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現代人が抱えているもの「生きづらさ」

多様性社会である現在の日本において、

結論から言って、

現代人が持つ生きづらさは

「自分らしさ」を受け入れられる
精神的余裕認められる環境整えられば軽減されると思う。

居場所のようなもので、
狭いところでの関係性が好きな人もいれば、
多くの人に知ってほしい人もいる。

一方で、
全ての人にわかってほしい、分かってもらうことはできない。


口に出して発言する カミングアウトするには時間がかかる。


10代、20代のうちはたくさんの失敗をするかもしれないが、
失敗が多すぎてもいけない。
#加減が大事 #日々学習する #修正できる年代


社会人としてのルールやマナー、スキルは
身につけていく必要があるかもしれない。


周りの大人が幼いのか?
自分が大人すぎるのか?

周りが大手芸能事務所の話で
キャッキャッとしている、盛り上がる様子や
大人が小学生っぽい話し方を見聞きしていると、

楽しそうという気持ち以上に
大人の共通の話題は趣味の話、仲良くなるためには必要
という気持ちがある。
#一歩引いてみる


なんか雰囲気が良いなぁ〜
と心落ち着こうとした瞬間に

ふと我に返る このままでいいんだろうか?
という変に冷めた自分がいる。

不意にやって来る、幸せ恐怖症


仕事の忙しさの波が大きくなってきて、
飲み込まれそうになる。


周りの人も頼っていいと言いながらも、
ほぼ初めてのことに手をつけることが苦手な自分。


今の仕事に精一杯で
恋愛感情 人を好きになる余裕なんかない。


こういった中で
ストレスフルの中で
恋愛という現実逃避なんかはない。


人を好きになれないのか?
自分を好きになれないのか?

とある性的マイノリティの方の講演会を聞いて、ふと考えていた。


自分の嗜好がどちらか、またはその両方、どちらにも向かない。
身体的な特徴や仕草などでも変わるらしい。

こういった違和感を変えようとする中、

人生は「挑戦」と「選択」。
そして、「決断」の連続。


だと思った。


僕自身は単純に女性の方を好きになるが、
「好き」になるには時間がかかるタイプ

思わず、その通りだと感心した、とある大学生の動画。
https://www.youtube.com/watch?v=OkcYZ03caGQ


この方の「人」という認識を僕なりにに落とし込むと、


同性、異性関係なく、同じ職場の人。
そこから仲良くなるためには、自分から距離を詰めていく。
でも、今はそんな余裕はない。

この厄介な性格を受け入れられたら、仲良くなってもいいだろう。
という仙人のような発言だけど、そう思う。
#INFJ #なぞの上から目線

それが普通と言われば、普通。
1人でいても苦痛ではないが、一生涯、独りは嫌なタイプ。

とにかく、20代は自分を見つめる時期なのかもしれない。


最近、読んでいる本。
1つ1つが短くまとめられていて
内容も分かりやすい。
中谷さんの人生を経験するのか?自分らしい人生を歩むか?


講演された方も20代のうちは、
もがき苦しみながら性転換するという決断をし、
社会に対する理解に苦しめられたという。

#さとり世代


こういった中で
今のままでライブイベントに参加できるか
というとゼロに等しい。


たまたま、
今いる職場にいい人がいないだけかもしれないし、
職場内恋愛するには気まずいところもある。


そもそも、
恋愛って何だろう?好きって何だろう?
というところからかもしれない。

#INFJあるある #恋愛とINFJ


「普通」というボーダー
基準が高まりつつある時代。


パソコン知識と勉学での知識を蓄え続ける子ども、若者
パソコンが苦手な大人たち


目立たないようにひっそりと過ごしたい人もいれば、
目立ちたがり屋な人もいる。

良くも悪くも目立ちたがり屋が世間を変えていく。

平凡ではなく非凡であること、
特別な何かを持っていることは才能や能力を言われるが、
比較対象は何なのだろう。

同じ才能を持つ相手と? 昨日より今日の自分のようなストイック?

