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母について

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母親の乳癌の記録。
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記事一覧

①母を思い出す【乳がんになるまで】

母が亡くなって早5年。その母の乳がんが発覚したのは12年経つのか。
当時僕はまだ20代。昼はほとんど寝ていて夕方に起きてシャワーを浴び20時頃に六本木のバーに出勤し深夜はお客さんとお話しながらお酒を作る水商売の生活を送っていた。
 その頃は実家に住んでいて親父と母と三人で暮らしていた。母は糖尿病だった為、月に1、2度大学病院に通院していた。僕も暇な時は付き添いのフリをしながら帰りに病院近くの昭和感

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②母を思い出す【がん告知】

 その日母は疲れ切った顔で帰ってきた。
乳がんが発見された。あまりにショックだったのだろう、母は僕に見向きもせず自分ベットでそのまま寝込んでしまった。
 その様子を見て僕はとてもじゃないが本人に聞くことが出来ず大学病院に電話をかけた。もう、夕方になりつつあったが事情を話すと担当医は病状についてあって話してくれるとの事。僕は大学病院に向かった。
 診察時間も過ぎた大学病院に人の姿は殆どなかった。誰も

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③母を思い出す【闘病生活】

 母の闘病生活が始まった。
がん告知されてから母は前向きになった気がした。
何か吹っ切れたような、とてつもない生きたいという生命力が感じられた。
 まずは乳癌の核となる左胸を全摘出した。
手術の予定はすぐ決まり、あっという間に手術の日程は終わった。
自分の母のおっぱいの事を言うのは気が引けるが、母は平均よりも胸が大きかった。しかし入院を終えた母の胸は片方だけぺったんこであった。当たり前の結果ではあ

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④母を思い出す【最後の3ヶ月】

 闘病生活は5年近くに及んだ。
少し良くなってはまた体調が悪くなったり、体調が悪い為抗がん剤治療を休んだり…
それでも僕の前では一切辛そうな表情を見せなかった。
しかし、それは突然にきた。

 2017年1月初旬、トイレから母の助け声がした。
駆けつけると母は便座に座ったまま頭を壁につけ寄りかかっていた。
突然、平衡感覚を失ってしまったようだった。
とりあえず一回ベットに戻し、そのまま救急車を呼ん

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