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信じるのは真実の愛だけでいい、人間など拝んでも拝ませてもいけない

世の中とんでもない事になってる。陰謀論を使ったカルト宗教、団体、集団が続々と誕生している。

SNSはその信者獲得ツールとして活用され、インターネットでのカルト勧誘が容易にできるようになり、今でも続々と陰謀論を使って人を洗脳支配する小さなカルトがあちこちに誕生している。

自分が1番よく解ってると思い込んでいる陰謀論洗脳されたメサイアコンプレックスに目覚めた教祖がTwitterXやらYouTubeにもたくさん続出してる。まさに偽預言者の増加、みたいな現象が起きている。

どうして人間は必ずこうなってしまうのか、自分が解ってると思い込んでるから、自分が何か特別な存在か何かだと思い込んでるから何を言っても聞かない。


自分も不可思議な話はしてるけど、カルトをやろうなんて微塵も思わない。物欲、色欲、金銭欲には溺れないので数字を集めようとも思ってないし、信者なんか増やそうともしていない。その増やした数字を利用してお金儲けに利用しようなんて思ってないし、note記事を有料で売ろうなんて思ってもいない。


人間ってのはどうしても認められたい欲、承認欲求を脳内で発生させる。はっきり言って、小さなカルト集団のリーダーなんか必要ない、政治に関係ないカルトリーダー、教祖なんかいらないんだよ、しかし人々はどうしても何かしらの信仰対象、個人崇拝をする対象を見つけようとする。

教祖が邪な心を持っていたら、信者は不幸になり、教祖が純粋な心なら信者の心も優しく愛が溢れるもの。人を導きたいなら人々を間違った方向へ誘導してはいけない、特定の思想主義に属してなどはいけない、何かを信じ何かに属しているなら全てを投げ捨てなきゃけない。

最近また「秘密の宝箱」、なんて新たなカルトが出てきたが、TwitterX上でその本の宣伝をし、新たな信者を獲得するための布教活動をやっている。使うネタはやはり反ワクチン陰謀論とディープステート陰謀論、そこにスピリチュアル的なものをエッセンスに加えて人々をアポフェニアに陥れる。

キリスト教の派生、韓国のキリスト教系カルトのRAPTも同じ、結局は自分をキリストの再来と言うようなメサイアコンプレックスを持ち信者を増やして私欲を満たすための道具にする。

今現在のQアノンも続々とカルト集団を作っている。そして西側陰謀論を使うプーチン崇拝カルトにトランプ崇拝カルト、そこに絡むプロテスタント系カルト、FFWPU世界平和統一家庭連合(統一教会)、サンクチュアリ教会、サイエントロジー教会、創価学会インターナショナルなど、多くのカルトがたくさん関与する。

このとんでもない状況の中に人々はいるわけで、油断すれば大量にある何かしらのカルトに引き込まれる。このまま行くと2人に1人は何かのカルトに属している、といった状況になってしまう。いや…、むしろ陰謀論や政治論、TwitterやYouTubeでの都市伝説論者やスピリチュアル、ニューエイジ思想に引き込まれたなら、もうそれは何かの思想主義を植えつけられてしまったカルト集団の一員と言ってもいい。

だからこそ、教祖となる者は人々を間違った道へ誘導してはいけない、そうなれば自身がハーメルンの笛吹となりレミングスのように崖から海へ落としてしまうような誘導をしてしまう。陰謀論をカルト教義にしてしまえばその危険性がある。

どんなに説得力があろうが、強引な結びつけやこじつけを見せられようが、その陰謀論を信じてそれを絶対としてはいけない。何も信じてはいけない、どんな人物のどんな話でも常に嘘があると思うよう心がける慎重な判断と思慮深さが必要。

信じるのは愛だけでいい、人間など拝んではいけない。愛が欲しいならたった1つの真実の愛を見つけるか育むこと、それをまず大切にしなきゃ欲望に呑み込まれ支配欲で教祖をやり、信者に引き込まれ、カルトのアメーバの一員になってしまう。


生命、人間のメインは恋と愛、それがあるから心の制御ができる、欲望に溺れる事もなくたった1人を何よりも深く愛する事ができる。やがて子供が生まれたなら、その家族だけを深く愛し続ける、そこに、カルト宗教、団体や集団が入り込める余地などない。

まず信仰するなら、自分が最も愛する人を互いに信じて身を委ねる。永遠に一途でいられる心を持ち、男と女として互いを絶対とすること、それが何より大事。

それがあればカルト教祖になりたい承認欲求、人気のステータスなど興味もなくなる。最も愛する人にだけ愛され続けたならカルト教祖など必要ない、信者になる必要もない。信じるのはその愛だけでいい、何よりも大切な人との愛だけを見つめ続ける。


そんな、幸せな愛があるなら他に何がいる、何が必要なのか、お金も何もいらない、最も愛する人と共にいられる幸せさえあれば、何にもいらない。だから教祖やカルトなんか必要なくなる。

今を生きるとは、今最も愛する人と共に少しでも長く一緒に生きること。自然発生的な恋や愛は神による導き、迷うことなど何もない、それが生命、人間、自然の摂理、自然法、宇宙の法則、その神による自由なる秩序に従い生きていればずっと自由でいられる。

何者の支配もない、そこにあるのは今最も愛する人と共に過ごせる今、その尊い時間だけが流れる黄昏。

自分は最も愛する人さえいればいい、何もいらない、地位も名誉もお金も、人気のステータスも、承認欲求の数字も、何もいらない。ただ最も愛する人、その人がいてくれたならそれだけでいい。

真の愛は永遠、愛は永久に、愛は全て。


真の愛は自由となる。










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