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10年前のあの日の記憶15

4月に入り、ガスも復旧した。

少しずつ公共交通機関も回復し、溜まっていた仕事で早朝出勤、深夜帰宅を繰り返しているうちに、いつの間にか自宅マンションの工事も進んでいた。

GWに入るころには新幹線も動くようになった。

その間に、地震とは関係無く祖父が亡くなり、あまり集まることの無かった親戚一同で無事を確かめ合いながら祖父の冥福を祈ったり。

そんな慌ただしい日々を過ごしているうちに、日常が戻ってきたかのように感じた。

そしてとある休日、家族で出かけた帰り道のこと。

ふと感じた違和感があった。

「…この道から海なんて見えるんだ。」

そうつぶやいてハッとした。

たくさんの木や家に隠れて見えなかったはずの海が見えた。

それはつまりその全てが流され、根こそぎ無くなってしまったということだ。

その頃には津波に関わる話を聞くことも増えていた。

同級生の祖父母の家や、幼なじみの姉の嫁ぎ先。

一人暮らしをしている友人達の数人の実家も津波被害のひどいエリアにあった。家族は仕事や通学で市街地にいたが実家は流されてしまったと後から聞いた。

もう震災前の「日常」は戻らない。

その日、夕焼けの中で遠くに見えた海。

その景色が、私の心に本当の被災のほんの一欠片を教えてくれたのかもしれない。

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あれから10年。

世界は新型コロナウイルス感染症により、大きく変わってきている。

国内の移動も難しい中、ふるさとである宮城県はつい先日も大きな地震に襲われた。

あの震災を思い出させる揺れが何度も来る。

それはどれだけ不安で恐怖だろうか。

そんな思いをしている家族に寄り添いたいのに、近くにいくこともまた危険なのだ。

人間という生き物は本来弱い。

1人で出来ることには限りがあるし、自然という大きなエネルギーの前ではなす術も無い。

けれど、人間は強いのだ。

過去の災害から学び、知恵をつけ、互いに互いを守ることができる。

感染症の恐怖から、人と人が実際に寄り添うことは難しい。

けれど、さまざまな形で寄り添うことが出来る時代になった。

新しい生活様式の中で、人との距離感を捉えることは難しいと感じる部分も確かにある。

それでも、思いやりや慈しみ、優しい気持ちを忘れずに、どうか人と人との繋がりを断ち切らないで。

困ったときには迷わず助け合える、そんな世の中であって欲しいから。

私という個人に出来ることは本当に小さい。

それでも、このような世の中で自分に出来ることを考えながら、小さな優しさを忘れずに生きていきたい。

それが誰かの心に残れば、1つの優しさがいつか2つに、それは4つ、8つと増えていくはずだ。

そして、小さな優しさは「当たり前」と言われる世の中になって欲しい。

そう願って今日も生きていく。

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これで「10年前のあの日の記憶」は終わります。

10年という月日はやはり細かい部分を忘れてきていて、今記録として書いておいて良かったな、と感じます。

この10年で日本全国様々な災害や病の流行が発生しましたね。

東日本大震災のみならず、この10年で起こった全てのことで生命を落とされた皆様のご冥福をお祈りすると共に、今を生きる皆様の心からの幸せとこれから先の未来が希望に溢れるものであることを願っています。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。





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