他人と比べるなとよく言われるが、
自分の成長という変化には自分でも気付かないことが多い。

周りからの声によって、
「自分」という存在や立ち位置、成長の変化が分かることも多い。

思ったことをすぐ口に出せる、ズバズバ言える方は
ある意味、尊敬します。


どちらかと言うと、
考えたことを一度、頭で整理して言うタイプ。

それが普通、大人の対応だと思いますが、
自己主張が苦手だったり、口下手なところもあるため、
「言いたいこと」を言える人は尊敬?

若者のよく使う「ある意味」は、
「開き直って」「仕方なく受け入れて」の意味もあるかもしれない。


周りにいる人がモデリングできるほどの人ではないかもしれない一方で、
弱音を言うことも大切だということを知らされた。



こういった中、
「自分らしさ」はある種の日本での社会的流行になるとも考える。

「皆同じ」「普通」という単純で絶対的平等ではなく、
「皆違っていい」という相対的平等が「自分らしさ」なのかもしれない。


とあることに対してイメージは誰にでもあることで、
違和感を無くすことは、ピンク色の象🐘を考えるな!
ということを言っている気もする。

誰にでも持っているイメージ。

これを偏見やバイアスと呼ぶ人もいれば、
先入観と表現する人もいれば、
価値観と言う人もいるだろう。


そんなことを考えながら、

新たな疑問を出てきた。

人は「差」がないと、努力や挑戦をしないのではないだろうか?
社会は「差」がないと、成長しないのではないか?

別、格など差がつく言葉は色々とありますが、
差を無くそうということは大切なことだが、
それでは人は成長しないのではないだろうか?


その差を埋めることは
今の日本では
弱いものが強いものとの差を埋めること
強いものが弱いものに視線を下ろすことによって
「普通」ができ上がると感じる。

しかし、その「普通」は年々上がってきている。


これが日本の資本主義なのかもしれない。
遅れた30年間を取り返すには、これしかない。


他人への期待を捨てて、ある時は放任で
別の時は圧力をかけて
今の人は変化にしか目を向けない、称賛をしないとも思う。


人の努力は右往左往、蛇行運転する 効率が悪いところもあり、
それに比べて新しさに目移りしやすいのかもしれない。
人生ドラマを見たがる人種なのかもしれない。

この大きく変わる世の中で理解に落とし込めても、
共感できるわけではない。

選択肢がたくさんあっても選びづらい人もいる。


***表現が悪いことを重々承知して書かせていただきますが***

「幸せ」を掴むには、他人の苦労で成り立っている。
他人への感謝を忘れてはいけない。

法律では定められていない
個々人の権利や主義主張が飛び交えりすぎる現代。権利の乱用?

自分の都合の良いように、生きやすいように、
体や性別を変えられる人はうらやましい。

年配の人の要望は通って、若者の意見は二の次の社会。ある種の多数決。

自分勝手でテキトーに生きられる方もいれば、
自分としっかりと向き合いながら日々、真面目に生きる方もいる。


こんな不公平さがあるのも現実でもある。
こうしたことが生きづらさになっているかもしれない。


と色々と書いてきたが、

「生きづらさ」の解消は、
頭の思い込みを真っ白にすることなのかもしれない。

自らの精神的余裕他者から認められる環境
整えられば軽減されるかもしれない。

必要な考えは置いておいて。
何の道具もない状態では何も書けませんからね笑


こんなことを考えずに、
ビール片手におつまみを食べながらテレビを見ていた方が
ある意味、楽しいかもしれない。


社会を変えられるという大きな使命を持つより、
1人でも多くの人に分かってもらう方がいいタイプ。


あなたの「生きづらさ」啓発劇場
ジャンル ドキュメントが、
日々開催されていることだろう。


行動する、共感する、応援する、
遠目で見る、薄いリアクションを取る
色々と人生は分からないけど、冷め切っている自分もある。


となると、
ルールやマナーといった社会規律や規範は必要ないのか?と問う。

普通にこだわるのもまた「自分らしさ」?
と感じる今日この頃。

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