夕暮れと星屑

夕暮れと星屑

最近の記事

私たちは自由で、売り物じゃない。ライブを観て思ったこと

 ステージに立つべく生まれてきた人はいる。彼ら、彼女らはステージに立つことで、生まれながらの才能が招く不幸せを吹き飛ばし、自己実現し、その姿で人を勇気づける。  そして私は、ライブの関係者席にたまに座ることになる仕事につき、その席に座る人はステージに立つ人を「売り物」と見ることを避けられない。だって仕事だもの。お金とそのためにしっかり働く人がいないとエンタメは届かない。  ステージに立つ人は、売り物であることも多分わかっていて、「信者」を集めていることを揶揄されようとも、そこ

    • 社会人になって、どんどん馬鹿になっても

      社会人になって、自分がどんどん馬鹿になっていく気がします。受験勉強で覚えたことはまるっと忘れたし、英語も喋れなくなってきたし、そもそも毎日出社して投げられてくるボールを返し続けてると、考える、立ち止まって内省するということがなくなるんです。日々やることがたくさんあって、充実感はあるのですが、忙殺される。 いっぽうで、すごくたくましくなった自分もいます。場数を踏んで、人と話して、どんどん強くなってるんです。つまり、社会に適合してるんですね。今は、カラダという鎧がストレスを感じて

      • 京大卒後、京都のおすすめの喫茶店等を語る

         2020年、コロナが騒がれ始める春に京都大学文学部を卒業した。  同棲していた彼氏(今の旦那さん)に支えられ、一回生の前期にはフランス語を全部落としていた私だったが何とか四年で卒業できた。そして新卒で入った企業から転職したりもして、社会人三年目。京都で過ごした生活はただただ懐かしい。  コロナ禍で京都もだいぶ変わってしまったようだが、四年で過ごしたなかで京都のおすすめポイントを語れればと思う。 ■喫茶店編 ・カフェコレクション(北白川) 喫煙:今は不可のようです。 おいし

        • わたしとすれ違う、すべての君たちへ

           君は男でも女でもいい。男が好きでも女が好きでもいい。君の話を聞こう。  わたしを性的な対象として見てもいいし、見なくてもいい。最後の最後で手を出してもいいし、出さなくてもいい。どちらにせよ同じことだ。君の弱さをわたしは許そう。  わたしを思い出さなくてもいいし、思い出してもいい。ネトストしてもいいし、ブロックしてもいい。忘れてもいい。できれば忘れてくれた方が気楽だし、連絡されると疲れるけど、別にいい。好きな時にわたしを勝手に思い出していい。  君は幸福な人生を歩んでいい。結

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          『わたしは最悪。』を観て:「最悪」な私たちは、脱皮してエピローグを生きる

          『わたしは最悪。』が良い映画だった。  多分、明確な答えを押し付けてこなかったからだと思う。どんな人だって子供作って「良い親」になったっていい。平凡な人生はクソだと拒否して仕事で自分を見つけてもいい。主人公がどう感じ、どう決意したかわかりやすくは描かれない結末だ。だからこそ、余韻が深い。  Twitter上のレビューで、主人公ユリヤは自分が大好きだから奔放に生きている、というのを見かけたが、むしろ逆だと思う。ユリヤは自分の外見の美しさと才気を強く強く自覚しているからこそ、今の

          『わたしは最悪。』を観て:「最悪」な私たちは、脱皮してエピローグを生きる

          どんな人間もみんなひとりだ

           たったひとりでも、自分のことを正直に話せる人がいたらよかったと、ずっと思っている。  旦那さんは、とても大切だ。私の一番の財産だ。だからこそ、自分のトラウマとか闇は見せたくない。  大学生の頃、仲の良い男の子がいた。彼は私に対していつも敬語で話した。よくお茶をしたり、夜中ラインしたり、通話したりしてた。彼の優しさとさらさらの髪が好きだった。彼は、私の暗部を正直に話せる人だった。でも、ある夜、一緒に桜をみて、その帰り、私が「死にたい」と言うと、「僕はあなたのことが好きなんです

          どんな人間もみんなひとりだ

          5年以上同棲している方と入籍して

           5年以上同棲している方とこの度入籍をした。両親に挨拶に行き、婚姻届を記入し、昨日提出した。入籍するのは覚えやすいから1月23日。いつものように朝寝坊して、東陽町で油そばを二人で食べる。食べる間は無言。これくらい長い間一緒にいると、不思議と食べ終わるタイミングが全く同時。市役所は日曜で休みなので暗かった。どこに行けばいいかわからずうろうろしていると、奥のほうで、おじさんが小さな窓口にこじんまり座っている。「婚姻届ですか?」と聞かれ私がおずおずと「はい」と答える。書類の不備を直

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          心の異常停止である孤独、そこから生まれる本心が好き

           忘れられないことがあるとして、まずは忘れることを自分に許さなきゃいけない。ひどいことをされて怒りで絶対忘れちゃダメだと思ったり、人を傷つけてしまって後悔で絶対忘れちゃダメだと思ったり、それは心の自然な作用で、自分なりに償う時間が必要だ。しかし、壊れたものは元に戻らないから、自分の心の天秤が正常に戻るまで待つしかない。自分の人生が進んでゆくにつれ、昔のことはふっきれていくものだと最近思う。人生が進むとは、友人と会って話すとか、結婚するとか、働くとか、旦那さんの言葉にはっとする

          心の異常停止である孤独、そこから生まれる本心が好き

          雑感(2022年1月8日)

