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欧州最大の日本人街デュッセルドルフ② 〜それでも鳥が好き〜
日本人街を抜ける頃にはすっかり鬱気分になってしまっていた。この日はずっと前に登録していた転職サイトから新着求人のお知らせが入っていてたまたま開いたら前職と同業の企業の求人がたくさん載っていた。「日本に帰って同じような仕事して落ち着きたい。また独身OLに戻りたい」なんて妄想が膨らんでいた。私はすっかり日本の悪いところを忘れていてそれがデュッセルドルフの日本人街で現実に引き戻されて心の居場所を見失って
もっとみる欧州最大の日本人街デュッセルドルフ① 〜日本を思い出してウツに〜
バスの長丁場で失った体力をなんとか回復させようとなるべく遅くまで寝てからチェックアウトする。受付で「部屋に置いてあった水飲んだ?」と聞かれる。「飲みましたけど」「はい、4€!」高え、ウェスカムドリンクかと思ったのに。私は疲れ果てて判断能力が劣っていたようでトラップにハマってしまった。くそう。軽いと思って背負っていたリュックもズンと肩に食い込んでくる。ここからは少しペース落とそう。あとはアーヘンに行
もっとみるハンザ同盟都市ハノーファー〜そこはかとなくラグジュアリー〜
ツェレからハノーファーまではベルリンで行ったらCゾーンみたいな扱いで10€弱で移動できます。
あっという間にハノーファー駅へ。
リューネベルクやツェレと違ってでかい。そしてそこはかとなく金持ちな感じ。なんだろう、このラグジュアリー感。そうだ、スプレーの落書きがない。ベルリンはいつでもどこでも落書きがあってウェイな感じを醸しているけど田舎くさくてあんまりお金ない感じにまとまっている。
ここで
北ドイツの真珠ツェレへ② ツェレ城は工事中
電車に揺られて小一時間。ツェレ駅に到着。去年ハンブルクに行った時もそうだったけど、夏の終わりは天気がコロコロ変わってシャワーのような雨が降ったりやんだりするそう。そして雨上がりはクソ寒い。
駅に降り立つと曇天。
街の中心部まで駅から15分ほど延々と歩きます。
ツェレ城や!と思いきや改装中で覆いが被せてあり、中にすら入れない。
仕方がないので世界最古の木造建築を目坂して街へ。と思いきや雨が激しく
北ドイツの真珠ツェレへ① 〜悲しみの貨物駅ユルツェン〜
リューネベルクから北ドイツの真珠と呼ばれるほどに美しい町ツェレへと向かいます。
バスはないのでドイツ鉄道で19.2€。ニーダーザクセンのお馬と黄色い列車がメルヘン。
ホテルのビュッフェで奪ってきた食料を食べるよ。昨日切って持ってきたパプリカは腐っていたよ。
ユルツェンという駅で乗り換え。駅がディズニーランドのようにメルヘン。
次のようなパネルを発見。
ユルツェンの貨物駅は1945年
いつのまにか「やらなきゃいけない」の沼
私はこの国に滞在するにあたり学校に通うことが条件だったので通っている。
鬱になり社会との関係も希薄になるため、学校にきちんと通うことは私にとってリハビリであり、この社会から孤立しないための生命線でもあった。
最初の半年は満足に通うことができなかった。薬も最大量で飲み続けており体力が持たず気分が落ち込んで通えなかったり、半日の授業で頭が痛く痛くなり家に帰って倒れ込んで寝たりした。
ものの覚えも
強制収容所より現代の日本を憂う~差別と暴力~
パワハラに遭っていた時自分は収容所に入れられたユダヤ人のように感じていた。苦しくても逃げることができず、どう一日をやり過ごすか必死だった…そんな毎日を過ごしていた。実存心理学で有名なヴィクトール・フランクルの「夜と霧」を読み、収容所の日々を生き抜いた信念に自分の心を寄せていた。
パワハラ課長に裁きが下り彼が退職すると知った時、私は収容所から解放されたと思った。しかし、人事課の裏切りに遭い、私は
もう働けない 〜働かなきゃいけないの先にあるもの〜
休職し始めた時は仕事に行かない罪悪感でいっぱいになっていました。ただ身体はとても疲れていたので貪るように寝ました。1週間くらい寝込んでいるととても身体が楽になって元気が出てきました。医師からは「生活リズムを整えるように」ときつく言われていましたが、そのうち働いていない負い目から外に出られなくなり昼夜逆転の生活になります。
とにかく息苦しさから逃れたい一心でいざ仕事を辞めてドイツに飛び出してきた時