帯の電池が切れてしまうことだけは避けたかった。

みんな躊躇していたが、数名ずつのグループを組み、急いでロッカールームへ向かう。

ロッカールームもひどい有様だった。

整然と並んでいた面影は無く、様々な方向へ倒れたロッカーから中身が飛び散り散乱していた。

さらに、ビルの北側にあるロッカールームは元々窓がほとんど無いつくりだった。

停電で灯りも無く、日も傾き始めた頃だった為、床に散乱したものを細かく見ている余裕など皆無だった。

それでも互いに声を掛け合い、各々自分のロッカーと思われる場所を探し出して、なんとかコートを羽織り、靴を履き替えることができた。

まだ数組ロッカールームへ登る順番を待っている。

いそいで階段を降り、全員が無事に戻ったのを見届けて、その日は解散となった。







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