           旦那さんが寝静まった後にひとりで洗いものをしていると心が穏やかになると同時に少しさみしくなります。同窓会でも「まったく変わらない」と言われますが(ずいぶん変わったつもりなのですが)自分というのはどこまでも自分なのでしょう。  他人のことのほうがうまく認識できていて、鏡や写真に映る女が自分であるとはどうしても思えない時があります。  自分の下着があるべきところにあり、紅茶がいつもと同じ香りがすることに安心します。自分の心はめくるめく変わってしまうからかもしれません。  雪を見

          雑感(2022年1月8日)

          13歳から11年神聖かまってちゃんを応援している

           神聖かまってちゃんと出会ったのは2010年、中学一年生の時だった。当時ロキノンを定期的に読んでいて、1ページだけ、申し訳程度に「友だちを殺してまで。」の紹介とパソコンを持ったの子さんが載っていた。Youtubeで曲を聴いた。アルバムを予約した。「ロックンロールは鳴り止まないっ」を一日中聴いていた。家族とスーパーに行く時も聴いていた。渋谷のHMVで無料ライブをやったので最後列で観た。monoくんは「ロックンロールは鳴り止まないっ」の最後のピアノを間違えた(当時めちゃくちゃ下手

          13歳から11年神聖かまってちゃんを応援している

          『ラストナイト・イン・ソーホー』を観て/美しさは搾取されるものではなく、祝福されるものだ。

           『ラストナイト・イン・ソーホー』を観た。  これは映像と音楽の妙を楽しむ映画。それはわかっていたけれど、明らかに性暴力をテーマにしているから、観た後ずっとなにかがひっかかっていた。  エリーは度重なるセクハラに遭い、サンディも苦しんでいる。にもかかわらず、二人の美しい女優を楽しむ映画であることが矛盾に思えた。  でも、よくよく考えて、ラストシーンの幽霊になってエリーに軽やかにウィンクするサンディを思い返すと、そんな単純な映画でもないと思った。時流に乗ってフェミニズムをテーマ

          『ラストナイト・イン・ソーホー』を観て/美しさは搾取されるものではなく、祝福されるものだ。

          愛犬を看取って、私は旦那より先に死ねないと思った。

           愛犬を看取った。  家族で外食する約束をしていて、犬の具合が悪いので実家で会ってあげてほしいと連絡があった。夕食をとり、車で実家に帰ると、犬は窓辺で横たわっていた(今思えば、家族の帰りを待っていたのだと思う)。もう自分で立ち上がる力はなく、暖かいベッドに運んであげた。しかし、私だとわかるとヨロヨロと進んできて頭をくっつけて、尻尾を振った。私は涙が止まらなかった。水を少し飲んだが、ご飯はもう食べなかった。介護用のスポンジで口の周りや鼻を拭いてあげた。口からは血が出ていた。もう

          愛犬を看取って、私は旦那より先に死ねないと思った。

          強く生きることは、きっと罪じゃない

           間違ったことをしてしまうことはある。人を傷つけてしまうことがある。ミスをしたり、迷惑をかけたりしてしまうことがある。人と不本意な別れ方をしてそのまま死ぬことがある。忘れられないトラウマがある。治らない傷がある。  それを突き詰めていくと、人は死ぬしかない。若くして自殺した久坂葉子さんの遺稿を読んでいると、この人は突き詰めて死んでしまった側の人間なんだろうなと思って最後まで読めなかった。  痛みを誤魔化して、強がって、大人になって、日々をただ過ごせば、人は生きて行ける。ただそ

          強く生きることは、きっと罪じゃない

          愛における嘘と自分の心について

           電車で、美少女三姉妹全員と結婚する漫画の広告を見た。その愛は嘘だろうなと思った。三姉妹全員と結婚して、彼女らは天使のように振る舞う。それはひとりよがりな欲望を仮想の世界で満たしているだけな気がした。二次元のキャラであっても、本当に愛していたら三人同時と付き合えないはずだ。  二次元に恋するのも、アイドルを推すのも、愛があるからだと思う。でも、アイドルが彼氏を作ってたと烈火の如く怒る人たちは、ただ単に金を返せと言ってるように見えて、その愛は嘘だろうなと思ってしまう。  愛の対

          愛における嘘と自分の心について

          私はパートナーという神の敬虔な信者でありつづけたい

           彼の仕事してる姿が好きだ。会議中のかしこまった声や、抑えた笑い、作業中の貧乏ゆすり、生真面目な集中が好きだ。舌打ちも好きだ。疲れて血の気を失う頬が好きだ。  本を読んでいるときの神経質な手先が好きだ。詩への冷静な批評が好きだ。テレビ番組への悪口が好きだ。恋愛モノの小説を苦手とするところも好きだ。その精神の高潔さが好きだ。  わたしの嘘を絶対に見破るところも好きだ。彼はわたしのことはなんでもわかる。  彼に手を引かれると、わたしは彼の幼い娘になった気になる。心の奥底から頼って

          私はパートナーという神の敬虔な信者でありつづけたい

          わたしは好きな女の子に憧れている童貞みたいな気持ちで世界に向きあっている

           二十四歳にもなって、自分に自信がない。  綺麗じゃないと思う。頭もよくないと思う。仕事もできないと思う。  なぜ、世の中の大人はみんなそんなに偉そうなのかがわからない。きっとお金と権力があれば自信がつくのだろう。  勉強して成果を出した。仕事で叱られることもあれば褒められることもある。綺麗だと言われ、新宿や渋谷を歩くと男が声をかけてくる。好きなことを仕事にして、好きな人と暮らして、世界の幸せを手にしている。それでも自分に自信がない。何を言われても満たされない。世界中のすべて

          わたしは好きな女の子に憧れている童貞みたいな気持ちで世界に向きあっている