健康になったら、どこまで頑張らないといけないの?

今日は仕事量が多くて、精神科の予約を入れていたにも関わらず終わらなくて、他の人に手伝ってもらいました。
本当に、ありがとうございました。そしてすみませんでした。

予約時間ギリギリで受付を済ませたら、すぐ診察でした。
体重量ったら、増えてました。
まだ厚着はしてないので、純粋に自分の肉だけです。
一応、先生の言う「最低でもほしい体重」には届いていませんが、相も変わらず太ったという事実が辛いのです。

今回も、聞きたいことを色々聞きました。
過食嘔吐の人は、はち切れんばかりの量を食べるから吐き出せるのか。一般的に見ても普通の量なら、吐き出すのは困難なのか、と質問したところ、過食嘔吐の人はそれに慣れているから、普通量でも吐き出せると教えてもらいました。
ただ、嘔吐は色々と良くないと。食べ過ぎて時、吐くぐらいなら消化した方がいいと言われました。
私の場合、食べ過ぎても吐き出せないタイプなので、過食嘔吐の人がどんな感じで嘔吐しているのか、話を聞いたり本で読んだりすることはあってもそれを魂で感じることが大変困難なので、知りたかったのでした。
また、もし来月一気に最低ラインの体重を超えていたら、精神科通いをする必要はないのか尋ねたら、一か月で体重が一気に増えた場合、それは水分量によるものが多いし、一気に体重が増えるのは健康にも良くないから、すぐ精神科通いがなくなるわけではない、むしろより注意が必要と言われました。

で、仕事についても色々と聞きました。
これから、労働時間が少し長くなるのですが、それはつまり、客観的に見て、今の私は健康そう、大丈夫そうとみられているのか。
健康になる必要性は分かっている、でも健康になることが怖い気持ちもある。
もし健康になったら、もっと働かなければならないのかと。
それについては、健康だからといってフルタイムで働く必要性はないと、労働時間については給料がどのくらい欲しいかで決めればいいと言われました。
もしそういうのでぐちぐち言う人がいたら、精神科医を盾にすればいいとも言われました。

身体の具合が悪いのはもちろん辛いですが、健康になったらなったで、ロクに働かないのは甘えのような気がしてしまいます。
普通になりたい一方で、そうなるための努力がしんどい自分もいます。
「頑張る」は際限がなく、でも「私の能力」は、すぐ限界値が見えてしまいます。
でもその限界値を超えるための努力を怠るのは「甘え」のような気もします。
幸せとは、何なのでしょうか。これが理解できるようになるのは、私の摂食障害脳が、普通の人と同じ考え方が出来るようになるくらい、難しいことなのだと思います。

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