「あざとい」と言われていた会社員が、就労支援施設でバイトしてみたら・・

最近、就労支援施設のスタッフとしてバイトを始めた。

今までデスクワークしかしてこなかったので、自分の机が無い仕事は手持ち無沙汰な時に戸惑う面もあるけれど、なかなか新鮮な感覚を味わっている。

私が今心掛けているもの

私がいるところは、鬱病や統合失調症、身体の怪我、発達障害などで一般企業での就労が難しい人を対象に、無理のない時間で(1日2時間程度)軽作業をしてもらう施設。

私にとってこの業界は初めてなので、今の自分が特別何かを提供出来るわけではないけれど、一つだけ心掛けていることがある。それは施設の利用者にとってココ(施設)が一つの居場所だと感じて貰えるよう、心理的安全を作るよう接しようということ。簡単に言うと、心の「イイね」ボタンを押す事だと思っている。

褒める・媚びるではなく「やったぜ!」を共有したい

これは私が勝手に目標としてやっている事で、私の好きなアドラー心理学にも通じるものがあるんだけど、「言いなりになる」でも「甘やかす」「褒める」でもなくて、敢えて手を出しすぎないように、でも「ありがとう」や「めっちゃ助かった!」「嬉しい!」「センスが良い」「それも才能」は、しっかり言うようにしている。

これには理由があって、そうする事で『やった!自分で出来た!』『自分は役に立っている』っていう感覚を利用者の方が感じて、自信や挑戦したい気持ちを持てるようになったり、誰かと比べるのではない健全な自己肯定感を取り戻したり、歪んだ認知を疑うきっかけになったり、他人への恐れを手放したりして、ゆくゆくは社会復帰に繋がって行くのに少しでも貢献できたら良いなぁ、という自分なりの意図がある。

接し方の雛形は無い。でもそれが面白い

私自身はまだまだ色々観察中だし勉強中で手探り中。でも今私なりに出来る事として、声をかけるときには、極力名前を含めて呼びかけるとか、居場所を求めている人には意識的に少し多めに声をかけたり、敢えて頼ったりして交流は多めの方が良さそうな感じがするし、鬱状態が重そうな人にはテンションを上げすぎずに接する方が負担は少なそうだな、と感じる。また、自閉症的傾向が強い人には、敢えてあまり絡まない方が相手は安心するようだし、多動傾向が強めの人にはある程度自由に歩き回れたり、作業のバリエーションがあるほうが落ち着くっぽい。そういうふうに一人一人と接しながら、日々変わるコンディションを見つつその時々の適切な距離感を探りながら接している。

そういう正解のない世界の中で、少しずつ探りながら、多様性に触れ、刺激をもらう毎日は、なかなか面白い。

自分が相手にかける言葉が、自分をも癒す

また、自分自身が一つのモデリングと言うとおこがましいのだけど、「あ、それで良いのか」というような見本?サンプル?参考の一つとして機能すれば良いなと思って言動しているので、自分にも周りにも合格点低め設定なのも、もともとは「不安から全科目100点を狙いに行こうとする」「自他に厳しい」ような生き方をしてきた自分としてはなかなか心地よく、利用者に声を掛けながら、同時に自分にも声をかけているなぁ、と時々感じる。そして自分で自分に癒されていたりもする。

同じ言動も環境が違えば受け止められ方も変わる

前職では執行役員の近くで仕事していたこともあり、こういった「相手をよく観察して対応をカスタマイズしながら行うコミュニケーション」を、接待や根回し、答弁の台本書きなどの場で行ってきた。

これは別に私が媚びようと意図的に行っていたわけではなく、一人一人が「俺はVIPで特別で、自分はルールから例外」といったノリの自分勝手な言動を行うし、まして他の事務方と比べると私は年少の女性なので、特に色々ワガママを言われ易いという立場上の関係もあり、必然的に相手に合わせているうちにそういう個別にカスタマイズされたコミュニケーションを行うようになっていた。

もともとの私は嘘をついても思いが顔に出やすいからバレ易い事もあり、当時も今も気に入られる為だけの根拠の無い嘘で褒めたり媚びたりは出来ない。でも、どんなに変わった人でもよく観察すれば年に何回かはネクタイ位はオシャレだったりする。だから日頃、どこが地雷なのか意味不明で、理不尽に感情をぶつけられることが多い相手でも「センスが良いんですね」位のことはチャンスをみつけて伝えて、少しでも減点を取り返そう、というのは常に頭のどこかにあった。

また、そもそも70歳を超え、感情のコントロールが難しかったりやパソコンやスマホが使えない役員達とのコミニュケーションは、いやがおうにもアナログになる。なのでこちらも慎重に行うし、その分と下心(何かにつけて手を握ってきたり、欧米人でもないのに「ありがとう」と言いながら抱きしめたりしてくる)も加味して結果的に「心がこもった対応」だと受け止めてもらい易かったのだと思う。

そんなこんなで役員から比較的よく目をかけてもらった事でトントン拍子に事が進み過ぎる時もあり、当時は喜びよりむしろ逆に自分の中では「やっぱり自分はあざといんじゃないか?」という気持ちと「それも含めて仕事」という思いがせめぎ合ったり、被害妄想に取り憑かれた上司から「俺の事何か告げ口してるんじゃないだろうな」と釘をさされたり詰められたりしてギクシャクしたりもしていた。だから大体自分が誰かと接してその結果仕事の達成感を感じる時は、「色目を使う」「計算高い」などと周囲から揶揄されたり、同僚や上司から根拠のない変な噂を流されたりするのでなかなか純粋に喜んだり素直に自分にOKを出せなかったり、むしろ不安やそこから生じるトラブルに悩む事の方が断然多かった。

けれど今は同じ事をしても、単純にポジティブなフィードバックとして機能したりや人を勇気づけたり、リラックスさせたり、ゴキゲンにさせたり、支える言葉として機能する。不思議だなぁ、と思うし、ただただ嬉しい。

そして私自身もポジティブな言葉を発しても批判されたり、足を引っ張られないないし、セクハラもないから、安心してのびのび過ごせる分、気が楽。

そんなわけで、昔と比べて今は自分に余裕があるからなのか、自閉症の利用者さんに塩対応される時も、これまで浴びてきた社内政治に基づく塩対応やイケズとは根源的に違うからなのか分からないけど、なぜかそれほど傷つかないし、気にならない。同じ塩対応なのに不思議だな、と自分でも思う。

こういう些細な違いが、「自分も他人も環境が違うとこうも違うんだ」と、なかなか新鮮で面白くもある。

試行錯誤で分からない事だらけ。でもそれもまた良し

世の中色んな人がいる。でもそれが逆に面白いなぁと思う。新しい仕事の面白さを今、じわじわ感じている。

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