矢島太郎/VJTAROON

東京生まれ赤坂育ちのおじさん映像クリエイター。 結婚して東京池袋の近くにある雑司が谷に…

矢島太郎/VJTAROON

東京生まれ赤坂育ちのおじさん映像クリエイター。 結婚して東京池袋の近くにある雑司が谷に住んで5年目。 映像ジャンルだけじゃなくのんびりゆるーく日常書いていきたいと思います。

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富士フィルムX-E3とWtulensL

 決して繊細ではないけどどこかレトロでフィルムライクなこの感じ良いね、写ルンですのレンズを再利用した「WtulensL」 気軽に撮れるスナップシューターとしてX-E3とセットで持ち歩きたいと思います。

    •  羽田市場食堂 池袋サンシャイン60通り店

      みなさんこんばんわ! 東京もだいぶ寒くなりましたね。 今回は池袋にある「羽田市場食堂池袋サンシャイン60通り店」の海老天丼を紹介します。 まずはこのボリューム!! 都内探してもこんな海老天が入ってる天丼はないかと… 男性が食べてもなかなかの量になります。(女性は食べ切れるのかな。) 天ぷらは衣がサクサクで油こくなく食べやすいです。 おすすめの食べ方は最初に海老天を一尾蓋に残しておいて食べてください。 最後、一口大のご飯にお店特製の出汁を注いでその上に蓋に残しておいた海老天

      • 東京豚骨ラーメン 池袋 屯ちん

        こんばんわ! 今回からこのマガジンでは僕が食したものを軽くゆるーく書いていこうと思います。 興味あるご飯あったらぜひ行ってみてくださいね! 今回は老舗、池袋の屯ちんさんです! 1992年創業 昔から好きなんですよねここの豚骨ラーメン。高校生からお世話になってます。 ゴリゴリの豚骨ではなく結構お上品なラーメンです。 本場の豚骨ラーメンも大好きなんですが、屯ちんさんのラーメンはギトギト過ぎず でもしっかりと豚骨スープの味が楽しめていつも大満足です! ライスは無料、今回は新しく

        • ④母を思い出す【最後の3ヶ月】

           闘病生活は5年近くに及んだ。 少し良くなってはまた体調が悪くなったり、体調が悪い為抗がん剤治療を休んだり… それでも僕の前では一切辛そうな表情を見せなかった。 しかし、それは突然にきた。  2017年1月初旬、トイレから母の助け声がした。 駆けつけると母は便座に座ったまま頭を壁につけ寄りかかっていた。 突然、平衡感覚を失ってしまったようだった。 とりあえず一回ベットに戻し、そのまま救急車を呼んだ。  かかりつけの大学病院に運ばれるとそのまま検査入院になった。 心配ではあ

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        富士フィルムX-E3とWtulensL

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        • 母について
          4本
        • GOHAN!GOHAN!!GOHAN!!!
          2本

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          ③母を思い出す【闘病生活】

           母の闘病生活が始まった。 がん告知されてから母は前向きになった気がした。 何か吹っ切れたような、とてつもない生きたいという生命力が感じられた。  まずは乳癌の核となる左胸を全摘出した。 手術の予定はすぐ決まり、あっという間に手術の日程は終わった。 自分の母のおっぱいの事を言うのは気が引けるが、母は平均よりも胸が大きかった。しかし入院を終えた母の胸は片方だけぺったんこであった。当たり前の結果ではあるのだが息子の僕としてはかなりのショックだった。しかし、母は笑顔で「あー、軽くな

          ③母を思い出す【闘病生活】

          ①母を思い出す【乳がんになるまで】

          母が亡くなって早5年。その母の乳がんが発覚したのは12年経つのか。 当時僕はまだ20代。昼はほとんど寝ていて夕方に起きてシャワーを浴び20時頃に六本木のバーに出勤し深夜はお客さんとお話しながらお酒を作る水商売の生活を送っていた。  その頃は実家に住んでいて親父と母と三人で暮らしていた。母は糖尿病だった為、月に1、2度大学病院に通院していた。僕も暇な時は付き添いのフリをしながら帰りに病院近くの昭和感満載な喫茶店で一緒に遅めの昼食を食べたものだ。  ある日、珍しく母は病院から早く

          ①母を思い出す【乳がんになるまで】

          ②母を思い出す【がん告知】

           その日母は疲れ切った顔で帰ってきた。 乳がんが発見された。あまりにショックだったのだろう、母は僕に見向きもせず自分ベットでそのまま寝込んでしまった。  その様子を見て僕はとてもじゃないが本人に聞くことが出来ず大学病院に電話をかけた。もう、夕方になりつつあったが事情を話すと担当医は病状についてあって話してくれるとの事。僕は大学病院に向かった。  診察時間も過ぎた大学病院に人の姿は殆どなかった。誰もいない総合受付に行くと、案内係の女性がどこかに電話を掛け、診察室へ案内してくれる

          ②母を思い出す【がん告知】