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初めて買った、母へのプレゼント。彼女はゴミ箱に捨てた。


私が未来のためにできること

それは、理不尽な一面を子供に見せない事。


小学2年生のあの時。

母にサプライズでお菓子をプレゼントしようと、少ないお小遣いで貯めた小銭を握りしめスーパーを訪れた。


手に取ったのはブラックチョコレート、なんとなく大人が好きな気がしたから。

お母さんどんな顔して喜んでくれるかな?

そんな淡い期待を抱きながら帰った。

帰宅してすぐに母にチョコレートを渡す。

「お母さん、プレゼント!」

すると、母はすごい形相で怒り出したのだ。


「あんた、お母さんがブラックチョコ嫌いなの知っててわざと買ったん?」

母はチョコレートをゴミ箱に捨てた。


*

このエピソードを話すと、母がとんでもない極悪人かと思うだろう。

ただ、誤解のないように伝えると、母は母なりに、不器用なりに私のことを愛してくれた。

学校から帰ると手作りのお菓子を作って私を抱きしめ迎え入れてくれた。たまには学校のずる休みを許してくれて一緒にケーキを作ったりもした。

たまに暴言を吐くのが玉に瑕だが、その10倍「愛してると」伝えてくれたし、今関係は良好だ。


だけど、それでも、あの時の母の心情を私は未だに理解できないんだ。

我が子が少ない小銭を貯めてプレゼントしてくれたら、どんなに嫌いなものでも泣いて喜んで抱きしめるだろう。

それが親心で、多数派だ。


まぁ、母の言い分はこうだ。

「あの時はたまたま機嫌が悪かった。」


そう、よくある話、社会に出てよく遭遇する上司に理不尽に怒られるってヤツだ。


理不尽なのが世の常。

だとしても、私はあの時、母に喜んでもらいたかったなぁ、抱きしめてもらいたかったなぁ…


つまり、親の機嫌や都合は子供に関係ないんだよ。

子供は好きでこの世に生まれた訳じゃないから。

子供は親にただ、愛されたくて、褒められたくて何かしら行動する。

自分の都合で子供をこの世にを産み落としてしまった以上、親は全力の愛情で応える必要があるのだ。

子供は親に愛されたら、友達など他者を愛せるようになり、時には他者から愛されて、やっと自分自身を愛せるようになり、自己肯定感に繋がる。

世界は理不尽な事で溢れてる。だからこそ、家庭では理不尽な事で子供が傷ついたたらダメなんだ。

我が子も含めて、全ての子供が愛情と優しさに包まれますように。

幸せになれる未来が訪れますように…

大人になって、たまに食べるブラックチョコは味も心もほろ苦い。

だけど、そのほろ苦さが息子への優しさに変わるんだ


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