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引き裂かれた恋 (連載小説 1)


「時間が止まってしまえばいいのに」

時計の秒針を、じっと見つめながら、
彼はポツリと呟いた。
「時間は、どんどん過ぎていく。前にしか、進まないんだね。止まったり、後戻りはできないんだね」

もし、時が止まってしまったら、永遠に歳を取らない、すなわち、永遠の命を手に入れることができるのかしら?

彼の言葉を聴きながら、頭の片隅で亜矢はそんなことを思った。

今日は、雅人が大阪へ発つ日だ。
今春、大学を卒業した彼は故郷の大阪に就職が決まっていた。

「本当は、亜矢と離れたくないよ」
雅人は、ベッドに仰向けになった。
「だったら、大阪には行かないでよ」
言っても無駄だと知りながら、呟く。

彼は、ここ盛岡市内で就職活動はしたものの、内定を得ることができなかった。彼の父親の知人の紹介で、やっと就職先が決まったのだ。
でも、その就職先は、ここ盛岡から遥か遠くにある。
「うん、行きたくないよ、でも、もう決まったことだし、どうしようもない」
彼は溜め息をつく。

今まで、何回もこのような会話をしてきた。
でも、「行かないで」
「行きたくないけど仕方ない」
と、いつも堂々巡りだった。
いっそのこと、仕事を辞めて、雅人と一緒に大阪に行き、向こうでまた新たに仕事を探そうか、と思った。
だが、何のなじみもない都会に行き、そこで暮らすのは、はっきり言って気が進まなかった。
例えば、雅人と結婚して大阪で暮らす、ということだったら喜んでついて行っただろう。
でもまだ、将来についての話しはしていない。
一緒になれたらいいね、という漠然とした形で終わっている。

「亜矢、ごめんね。離ればなれになってしまうね」
雅人の閉じた目蓋から、一筋の涙が零れ落ち、
頬を伝った。

(雅人が、泣いてる)

初めて見る雅人の涙に亜矢は、正直驚いた。

(大阪に行きたくない、私と離れたくないというのは、口だけじゃなかったんだ)

亜矢は、自分だけが悲しんでいるのではないかと思っていたから、雅人の涙に救われたような気がしていた。


その日の午後、早めに駅に着いた雅人と亜矢は、
新幹線のホームでしばらくベンチに座っていた。
雅人が大阪に立った後は、次はいつ会えるのか分からない。
だから、話したいことはたくさんあるはずなのに
ポツリ、ポツリとしか言葉が出てこない。

やがて、新幹線の到着を告げるアナウンスが流れた。
いよいよ、別れの時が迫ってきた。
今、自分の身に起こっていることが、現実のものとは思えなかった。
雅人はバックを持つと、立ち上がる。
亜矢もつられて立ち上がった。

何て、声をかければいいのか、しばし戸惑う。
やっぱり、大阪には行かないで! 
と、声を大にして言いたかった。

「じゃあ、行くね」
「待って、ぎりぎりまで、一緒にいたい」
雅人と並んで歩きながら新幹線に乗り込み、デッキで立ち止まる。
あと少しで、雅人は遠くに行ってしまう。
雅人……。
込み上げてくる感情を押さえきれなかった。
亜矢は雅人に抱きついた。
「雅人、寂しいわ、次は、いつ会えるの?」
雅人は少し驚いたようだったが、
「ごめんな、ゴールデンウィークには、会いにくるから」
ギュッと、抱きしめてくる。

(何という舞台設定なんだろう。よく、ドラマや映画で目にする光景だわ)

雅人に抱きしめられながら、そんなことを思った。

発車のべルが、鳴った。
雅人が体を離す。
「じゃあ、行くね」
亜矢は涙を拭った。
いつの間にか、泣いていたようだ。
「亜矢、泣くなよ」
このまま、雅人についていきたかった。

こんなに大好きなのに、なぜ私達は離ればなれにならないといけないんだろう。

後ろ髪を引かれるような思いで、車内から降りた。
振り返ると同時に、ドアが閉まった。
雅人が手を振っている。少し寂しさを滲ませた笑顔で。
亜矢も小さく手を振る。
涙で視界がぼやける。雅人の姿が歪んで見えた。

新幹線が緩やかに発進し、次第にスピードを増し、
遠ざかっていった。
雅人が、行ってしまった。遠くへ行ってしまった。
まるで、永遠の別れであるかのようだった。
もう会えないのではないか、という不安に襲われた。

(寂しがりやの私が、遠距離で雅人との関係を持続させていくなんて、無理だわ)

さよならを告げられたわけではないのに、雅人を永遠に失ってしまったような気がするのだった。

人は、生まれる前から、定められた人と巡り逢うことが決まっている。
雅人と出逢い、亜矢はそう実感した。
だから、世の中の人々は皆、結婚できているんだ
と思っていた。

でも、雅人と離ればなれになってしまってから
その思いは揺らぎつつある。

雅人と離ればなれになってからは、毎日アパートと職場の往復という単調な日々だった。
雅人と会うことが無くなったため、ぽっかり空いてしまった時間を過ごすのは、寂しくてどうしようもなかった。
でも、ゴールデンウィークには会えると信じて
何とか自分を奮い立たせてきた。 
寂しさを我慢したぶんだけ、会えた時の嬉しさは
言葉にできないほどだろう。

明後日からゴールデンウィーク。
カレンダーを見ながら、心が浮き立ってきた矢先
亜矢の希望は粉々に打ち砕かれることとなった。

「えっ?! 会えないの?」
電話をかけてきた雅人に、亜矢は悲痛な声を上げた。
「ごめんな、昨日まで普通に会話して、ちゃんと食事も摂っていたんだけど、今朝ベッドで亡くなって
いたって」
和歌山の施設に入居していた雅人の祖父が、今朝亡くなった。死因は老衰らしい。葬儀が終わるまで、身動きできない。だから、会えないと。
仕方がない事情とはいえ、正直ガッカリだった。

「どうしても会えないの? 1日くらい、時間取れないの?」
亜矢は、諦めきれなかった。
「無理だよ。単独行動できる雰囲気じゃないよ」
「雅人に会えるの、楽しみにしてたのに……」
もう、目の前が真っ暗だった。
ゴールデンウィークには会えると信じていた。
だから、日々の寂しさを何とか我慢できていた。
「ごめん、悪いと思ってるよ。今回は無理だけど
お盆には会いに行くから」
「えっ! お盆まで会えないの?」
お盆まで、まだ3ヶ月以上ある。
それだけの時間、また1人で寂しさに耐えなければいけないなんて、絶対無理に思えた。
「そんなに会えないなんて、寂しいわ」
「僕だって、寂しいよ、亜矢に会いたいよ。でも、今回は無理だよ、ごめんね」
「うん……。」

電話を終え、その場に座り込んだ。
お盆の頃だって、確実に会えるかどうか分からない。こんな寂しい思いをしてまで、雅人との関係を維持する意味なんて、あるんだろうか?
会いたい時に会えないのは、かなり辛い。
友人や同僚が、仕事帰りや休日に恋人とデートした
話しを聞くと、羨ましくてたまらなかった。


時々、電話で口喧嘩になってしまい、気まずい雰囲気になったことがある。すると、もう電話もかかってくることもなく、このまま雅人との関係が終わってしまうのではないか?と不安に襲われる。

いっそのこと、別れてしまった方がいいのか?
と、亜矢は考える。
イヤ、でも1人きりの方が、もっと寂しいだろう。
そもそも、自分から別れを切り出すという大胆なことなどできるわけがなかった。


        つづく

































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