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13歳から11年神聖かまってちゃんを応援している

 神聖かまってちゃんと出会ったのは2010年、中学一年生の時だった。当時ロキノンを定期的に読んでいて、1ページだけ、申し訳程度に「友だちを殺してまで。」の紹介とパソコンを持ったの子さんが載っていた。Youtubeで曲を聴いた。アルバムを予約した。「ロックンロールは鳴り止まないっ」を一日中聴いていた。家族とスーパーに行く時も聴いていた。渋谷のHMVで無料ライブをやったので最後列で観た。monoくんは「ロックンロールは鳴り止まないっ」の最後のピアノを間違えた(当時めちゃくちゃ下手だった)。ラストに歌ったのが「ちりとり」。の子さんの語りに私は心を奪われた。
 神聖かまってちゃんを好きな子など学校には誰一人としていなかった。子供ノノ聖域からデモをダウンロードして死ぬほど聴いた。ライブに通った。にちゃんねるに書き込んだ。「sage」を覚えた。当時は、セットリストも決めずグダグダMCをやるのが常で、それが本当に好きだった。親からのクリスマスプレゼントは「つまんね」だった(「みんな死ね」はお小遣いで買った)。急上昇していく神聖かまってちゃんが売り方を間違えて頓挫したのが「つまんね」「みんな死ね」だったわけだが(たしかにアルバムよりデモのほうがよっぽどよかった)、私にとっては思い出深い。
 東日本大震災で国技館ライブが中止になって、無料ツアーをやった。この時のライブが本当に楽しかった。常日頃ピリピリしていたの子さんが笑顔を見せていたからだと思う。ニコ生のコメントを読まれるとうれしかったし、昔のピアキャスの録画を深夜に見るのも好きだった。テレビに出るときは本当に興奮した。この頃、たしか不祥事があって、ずいぶんショックで家中の神聖かまってちゃんの写真を捨てたが、それでも曲は聴き続けた。
 高校生になって自分の人間関係が忙しくなると、にちゃんねると配信は見なくなった。初めて恋愛を知った頃に出たのがデモで「緑の長靴」「犯罪者予備君」、アルバムで「英雄syndrome」で、これは本当に私の曲だ、と思った。宅浪の時の「ロマンス」も思い出深い。京子ちゃんのチャンネルが始まって、の子さんに恋愛相談に答えてもらったこともあった。ファンレターや誕生日プレゼント(龍角散とか)も送っていた。仕方ない、13歳の頃からの子さんは憧れの存在なのだ。
 大学生になって彼氏と同棲すると、神聖かまってちゃんから離れて、すっかりの子さんの近況などは興味がなくなったが、曲は聴き続けた。コロナ前の大阪のNGフェスでの「怒鳴るゆめ」の大合唱は忘れられない。
 10年以上、神聖かまってちゃんの楽曲はずっと私に寄り添い続けた。聴くたびに発見があり、歳をとるとわかる歌詞もある。の子さんは、デビューとともに社会人になり、ほかの人にはわからない苦労もしたと思うけれど、ここ数年のライブでは本当にみんなから愛されていることが伝わってくる。みんなの伸ばした手の先で、の子さんが楽しそうに歌っているのを見るのが好きだ。昔は喧嘩もしていたけれど、今では観客を盛り上げることに徹している(もっと素でいいのにな、と私は思うがそういうものなのだろう)。の子さんの曲は優しい。怨念とか悲しみを消化して、生きる強さを感じさせる。そして正直だ。今のライブはキッズ向けであまりノレないのだが、の子さんの芯にあるものは環境や形態がどんなに変わっても変らない。自分自身がどんなに変わっても、大人になっても、神聖かまってちゃんは私の心の軸になっている。十代の時死ぬほど聴いてたバンドは、二十代の自分の灯台になっている。

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